「(日曜に想う)茶番は本気に勝てないんだな 編集委員・福島申二」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2018年6月10日05時00分)から。

 鉄の仮面のように嘘(うそ)と保身の答弁を繰り返した人も、こうなるとどこか同情を誘う。一人で悪役を引き受けた感のある佐川宣寿氏はいま、何を思うだろう。

 古今東西、悪い行いというものは、世間の耳目を集めることにおいて善行の比ではない。財務官僚としてほぼトップの地位まで上りながら、積みあげてきたものは国民への背信とともに崩れた。

 佐川氏がもし芝居好きなら、その胸に去来するのはシェークスピアの史劇「リチャード二世」かもしれない。

 王位を奪われたリチャード二世は、後釜にすわったヘンリー四世によって幽閉される。一方、王位には就いたが前王の威をおそれるヘンリーは、前王のことを「生きている恐怖」であると言う。

 それを聞いた騎士が暗殺の指示と理解したのは、つまり忖度(そんたく)だろう。前王を殺して骸(むくろ)をヘンリー王に示した。すると王は、何ということをした、となじる。

 騎士が「これをなしたのは陛下のおことばを聞いたからでした」と言うと、前王の死を望んでいたにもかかわらず王は冷酷に言い放つ。「毒を必要とするものも毒を愛しはせぬ」(小田島雄志訳)

 手を汚したあげく切り捨てられる。古来繰り返されてきた悲哀だ。推察ながら佐川氏も、「総理のおことばを聞いたからでした」と言いたいところかもしれない。昨年2月、首相が森友問題で「私や妻が関係していたら総理も国会議員も辞める」と気色ばんだ、あの答弁である。

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 それは、一連の不正の動機をめぐる重大な言葉とされてきた。ところが首相は先月末、その意味について「贈収賄では全くない。そういう文脈において、一切関わっていないと申し上げている」と国会で述べ、「関係」の語義を犯罪的な関わりのことだと狭めた。しれっとした言い換えにあきれた人は多かったろう。

 場当たり的な言いつくろいで、もう一つ印象深いものをあげれば、首相は昨年6月、国家戦略特区での獣医学部新設について講演会でこう語った。

 「今治市にだけ限定する必要はまったくない。地域に関係なく2校でも3校でも意欲のあるところはどんどん認めていく。速やかに全国展開をめざしたい」

 「加計ありき」で特別扱いしたのではないか、という疑惑が日々深まっていたときだ。「自分の疑いを晴らすために国の政策を根本的に変えるみたいな、すさまじい話だ」などと野党から批判がわいたのは当然だった。加計という木を隠すために無理やり森を作るような、権力者の放縦といえる発想だろう。

 その加計問題でも首相の生命線のようなキーワードがある。計画を初めて知ったのは「去年の1月20日」と述べた国会答弁だ。そして、その「死活的」ともいえる日付にあらゆるつじつまを合わせるかのように、側近官僚や加計学園側の言いつくろいが次々にわき出してくる。

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 井上ひさしさんの出世作「手鎖心中」に、「やっぱり……茶番は本気に勝てないんだな」という印象的なセリフが出てくる。小説の筋立てや文脈は措(お)いて、その言葉を思い出すできごとが最近二つあった。一つは日大アメリカンフットボール部の悪質タックルである。

 悔いて真摯(しんし)な記者会見にのぞんだ20歳の若者の「本気」は、日大監督らの責任のがれと保身のような茶番会見を、まったくみすぼらしいものにした。

 もう一つは、愛媛県中村時広知事の加計問題への対処と一連の発言だ。

 「嘘というものは発言した人にとどまることなく、第三者、他人を巻き込んでいく」。こうした筋の通った本気の言葉は、「記憶の限り」で逃げ回ってきた首相側近官僚の茶番めいた国会招致の欺瞞(ぎまん)を、広く世の中に知らしめた。

 首相や麻生太郎財務相の言動を見るにつけ、「世間ずれ」ならぬ「権力ずれ」の語が重なるのは筆者だけだろうか。テレビを消したくなるような政治を正すには民意の本気を示すほかあるまい。支持率を恐れぬ政治家はいないはずである。

 うんざり感が高じるあまり良識が鈍麻して、「こんなものさ」と馴(な)らされてしまう。それが今はいちばん怖い。