「精神的に追い詰めるやり方は軍隊式 悪質タックル問題」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2018年7月29日20時53分)から。

 日本大アメリカンフットボール部の悪質タックル問題は、日大が設置した第三者委員会が月内にも最終報告書をまとめる。すでに中間報告書でタックルは内田正人前監督らの指示だったと認定。部は新監督が内定し、再建に向けて動き出しつつある。この問題は選手の自主性を奪う上意下達、一般社会との感覚のずれ、過剰な勝利至上主義などスポーツ界に根強く残る体質を明るみに出している。


 日大アメフト部は昨年、内田正人前監督が1年ぶりに復帰すると、約20人が一斉に退部した。練習に厳しさが増しただけでなく、部の体質にも疑問が持たれたからだ。退部したうちの一人はこう振り返る。

 「『おまえの代わりはどこにでもいる』という態度のコーチたちの好き嫌いで、試合に出られるかが決まる。だから、コーチの機嫌を損ねないよう、意見を言うことはなかった」

 コーチたちも、大学ナンバー2の人事担当常務理事を兼ねていた前監督の顔色をうかがっていた。ある選手が自ら申し出てコーチ同意の上で分析担当スタッフになったことについて、前監督が疑問を呈すると、コーチたちはその選手の目の前で「はい、そうですね」と言うだけだった。元部員は、その様子を見て退部を決めたという。

 関学大の選手にタックルをした日大の守備選手は、前監督について「意見を言える関係ではなかった」と明かしている。「監督→コーチ→選手」の強い上意下達の中、選手たちは自主性と判断力を欠き、服従するだけになっていた。

 近代以降のスポーツ界の体質に詳しい慶応大の片山杜秀教授(政治思想史)は、軍隊的な色彩を指摘する。「国民皆兵の戦前、学校で軍隊的なものを教育しておこうと、多くの体育教師や運動部の指導者が命令を絶対とし、暴力と威圧で言うことを聞かせる軍隊式を導入した。戦後も気質は運動部で文化として伝承された。日大アメフト部はその継承度が高かった」

 守備選手を練習から外し、日本代表の辞退を求めるなど、精神的に追い詰めるやり方も有無を言わせない軍隊式に通じる。

 日大アメフト部は氷山の一角で、中高の部活動にも強圧的な体質は根強く残る。「指導者はスポーツマンを助ける役目だということが徹底されなければ、『選手は歯車であり、自分の意思を持たない機械だ』という軍隊式は拭いきれない」と片山教授は話す。

 幸い、運動部活動の現場では、生徒の自主性や自治性を大事にする動きも広がりつつある。日大アメフト部も再建にあたり、学生が自治性を高めていい。

一般社会と感覚のずれ

 今回の問題は5月6日の日大と関学大の定期戦で、日大の守備選手がパスを投げ終えて無防備になっていた関学大クオーターバック(QB)を背後からタックルした動画がインターネットを通じて多くの人の目に触れたことで沸騰した。

 東大大学院の橋元良明教授(コミュニケーション論)は、「SNSでこれだけ情報が拡散しなければ、アメフト界で当事者に対する注意・警告で終わっていた可能性がある」と言う。

 内田前監督はこの試合後、悪質タックルについて報道陣に「そりゃ、しょうがないじゃない」「昔から変わらないから」と語っている。選手同士がぶつかり合い、けがも珍しくない競技。仲間内で「お互い様」と許されるものと考えていた節がある。

 しかし、そのプレーを異様とみる一般社会との感覚のずれがはっきりした。

 橋元教授は「密室内の行為、慣習の情報を多くの人が共有するようになり、内輪の論理は世間に納得のいく説明が必要とされる時代になった。その風潮がすべて正当とはいえないが、スポーツがこういうことでいいのかという問い直しの機会にはなった」と話す。

 スポーツでの暴力的な指導も、かつては「信頼関係があれば、愛のムチ」と容認される風潮があった。だが、2012年に大阪・桜宮高バスケットボール部の主将が顧問の暴力などを理由に自殺してからは、「殴るのは暴力」という一般常識と照らし合わせ、根絶が叫ばれるようになった。

 それと同様に、スポーツ界のローカルルールの再考が迫られる一例となった。

スポーツが大学の広報手段に

 関東学生アメフト連盟が事実と認定した「相手のQBがけがをして秋の試合に出られなかったらこっちの得だろう」という井上奨(つとむ)前コーチの発言は、何をやっても勝てばいいという勝利至上主義だと言っていい。

 だが、指導者の問題で片付けることはできない。

 日大はスポーツの強豪として知られる。理事長は田中英寿(ひでとし)・相撲部総監督だ。16年にはスポーツ科学部を設置するなどスポーツ戦略をさらに強化している。ただ、近年は優勝12回を数える箱根駅伝で勝てず、アメフトも昨年まで26年間も大学日本一から遠ざかるなど他校に押され気味だった。

 帝京大の川上祐司准教授(スポーツマネジメント)は、マーケティングとの関わりからこう説明する。

 「大学の戦略としてスポーツが広報手段になっている。部の活躍がメディアで露出すれば、『有名だから』と志願者が増える現実はある。アメフトなら、大学日本一を決める甲子園ボウルに出られない指導者は評価されず、『けがをさせてでも勝て』となり、結局、選手が犠牲となった」

 学業レベルが極めて低いまま競技能力が高い学生を入学させることがあるスポーツ推薦も、大学の勝利至上主義の一面といえる。「一般学生は授業にも来ない運動部学生の応援には行かない。結果的に大学がスポーツのイメージを悪くしている」と川上准教授は言う。

 スポーツを手段とするのは学校だけではない。中高の部活動から、競技成績はスポーツ推薦による進学にからむ。生徒も保護者も顧問も、競技結果を重視せざるを得ない実情がある。そして、大学から先も、実業団チームを持つ企業に就職する手段となる。

 勝利至上主義から脱し、勝利を目指す過程を重視する必要がある。スポーツの教育的な意味合いを高めるため、スポーツの評価の仕方にも変革が求められる。