岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読んだ

自分の中に毒を持て

 岡本太郎自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)を読んだ。
 その冒頭からしてすごい。

 人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
 人生に挑み、ほんとうに生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれかわって運命をひらくのだ。それには心身とも無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。
 今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。
 ふつう自分に忠実だなんていう人に限って、自分を大事にして、自分を破ろうとしない。社会的な状況や世間体を考えて自分を守ろうとする。
 それでは駄目だ。社会的状況や世間体とも闘う。アンチである、と同時に自分に対しても闘わなければならない。これはむずかしい。きつい。社会では否定されるだろう。だが、そういうほんとうの生き方を生きることが人生の筋だ。


 岡本太郎は、1930年代にパリで過ごし、パリのソルボンヌ大学に学び、12年間のフランス生活ののち、1940年、ドイツ軍がパリを占領する直前にヨーロッパを去り、太平洋戦争突入前夜の日本に帰国する。
 この辺にも、本書に貫かれている、「ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている」という岡本太郎の覚悟のようなものを感じる。
 
 本書では、京都文化会館の二、三千人の禅僧たちに対する講演のエピソードがすこぶる面白い。
 開会時に、岡本太郎の講演の直前のお坊さんのあいさつで、「道で仏に逢えば、仏を殺せ」という臨済禅師の有名な言葉の紹介があった。いよいよ岡本太郎の講演となり、岡本が壇上に立ち、その言葉をきっかけに、聴衆に問いかける。
 

 「道で仏に逢えば、と言うが、皆さんが今から何日でもいい、京都の街角に立っていて御覧なさい。仏に出逢えると思いますか。逢えると思う人は手を上げて下さい」
 誰も上げない。
 「逢いっこない。逢えるはずはないんです。では、何に逢うと思いますか」
 これにも返事がなかった。坊さんたちはシンとして静まっている。そこでぼくは激しい言葉でぶっつけた。
 「出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。そうしたら、己を殺せ」
 会場全体がどよめいた。やがて、ワーッと猛烈な拍手。
 これは比喩ではない。
 人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければならない。いのちを賭けて運命と対決するのだ。その時、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の見方であり、また敵なのである。


 さすが、岡本太郎
 本書には、繰り返しも少なくないが、何度も読み、咀嚼すべき内容がある。
 坂本九とのエピソード、瀬戸内晴美の話、芸術論、技術論、幸福論、恋愛論、政治・経済論、本格的な論を展開しているわけではないが、はしばしに岡本太郎の考え方が反映されている。
 日本人に一読をすすめたい。