鳥飼玖美子「本物の英語力」を読んだ

「本物の英語力」(2016)

 鳥飼玖美子「本物の英語力」を興味深く読んだ。

 「英語格差」(English divide) のお話。

 けれど、そのようにして国をあげて英語に必死で取り組んでいても、母語話者(ネイティブ・スピーカー)との英語力格差はなくなりません。なぜなら、母語と同じように意識せず縦横無尽に英語を使いこなすことは英語が母語でない人びとには難しいので、国際的な場で丁々発止とやったら、たいていは英語のネイティブ・スピーカーに負けるわけです。(p.7)

  「外国語は生涯かけて学ぶもの」。基本原則は二つ。

(1)ネイティブ・スピーカーを目指すのではなく、自分が主体的に使える英語ー「私の英語」を目指す。

(2)英語を覚えようとするのではなく、知りたい内容、興味のある内容を英語で学ぶ。<これは、内容と言語を統合して学ぶという新しい学習アプローチに繋がる考えです>

 「第二言語」として学ぶわけではなく「外国語として」。「動機づけ」が大切。

 ピーター・バラカンさんは、英国の大学で日本語の読み書きを勉強し、来日してから日本語での会話を学んだそうですが、夜の井の頭公園(東京・吉祥寺)で、自分が納得できる音が出るまで日本語の発音をひたすら練習しながら歩き回ったとのことです。そのバラカンさんは、発音だって小さい時からやる必要はない、大切なのは、「意欲と努力だ」と断言しています。(p.31)

 国際会議の同時通訳者がどうやって専門用語を覚えるかというと、専門分野に関する書籍や資料を日本語と外国語の両方で読み、用語をひとつずつ二ヵ国語で書き出し、自分なりの用語集を作ります。今は手書きではなくパソコンでデータベースを作ってしまうようですが、自分の手で書くと記憶に残りやすい気がします。(後略) (p.43)

 同時通訳の大先輩であった國広正雄さんは、洋書を読んでは英語らしい表現、洒落た言い回しなどをカードに書き出していました。それも覚えておきたい単語や語句だけでなく、それが登場するセンテンスを丸ごと写すのです。時にはパラグラフまで。(後略) (p.44)

 鳥飼さんは、文の構造と5文型や仮定法、冠詞もふくめて、いま学校で迫害されていると言ってもよい「文法」の重要性を強調される。ただ、実際に英語を話す際には、完璧主義を捨てて、文法的な正確さを追求するあまり話せなくなってしまうことを戒めている。英文法の理解は、「異文化理解」だと強調されている。

 シャドーイングや音読もよいが、「一人でやる「内容重視」の英語学習」として、「好きなことを英語でやる」というのがひとつの案だと。

 陸上が好きなら、英字新聞で陸上競技についての記事を音読し、衛生中継を英語で聞く。これだけでも立派な「内容と言語を統合した学習」です。(中略)

 つまり、英語のスキルを習得することに主眼を置かないで、自分が関心のある内容を英語で読んだり書いたり話したりに集中することで、結果的に英語の力がつくことになります。日本人がグローバル市民としての英語を学ぶのは、自分の意見や考えを主張する、日本について説明するなどの発信型コミュニケーションの習得が目的とならざるをえません。そのような英語力を獲得するには、「何かを英語で」という、内容重視の学習法が適していると考えています(p.103-p.104)

 日本のアニメに魅せられて、日本語を学び、日本に留学するようになったという話や、スコットランド生まれの俳優がアメリカ人の役をこなすために苦労してアメリカ英語を学んだという話、「ファンが手がけた字幕翻訳」という「ファンサブ」という新語(?)も紹介されている。

 「長﨑通詞の英会話習得法」では、ラナルド・マクドナルドの話と、作家で翻訳家のフレデリック・ショットの「(マクドナルドから直接に英語を学んだ通詞の存在がなければ)日本が独立を守ることは難しかったであろう。政治的、社会的、技術的な革新に成功し世界の大国になった代わりに、他のアジア諸国のように西欧列強の餌食となり植民地になっていたかもしれない」という話は初めて聞くもので、深く考察しなければならないテーマであると感じた。

 第三部の「英語の実践」では、書くにしろ、話すにしろ、論理をとおすことの重要性に共感する。あと、「慣れるまで習う」重要性。そして「守りに入るな」。

 若田さんの発言を引用しながらの次の内容も言われる通りだと思う。

 「どんなに大変だと思う仕事も、しばらくすれば慣れてきます。慣れて”定常状態”に入ると成長は鈍化する。そんなときはあえて、環境を変えて変化させるんです。不均衡状態をわざと作ることで緊張感を維持し、自らが進歩していけるのだと思います」という若田さんの言葉は、どのような仕事にも言えることですし、英語学習についても同じです。(p.194)

 鳥飼さんの本では、これまで「TOEFLテスト TOEICテストと日本人の英語力 資格主義から実力主義へ」(2002)なども読んだことがあり、日本の中高大学生の英語力低下や資格主義を課題視されている。

 英語をマスターすることのむずかしさを認識されているなかで、世界で英語が主流言語になることによる差別、英語帝国主義の問題*1について、あまり触れられていない点に不満がないわけではないが、本書を面白く読んだ。

*1:TOEFLテスト TOEICテストと日本人の英語力 資格主義から実力主義へ」(2002)では、「これは英語帝国主義である!と反発してみても、「されど英語!」ということでいなされる。いまどき、「英語なんて要らないのではないか?」というようなことをあらためて問題提起する人は、よほどの変わり者とされてしまいそうである」(p.15)と書かれている。ここで紹介した鳥飼氏の二冊の本は、そもそも英語帝国主義を扱ったものではないので、ないものねだりということはわかっている。当然、鳥飼氏は英語帝国主義的状況について理解されていないわけではない。ただ、理解された上で、その問題の整理と方向性について触れられていないのが残念な点ということだ。