「(耕論)「子どものため」って?」「生き様を見せることこそ 美輪明宏さん」

amamu2017-08-31


 以下、朝日新聞デジタル版(2017年8月30日05時00分)から。
 3人の「耕論」だが、引用は、美輪明宏さんだけ。


 「子どものため」って大人はよく言うけれど、本当だろうか。有無を言わさずに子どもを方向づけ、小学校でも道徳を教科にして大人が評価するようになる。それってほんとに子どものため?


 (中略)


 ■生き様を見せることこそ 美輪明宏さん(歌手・俳優)

 私が一番多感だった子ども時代は戦時中でした。長崎の実家はキャバレーのようなカフェや銭湯をやっていて、昼間とは違う大人たちの姿を見て育ったので、かわいげのない、変わった子どもでした。

 普段は立派な身なりの人が意外とだらしのない体で、ヨイトマケのおばさんが立派な体だったり、官職にある人がお忍びで来て、ホステスにいたずらしてヘラヘラしたり。そんな大人たちが「ねばならない」と押しつけていた軍国教育は、長崎にも原爆投下を招いた末の終戦で全てひっくり返り、美徳とされてきた価値観は悪徳になりました。

 私は、そんな大人たちをみて思ったんです。ひとの人格や立派さは、容姿や年齢や肩書なんかとは一切、関係ない。目の前にいる人の魂が、ただ清らかであるかどうかだけを見るようにすればいい、と。その思いは、今に至るまで変わっていません。

 子どもは、複雑怪奇な生き物です。特に、分別がつく前の幼児は常にくるくると動き回り、何をするかわからない。でも、幼児だと思っても、大人以上の冷徹な思考で人を観察しています。親や教師の心や動き方も、どこかで見ている。この人はあの人が嫌いなんだとか、この人はだらしないとか、ちゃんと勤務評定をつけているんです。だから、そんな大人が「子どものため」と言っても、腹の中でせせら笑う子もいます。

 それなのに、こんな政治で、国が道徳を教科化? 笑っちゃいますよ。ヒステリーをおこし、「記憶にございません」と言っていれば大丈夫だと教えるんですか。政治だけではありません。いじめで自殺した子がいるのに、保身に走る教育委員会。金もうけ主義で、暴力やグロテスクな表現ばかりの漫画やゲームや映画。お前のためだと言いながら、自分のミエや人生の尻ぬぐいのために、子どもを塾にがんじがらめにする親。大人がやるべきことって、そういうことなんでしょうか。

 本当に愛情をもって子どもを導くには、まずは導く資格があるかどうか、我が身を振り返ることです。特に今は本を読まない大人が多く、言葉遣いもめちゃくちゃ。あいさつや敬語の使い方も子どもに伝わり、人生を左右します。本当に「子どものために」と思うのなら、まず大人が本を読み、日本語の勉強からし直した方がいいと思います。

 「人のハエを追うより、自分の頭のハエを追え」って言いますでしょ。子どもは、親の背中、大人の一挙手一投足を見て育つ。本当に子どものために必要なのは、どんな教育よりも親の生き方、大人の生き様なんです。その上で、時に突き放して苦労から学ばせる厳しさと、時に身を挺(てい)してでも守り抜くバランスが、子どもへの真の慈悲になるのです。

 (聞き手・吉川啓一郎)

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 みわあきひろ 1935年、長崎市生まれ。16歳でデビュー。9月から東京を皮切りにシャンソントークの全国公演を予定。