「稲田氏への報告の有無、あいまいに 日報の特別防衛監察」

f:id:amamu:20051228113106j:plain

 以下、朝日新聞デジタル版(2017年7月29日08時21分)から。

 南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊の日報問題をめぐる特別防衛監察の結果は、陸自幹部らが日報のデータを「隠していく」経過をつまびらかにした。ただ、防衛相だった稲田朋美氏への報告の有無という最大の焦点は、あいまいな表現で「灰色決着」を図った。

 「宿営地5、6時方向で激しい銃撃戦」「戦車や迫撃砲を使用した激しい戦闘」――。情報公開請求に対して不開示とされた昨年7月の陸上自衛隊の日報には、派遣部隊のすぐそばで政府軍と反政府勢力が激しく対立していた南スーダンの首都ジュバの実情が生々しく記されていた。

 防衛監察本部はまず、この日報が不開示となった経緯を検証した。昨年7月に最初の情報公開請求があった際、派遣部隊から日報の報告を受ける立場にあった陸自中央即応集団の堀切光彦副司令官(当時)が「日報が(公開対象から)外れることが望ましい」という思惑を持っていたと指摘。「日報は行政文書の体をなしていない」という「理屈」を持ち出し、開示対象から外すよう部下に「指導」したことが端緒だったと認定した。開示によって部隊情報の保全を危惧したことと、開示請求が増えることを懸念しての対応だったとしている。

 防衛監察本部は、日報の管理状況も検証した。

 派遣部隊は陸自内の電子掲示板に日報の電子データをアップロードし、権限のある自衛官防衛省職員らはダウンロードして保存していた。日報の保存期間は「1年未満」で、「用済み後廃棄」という位置づけだったが、昨年12月の時点でも内部の掲示板には日報のデータが残っており、多数の隊員が掲示板からダウンロードして保管していた。

 部下からこうした実態の報告を受けた牛嶋築・陸上幕僚監部運用支援・情報部長は12月13日、「掲示板の適切な管理」を指示。統合幕僚監部で見つかった日報のデータが公表された直後の今年2月8日にも「適切な文書管理」を依頼した。

 牛嶋氏の意向を受けてデータは削除されたが、今年3月末時点でも陸自全体で約30人が今回の日報を保管していたという。ある陸自幹部は「掲示板に日報がアップされていたのは、広く共有し、次の派遣への準備を効率的に進めるのが目的。『削除しろ』と言われても削除しきれるはずがない。だから『いろんなところに残っていました』という話になる」と指摘する。(土居貴輝)

■「了承」の有無に論点ずらし

 陸自内に日報の電子データが保管されていたことを、防衛相は知っていたのか。最大の焦点が、陸上自衛隊側から稲田氏への報告の有無だった。防衛監察本部が稲田氏を聴取する異例の展開になり、事実解明が期待された。

 監察結果は、2月13、15両日の省内会議について言及した。フジテレビは13日の会議内容について、独自に入手したという「防衛省幹部の手書きメモ」を暴露。データの存在を知った稲田氏が「明日なんて答えよう」と発言したと報じた。だが監察結果ではメモの存在に触れず、「(会議で)陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない」とだけ記した。

 15日の会議についても、これまでの報道によって陸自側が監察本部の聴取に「稲田氏にデータの存在を報告した」と説明していたことが発覚。ただ監察結果では、13日の会議同様に「可能性は否定できない」という表現にとどめた。

 なぜあいまいな表現に終始したのか。

 監察本部は「(出席者の)証言は一致していない」ことを理由にあげた。政府関係者によると、稲田氏は監察の聴取に「報告を受けていない」と説明し、陸自側の主張と対立。食い違いを放置したまま監察結果を出したことについて、監察本部は「検察の捜査のように強制力があるわけではなく、任意だ」と釈明した。

 一方で、監察結果では稲田氏が陸自内の日報データを非公表とする判断を「了承」していないという点が強調された。監察本部は「非公表や公表の了承をなされていないことは、関係者の証言も一致している」と説明。報告の有無から非公表の了承に「論点ずらし」が行われた格好とも言え、稲田氏の言い分がより際立つ結果になった。

 稲田氏は3月、国会で「報告はなかった」と答弁しており、虚偽答弁の可能性が出ていた。ところが報告の有無に切り込めないまま、監察は稲田氏の辞任と一緒に終結。監察を命じた稲田氏の「責任逃れ」に利用された構図となり、制度そのものの信頼性を揺るがしかねない事態になった。

 稲田氏は28日の記者会見でこう述べ、胸を張った。「(私の)国会答弁を覆すような報告はなかったと認識している」(園田耕司、相原亮)