「97歳「共育」問い続ける 教育研究者・大田堯さん」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2015年9月5日05時00分)から。
 

 安全保障関連法案が突きつけられた戦後70年の夏、学びを変えることから命と平和に向き合おうと説き続ける老学者がいる。97歳の大田堯(たかし)さん。上からの「教育」から、対話による「共育」へ。自らを問い直し、20年来続けてきた中小企業家らとの「学びの空間」をたずね、考えを聞いた。


 さいたま市緑区の大田さん宅には、くの字形の大きな机が置かれた「サークル室」がある。様々な市民と交流する学びの空間だ。夏の週末の朝、千葉県と埼玉県の中小企業の社長5人が訪れ、勉強会が始まった。

 5人がそれぞれ所属する千葉県中小企業家同友会は1992年から265回、埼玉県の同友会は97年から205回、折々の論題で毎月対話を続けてきた。

 幼稚園などで保育指導をする白濱洋征さん(73)が切り出した。「残虐な事件の影響か、このごろ『しつけなきゃ』という風潮が強くなった気がします」

 大田さんは、上意下達は日本人に染み込み、「実は僕自身も教えたがり」と現実に目を向けた。学校や図書館で広がる「読み聞かせ」を例に挙げ、「せめて『読み語り』に日常生活の感性から変えましょう」と提案した。「子どもにも『来てくれてありがとう』と言える人間関係が平和の出発点になる」

 続いて、児童書出版社の社長、田中正美さん(63)が、安保法制に反対する若い母親や若者が国会前に集まっている姿を話題にした。「これまでと違う光景。安倍政権も世論を押しとどめられないのでは」

 すると大田さんは「その傾向は大事だと思うんですが」と前置きして、問いかけた。何に反対するのか。平和か戦争かのレベルの議論なのか、それとも市民の「内面支配」の問題にまでさかのぼるものなのか。

 呉服屋の社長、田中克佳さん(57)が発言した。「戦争反対は切実な気持ちだが、『どんな、何を大事にする社会を作るのか』という議論がバブル期から20年出ていない。そこが行き詰まりの根本では」

 議論はやがて中小企業のあり方へ。大田さんは、中小企業も雇用者と労働者がいる限り、矛盾があると指摘。「皆が好きなことで社会的な仕事ができる『就業社会』になるよう資本主義を考え直す。これは僕の夢。かすかな光でもね」(小沢香)

 

 ■戦争避けるには「教育の既成観念破らないと」

 ――安保法制をめぐる動きが激しくなっています。

 「戦争という状況に我々を置くことを防ぐためには、情報統制、人々への内面支配を退けていくことが一番の道だと思う。そのために教育の既成観念を破っていかないと」

 ――なぜ教育から。

 「軍事と教育は並んで進んできた。戦前、教育勅語が情報を絞り込み、市民はその通りに育たなくちゃいけなかった。戦後数年は自由だったが、朝鮮戦争が起きて『戦争をもっと明るく書きなさい』などと教科書検定が厳しくなり、戻ってしまった。国民の中に教育統制は当たり前との意識がずっとある」

 ――2006年、第1次安倍内閣教育基本法改正に反対しましたね。

 「改正前の10条には、行政は教育条件の整備にもっぱら努力するようにとあった。それを削除し、国が教育方針を浸透させられる条項が入った。国民の魂を支配できる仕組みといえる。僕がいま理解してほしいのは教育の観念の転換。一番大事なのは学習です」

 ――学習とは何ですか。

 「生き物は、脳が外部の情報を受けとめ、不要なものは捨てるという代謝をしている。僕は変わることを学習と名づけた。学校の学習はほんの一部。多くの人や事件に接触し、考え発見する。『命は物種』だ。種を温めたり水をやったりして一人ひとりの設計図を引き出すのが教育」

 ――自由な学びは安保論議が進む今、保障されていますか。

 「学校では『やらされ学習』、企業では『やらされ労働』。だけど、自由は命の本質。『平和』の反対と言えば戦争、暴力、貧困とかいろいろあるが、僕は『無関心』があると思う」

 ――克服できますか。

 「僕は昔、4年間兵隊だった。輸送船が撃沈されて命拾いし、インドネシアで農業、漁業出身の兵士たちと過ごした。自分の学問や言葉のギャップを激しく感じ、ずっと克服しようとしてきた。五感を通し、違いを大事にする人間関係を創造する。回り道のようで、決定的な答えではないかな」

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 1918年広島県生まれ。東大教授、都留文科大学長、日本教育学会会長などを歴任。日本子どもを守る会名誉会長。著書に「教育とは何か」(岩波新書)、「大田堯自撰(じせん)集成」(全4巻、藤原書店)など。その実践を追った映画「かすかな光へ」が2011年に公開、全国で自主上映が続く。