何十年かぶりに黒沢明監督の「赤ひげ」(1965年)を観た

amamu2018-01-14

 これまで何度も書いていることだけれど、サンフランシスコの映画館で観た「椿三十郎」にいたく感動したことがあり、それ以来、黒澤映画が好きになった。
 黒沢映画の中では、その「椿三十郎」の活劇と気品、そして話の展開と構成が好きで一番よく観ているのだが、「用心棒」「天国と地獄」「隠し砦の三悪人」「七人の侍」「まあだだよ」なども、何度も観たくなる作品だ。

 原作は山本周五郎の「赤ひげ診療譚」。黒沢明の映画「赤ひげ」は観た覚えがあるのだけれど、たぶん子ども時代に観たきりだから、これは何度も観ている黒澤映画ではない。
 なにしろ3時間の大作だし、子どものときに観た印象では二木てるみの演技がたいへん上手だったという記憶が強く残っているのだが、子どもの感性としては気持ちのよい作品ではなかったということがあるのだろう。黒沢映画でいえば、「用心棒」(1961年)、「椿三十郎」(1962年)、「天国と地獄」(1963年)ときて、「赤ひげ」(1965年)という流れだから、作品として悪いはずもないだろうと思ってきたのだが、なぜか避けてきたところがある。
 それで、何十年かぶりのことになるのだが、黒沢明監督の「赤ひげ」を観てみた。

 これは涙なしで観ることはできない映画だ。
 ユーモアもある。
 すこしだが活劇もある。
 だけれども、黒沢映画の中では地味なつくりといえるだろう。
 ひとりひとりのキャラクターの表情・表現は、たいへん丁寧に撮っている。

 テーマは、仕事とは。
 人と人とは。
 死と生とは。
 貧困とは。
 社会とは。
 政治とは。
 人とは。
 教育とは。
 人間的成長とは。

 でも、大人の映画であり、テンポはけっして早くないから、まどろっこしく感じるかもしれない。
 好き嫌いは分かれる映画だろう。

 3時間の構成は、前半・後半と、ひとつひとつのエピソードを丁寧に描いているが、あれこれのオムニバス感と散漫とした印象も残る。もちろん、仕事論や師弟愛が大きな背骨になっているから、大きな問題ではないのだが、好みの問題としては分かれるかもしれない。


 ただ、映画らしい、印象深い場面はいくつもある。
 たとえば狂女(香川京子)と保本登(加山雄三)がもみ合う場面。
 痛みで患者が暴れる外科手術の場面。
 保本登(加山雄三)と新出去定(三船敏郎)が、おとよ(二木てるみ)に薬を飲ませる場面(これはとても教育的な場面だ)。
 おとよ(二木てるみ)が保本登(加山雄三)の看病をする場面。
 干し布団の間で、おとよ(二木てるみ)が長次(頭師佳孝)に諭す場面(絵画的にもとっても美しい場面。本作品の中で一番印象に残った)。
 長次に生き返ってほしいと賄いの女たちが一緒に井戸に向かって叫ぶ場面(アングルを変えて、井戸の中の情景を写す手法も絵画的)。

 俳優陣では、おとよ(二木てるみ)と長次(頭師佳孝)の演技がなんといっても素晴らしい(子ども時代に見て感じた印象は間違っていなかった)。おとよと長次の場面で、日本中の観客が泣いたことだろう。主役以上の迫真の演技だ。
 娼屋の女主人・きん(杉村春子)はいつものようにうまい(どうしたらああした演技ができるのか)。
 賄のおばさんのおとく(七尾伶子 )、おかち(辻伊万里 )、おふく(野村昭子 )、おたけ(三戸部スエ)もよく描かれている。俳優陣も熱演といっていいだろう。

 脇を固める保本母(田中絹代)、森半太夫(土屋嘉男)、長屋の住人・平吉(三井弘次)、佐八(山崎努)、おなか(桑野みゆき)らもいい。
 こうして新出去定(三船敏郎)と保本登(加山雄三)を支える俳優陣がすばらしいと思う。

 映画「赤ひげ」は東京オリンピックの翌年に撮られた映画だ。だからどうだということではないが、東京オリンピックの年は、首都高がつくられた年だ。いわば高度経済成長期につくられたといってもよい。その時期に、貧困をテーマに扱うことはなかなかできることではないように思う。
 映画「赤ひげ」は、テーマに青臭さが鼻につくということから、好みも分かれるかもしれない。実は、自分も、どこか腑に落ちない印象が残って仕方がないところがある。
 それは何なのか。
 黒澤映画を支える三船敏郎はもちろん好きなのだが、三船敏郎の素晴らしさは、コトバやロゴスよりも、あの身体動作のスピードにある。映画「赤ひげ」の医師はどこかリアリズムが感じられないところがある。赤ひげのユーモアもふくめて。これは三船の演技というよりキャラクター設定の問題のほうに問題性があるのだろう。加山雄三も好きだが、赤ひげを慕い、小石川養生所に残るところが、いまひとつ、その演技から、表現しきれていないようにも思うのだ*1。だから、赤ひげと保坂の師弟関係も、いまひとつの感じが残ってしまう。
 黒澤映画で三船敏郎加山雄三のからみといえば、私の場合、なんといっても、「椿三十郎」ということなのかもしれない。
 ただ、それは黒澤映画の中の話で、映画で表現されているテーマは普遍的だし、現代にも通じる時代性をもっている。映画「赤ひげ」が退屈で、冗長で、共感できないとすれば、精神が堕落した現代性のほうを憂うしかない。

*1:東宝の「若大将」シリーズで人気者になりつつあった加山雄三の俳優としての演技力は本人が一番自覚していたことだろう。黒澤映画での加山の抜擢は、黒澤組で鍛えられることになるとはいえ、いわゆる若手人気俳優からのスタートだったに違いない。60年代の日本社会は矛盾に溢れていたが、その分、人間間の信頼感と連帯感においては、むしろも現代社会よりも強く、映画「赤ひげ」の話の展開と加山の若い演技でも、それなりの説得力があったのだろう。だが、不信感のうずまく現代であれば、もっと描きこまないと説得力がでてこないだろう。これはそうしたことからの印象も手伝っていると思われる。