「(耕論)政官不全の処方箋は」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2018年3月17日05時00分)から。

 ■官邸主導人事に外の目を 小黒一正さん(法政大学教授)

 決裁文書の書き換えをしたうえに、国会に提出していたとは。かつて財務省の行政官として公文書を作成し、管理してきた経験を持つ者として、信じがたい異常なできごとです。その渦中にある近畿財務局の職員が命を絶った悲劇には言葉もありません。

 財務官僚も人間です。数字のミスや事実関係の訂正がないとは言えません。しかし、決裁文書を書き換えることはあり得ません。

 決裁後の文書を変更すれば、虚偽公文書作成など刑法上の罪に問われる可能性がある。そんな危険を冒すことは、よほどの圧力でもない限り、あり得ないことです。

 「忖度(そんたく)」の領域をはるかに超えた行為です。行政は国民の信頼の上に成り立ちますが、その基盤を破壊する恐れをはらむ、深刻な事態です。

 麻生太郎財務相は、書き換えは当時の理財局の一部の職員によって行われ、その最終責任者が佐川宣寿前国税庁長官であるとしています。国民から税を徴収する組織のトップが、信頼を毀損(きそん)する行為をしていたとすれば、そうした人の起用は適切だったのか、疑問がわかざるを得ません。

 ところが、一連の行為が、政権中枢の意向を配慮したり、反映したりした結果だとするなら、どうでしょう。

 かつて霞が関には「人事は政治に介入させない」という一種の不文律がありました。そこへ、2014年5月、内閣人事局が設置されました。各省庁の審議官級以上の幹部約600人は、官房長官が適格性を審査します。そのうえで人事局が幹部候補名簿をつくり、首相と官房長官らが協議して決めるしくみができあがりました。

 人事局は、行政への政治主導を強めるしかけとして導入されました。でも、各省庁の幹部たちを、官邸の顔色をうかがう「イエスマン」集団にする契機にしてしまった。今回の事件がその一例と思うのは、私だけでしょうか。

 幹部人事に政権の意思が反映することは当然です。問題は、選択が透明で公正で納得性があるものかどうか、だと思います。英国では、課長以上の上級公務員の選任は公募が奨励され、さらにトップ約200人は外部の有識者を含む選考委員会が人選します。

 オーストラリアやニュージーランドでも、応募や第三者委員会の審査が組み込まれています。ニュージーランドの選考委は、選んだ人物を内閣に推薦しますが、拒否した場合、内閣はその理由を官報に開示しなくてはなりません。

 人事に人生すべてを委ねている日本の官僚にとって、人選のかじ取りは生殺与奪そのものです。それだけに第三者による公正な尺度が不可欠です。与野党は公正なしくみづくりを競い、行政の信頼回復につなげるべきです。

 (聞き手・編集委員 駒野剛)

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 おぐろかずまさ 1974年生まれ。京都大学理学部卒。大蔵省(現財務省)で大臣官房文書課法令審査官補などを経て、現職。