「関空連絡橋にタンカー衝突なぜ 踏みとどまろうとしたが」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2018年9月6日20時19分)から。

 台風21号が猛威を振るった4日昼、関西空港と対岸を結ぶ連絡橋に2591トンのタンカーが衝突し、関空は一時「孤島」になった。タンカーはなぜ、あの場所にいたのか。どうして衝突を防げなかったのか。

 乗組員11人を乗せたタンカー宝運丸は、台風が四国に上陸する前日の3日午後1時半、関空がある人工島と連絡橋、対岸の陸地に囲まれた海上にいかりを下ろした。約2キロ北に連絡橋があった。運航会社「鶴見サンマリン」(東京都港区)によると、紀伊山地関空島の陰で、少しでも風を防ぐ狙いだったという。

 宝運丸はその直前の3日朝、積んでいたジェット燃料を関空に荷揚げし、翌4日朝に大阪府高石市の製油所で燃料をまた積み込む予定だった。だが、積み込みは台風のために5日に延期され、4日も同じ場所で停泊を続けることにした。

 荷揚げして空荷になった代わりに、船内のタンクには海水を詰めて重しにしていた。重さ2・5トンのいかりと長さ195メートルの鎖が海底にひっかかりやすいように、海図を確認して、水深が約15メートルと浅く、海底が粘土質の場所を選んで停泊していたという。

 4日正午ごろ、台風は非常に強い勢力を保ったまま四国に上陸。関空周辺でも猛烈な風が吹き荒れた。

 運航会社によると、4日午後0時半ごろ、船の風速計が秒速20メートルを超えた。風上に船首を向けて停泊していた宝運丸はメインエンジンを動かして前進方向にスクリューを回し、流されないように備えた。ブリッジ(船橋)の船員を3人から5人に増やして、見張りを強めた。

 しかし、午後1時ごろ、海上保安庁大阪湾海上交通センターから船舶電話で「走錨(そうびょう)している(流されている)」と注意された。宝運丸はエンジンの出力を上げ、踏みとどまろうとした。午後1時半ごろには全速運転にした。海保から再度注意の電話がきたが、もう耐えられなかった。

 連絡橋までの距離が30〜40メートルに迫り、船橋にいた船長ら5人は下層の居住区に避難。南側からの風に押し流されて速度を上げた船体は、午後1時40分ごろ、連絡橋に激しく衝突した。

 気象庁によると、関空島で観測史上最大の最大瞬間風速58・1メートルを記録したのは午後1時38分。ちょうど衝突をしたころだった。

 万が一、強風で流されても連絡橋に衝突しない場所に停泊する選択肢はなかったのか。運航会社の幹部は「停泊地点は乗組員の安全確保に最適な場所を船長の判断で選んでいる。言い訳にしかならないが、船が流されるとは思わなかった」と話した。

 海保によると、宝運丸は5日未明に連絡橋の南約400メートルの海上に移動させており、7日未明には広島市の造船所に向けて引航される。(森嶋俊晴、岡田匠)