安倍政治とは独裁政治ではないのか

 モリカケ疑惑が「疑惑」と呼ばれる理由は「疑わしきは罰せず」ということにある。それはそうだが、安倍首相と安倍政治は疑わしいことだらけで、お友達優遇、忖度政治、教育の私物化、国会私物化は否定のしようもない。きちんと説明するといいながら、野党からの声は聞かず、国会は開かず、ようやく国会を開いたかと思ったら、自称「結果本位の仕事人内閣」の仕事も結果も出さないうちに、いきなり冒頭の国難突破解散では、空いた口がふさがらない。英語で、応答することをrespondといい、応答(respond)することをresponsibility(責任)というが、安倍首相・安倍政治・安倍思想のお家芸は、事実を突きつけられても、人の意見を聞かない、はぐらかす、答えない、にある。権力の横暴と開き直りがまかり通ってしまうのは、権力をチェックする機能・機関が弱すぎるからではあるが、国民の声に応えない無責任政治で不幸になるのは国民である。
 
 安倍政権は、「保守」政治といわれるが、正しくは多数をとれば何をしてもかまわないという「独裁」政治ではないのか。昔の自民党であれば、とうに党内批判が出る場面でも、安倍政治の暴走を誰も止めることができない。安倍首相は、「指示」はしていないというけれど、「物言えば唇寒し」の独裁・専制政治下では、いわば忖度政治が進行し、「指示」をしたかどうかは、問題とはならない。
 独裁政治とは、反民主主義、反憲法、反立憲主義を基調とする、国家主義的な国政私物化政治、その暴走である。