6時起床。
6時半に20分間のストレッチ。その後朝食。
昨日予定していたが、できなかったポール検定。
先生方が、すでに第4ゲレンデにポールを立てて、準備をしていた。
生まれて初めてのポール練習は思ったより面白い。
これは何故かというと、ポール検定に向けた練習は、どこらあたりでターンをしなければならないかという「見通し」が与えられるからだと思う。ポールなしの練習では、斜滑降で、自分で好きなところで勝手にターンをしている。先生のあとについていく、いわゆるトレインでも、前を滑る先生がどこでターンするかわからないので、わたしのような初心者はどうしても遅れて、先生と同じシュプールを描くことができない。もっと近くについてくるのがトレインだと先生に叱られても、初級者の私にトレインがうまくできるはずもない。
ポール練習は、スキー上達にとって適切な練習なのだろう。実習中の先生も、ポール練習はスキーが上手になる練習ですと強調していた。
午前の練習を終了し、昼食休憩。
けんちんうどんを食べていたら、同室の上級者が食堂にはいってきた。同席をすすめられ、同室者といっしょの班のアイルランド人スキーヤーと交流する。彼もスキー上級者だ。
彼の個人的体験として、日本の大学の英文学者は、完璧を目指すあまり英語を話すことを避ける傾向があるという古典的な話が出た。
わたしは、彼ら彼女らを擁護するつもりもあって、もちろん彼ら彼女らがプライドが高すぎる傾向もあるけれど、むしろフィールドの問題があるのではないかと、フィールドの重要性の話をした。
スキーがうまくなるには、雪と山の傾斜というフィールドが必要だ。雪と山の傾斜というフィールドがなければ、スキーなど上手くなりようがない。
同じように、英語も、英語が話されている言語環境というフィールドが必要だ。英語が話されている言語環境がなければ、英語など、上手くなりようがない。自信ももてるはずもない。けれども、日本は、英語の言語環境がなく、地理的にも、言語的にも、孤立しているのではないかという話をした。とりわけ、インターネットやDVDが普及する以前の、日本の孤立した言語環境については強調するまでもないことだ。自分も「なんちゃって英語教師」をやってきたが、英語をそれなりに学んでもなかなか上手にならないのは、そうした日本の言語環境のせいではないかと、日本の言語環境を「口実」にしてきたことを話した。
もちろん彼もそんなことはわかっていた。
自分の状況をいえば、スキーをやることで手一杯なのに、急に英語を話さなければならなくなって疲れた*1。
午後の練習も、外足に乗りながら、ターンとターンの間で、身体を伸ばすと同時にストックを進行方向に軽く置く、いわゆるニュートラルをつくって、左右のスキー板のエッジを切り替えて、外足にのる練習をする。
午後の練習を終え、お風呂に直行。風呂上がりに缶ビール。昨日ほどではないが、今日もお風呂で助かった。
17時15分に、ストレッチ。その後、夕食。
ポール検定練習時のビデオを見ながらのミーティング。
アフタースキー。本日も、自主的交流会に参加。スキー上級者との懇談は、楽しくためになる。
今日も一日充実していた。
睡魔に襲われ、就寝。
充実したスキー合宿というほかない。
*1:英語にしても、車の運転にしても、しばらく使っていなかったり、乗っていなかったりすると、果たして英語が出てくるか、運転ができるかという気持ちになることがある。「潜在能力」と「顕在能力」の問題と思う。