「(政治断簡)「脅威」に屈しないリベラルを 編集委員・松下秀雄」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2017年10月30日05時00分)から。
 松下秀雄編集委員による本コラム「政治断簡」は今回で最終回だそうだ。

 私は政治記者としては、ちょっと変わり種だ。このコラムでも永田町や霞が関の動きを、あまり正面からとりあげてはこなかった。書いたのは戦争や沖縄、女性、若者、性的少数者、障害者といったテーマ。政治とのかかわりを考えたいと思ったのだ。

 政治も私も、地に足がついていないんじゃないか?

 そんな思いをもっていた。

 私は戦後20年近くたって、「本土」と呼ばれる地域に男性として生まれ、難関といわれる大学を出て、名の知れた報道機関の記者=正社員に就いた。大阪府警の警部補だった父は学生の時になくなり、母は苦労したけれど、私はのうのうと生きてきた。戦争のリアルも知らなければ、人の痛みも身にしみてはいない。

 政治の世界にも、似た境遇の人は多い。政治と自分自身を捉えなおすため、違う境遇にいる人、違う体験をもつ人の話を聞いてまわった。

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 戦争で特に関心をもったのは、そのメカニズムだ。

 たとえば「敵の脅威」。戦争の遂行には国民の支持や協力が欠かせない。そこで、しばしば「脅威」が誇張され、捏造(ねつぞう)される。大量破壊兵器があるといったり、敵の攻撃をでっちあげたり。

 以前も紹介したけれど、ナチス・ドイツの国家元帥、ゲーリングはこう言っている。

 「我々は攻撃されかけている」と訴え、「国を危険にさらしている」と平和主義者を非難すれば、人々は意のままになる。このやり方は、どんな国でも有効だ――。

 自由な社会でも、狂気の指導者がいなくても、不安に働きかける手法は通用する。

 衆院選の光景をみてこの話を思い出し、胃液が逆流するような苦さを感じた。安倍晋三首相は各地の街頭で、真っ先に「北朝鮮の脅威」を訴えた。こんな演説、時の首相から聞いた覚えはない。

 むろん戦争をしたいのではなく、票が増えると踏んだのだろう。麻生太郎財務相は、自民大勝の選挙結果には「明らかに北朝鮮のお陰もある」と吐露している。

 その軽さが危なっかしい。狙いはどうあれ、首相が「北朝鮮の脅威」を叫べば在日コリアンが敵視されないか。彼らを忘れているのだろうか。

 沖縄県翁長雄志知事が、安倍政権の沖縄への態度を「首相は『日本を取り戻す』と言っているが、沖縄は入っているのか」と問うていたのを思い出す。ヤマト(本土)だけが日本と思っていないか、という意味である。

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 世界に「自国優先」、白人至上主義に類する「多数派優先」の自己中心政治が広がっている。日本も似たようなものだ。こんな時こそ、多数派か少数派かにかかわらず、一人ひとりの生、自由、人権を大切にしなければ! 不安にあおられ、手放さないようにしなければ!

 それらを重んじるのが「リベラル」という立場。護憲か改憲か、保守か革新かといった線引きを超え、ともに声を上げる時ではないか。