作家・赤川次郎さんの朝日新聞(声の欄)への投稿

amamu2017-06-15

 本は結構読むほうだが、残念ながら、ジャンルでいうと小説を読む時間的余裕がない。時間的な余裕があれば、もっと小説というジャンルを読みたいと思っているのだが、赤川次郎氏の作品も例外でなく、一冊も読んだことがないが*1、今朝の朝日新聞の声の投書欄の赤川次郎さんの投書が眼をひいた。
 同じく朝日新聞の”問う「共謀罪」”という紙面の、田原総一郎氏の「加計問題に「ふた」」、宇宙物理学者・池内了氏の「国会死にかけてる」、弁護士・亀石倫子氏の「プライバシー危機」、評論家・荻上チキ氏の「中身詰めきれず」、ジャーナリスト・青木理氏の「尋常じゃない進め方」、落合恵子氏の「数の力による暴挙」等の意見にも、深く共感した。

 問題とは何か、考えるときに、内容と段取りが大切だと、学校で教わった。
 また、問題とは、question, problem, issue, matter, topic, subject, troubleと、さまざまな面をもっていることを英語から教わった。問題自体をどう考えるべきか、それが問題であるとも、哲学者から教えをえた。
 今回の「共謀罪」は、内容的にも、段取り的にも、問題だらけといわざるをえない。そして、これは問題として終わることはない。それこそが、私たちにとって、日本にとって、そして世界にとって、問題に他ならない。
 この問題は、問題として、けっして終わることがない。

 日本にも多くのファンを持つウィーン・フィルハーモニー管弦楽団だが、ナチスの時代、ユダヤ系の楽団員を追放し、中には強制収容所で殺された団員もいた。この「負の歴史」が、今年広く展示され、戦後生まれのさらに後の世代の団員たちが、同じ過ちをくり返さないために過去と向き合おうとしている。
 ところが、日本では、すでに歴史となった過去の侵略や虐殺すら否定しようとする人々がいる。軍国主義の精神そのものだった「教育勅語」さえ評価するとは、もはや海外との歴史認識の差のレベルではない。
 その人々が今手にしようとしている最悪の武器が、戦前の治安維持法に重なる「共謀罪」法である。これがなければ五輪が開けない?ならば五輪を中止すればよい。たったひと月ほどの「運動会」のために、国の行方を危うくする法律を作るとは愚かの極みだ。五輪は終わっても法律は残るのだ。
 法案に賛成の議員は、自分が後の世代に災いをもたらそうとしていることを自覚しているのか。目先の目的のため憲法を投げ捨てて恥じない安倍政治は、日本を再び世界から孤立させるだろう。
 (後略)

*1:小説ではないが、「三毛猫ホームズと劇場に行こう」という本は読んだことがある。