「永六輔さん死去 放送界の草分け、マルチに活躍」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2016年7月11日13時31分)から。

 放送作家の草分け的存在でタレント・作家の永六輔(えい・ろくすけ、本名永孝雄〈えい・たかお〉)さんが死去したことが11日、分かった。83歳だった。

 東京・浅草の浄土真宗の寺に生まれた。10代後半でNHKラジオ「日曜娯楽版」に投稿を始めた。早大在学中から、開局して間もないNHKテレビや日本テレビの番組で台本などを手がけ、放送作家として腕を磨いた。

 作詞家としては、作曲家中村八大とのコンビで、日米両国で大ヒットした「上を向いて歩こう」(1961年)や「こんにちは赤ちゃん」を送り出した。いずれもNHKのバラエティー番組「夢であいましょう」から生まれた曲で、テレビ番組の企画・演出なども含めマルチな才人ぶりを発揮した。梓みちよが歌った「こんにちは〜」、水原弘による「黒い花びら」はレコード大賞を受けた。

 67年にTBSラジオで始めた「どこか遠くへ」は2年後に「永六輔の誰かとどこかで」と名を変えて長寿番組として親しまれた。このころからラジオを中心に活動。1年の大半を旅先で過ごし、見聞した話をラジオや著書で披露するスタイルが定着した。

 91年から24年半にわたり「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」、15年9月からは「六輔七転八倒九十分」のパーソナリティーをつとめた。

 作家としても、話題作を発表した。94年に出版し、ベストセラーとなった「大往生」のほか、芸人らの名言を集めた「芸人 その世界」(69年)など著書は数多い。

 尺貫法を守る運動や全国各地の伝統芸能、ボランティアを応援する活動を、晩年まで続けた。