「(寄稿 新時代・令和)原発と人間の限界 作家・高村薫」

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以下、朝日新聞デジタル版(2019年6月28日5時0分)から。

作家・高村薫さん
 原子力発電をめぐる平成の30年は、国内外の潮流が肯定と否定、推進と縮小もしくは撤退の二つの方向へ分かれ、ウラン濃縮や核兵器の拡散問題もはらみながら、世界に複雑なエネルギー地図を描きだした時代だった。

 1970年代の石油危機が推し進めた先進国の原発利用は、79年の米スリーマイル原発や86年の旧ソ連チェルノブイリ原発、そして日本の東京電力福島第一原発の過酷事故を経て停滞へと転じ、安全面の不確実性とともに発電コストが大幅に上昇して、近年は新規の建設が困難になってきている。一方で、経済発展とともにエネルギー需要が高まっているアジアや中東では、原発の需要は依然として高い。

 また、原発の積極的な導入が一段落する一方で、地球温暖化の危機感が世界規模で共有され、化石燃料に代わって再生可能エネルギーの利用が飛躍的に拡大したのもこの時代だった。その結果、各国で進められる温暖化防止の取り組みが、CO2を出さない原発の位置づけをあらためて不透明にしており、将来的には廃止を目指すものの、既存の原発は当面使い続けるという国が大多数を占める。日本もそこに含まれる。

 これが2019年の世界の原発のおおまかな現状である。将来的には確実に衰退すると言われる一方、撤退の難しさや、産業界の都合と国益の交錯からくる混沌(こんとん)とした状況は当面続くだろう。しかも、使用済み核燃料の最終処分地という難題や発電コストの増大、ひとたび事故が起きた際の想像を絶する被害のリスクにもかかわらず、多くの国で原発がいまなお命脈を保ち続けている現実には、20世紀型の繁栄への拭いがたい執着も透けて見える。これは日本も同様である。

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 私たち日本人は、原子力については広島と長崎への原爆投下という唯一無二の歴史をもつ。その重い記憶の一方、戦後の復興期に語られた「原子力の平和利用」という言葉は、国と産業界と国民に強力な麻酔をかけ、1957年には茨城県東海村の第1号実験炉に初めて「原子の火」がともった。そうして日本は商業原発の建設へ踏み出したのだが、科学の進歩がそのまま人類の希望だった20世紀後半は、同時に大国が核実験を繰り返して核兵器が拡散した時代でもあった。そのなかで日本人がなぜ、核兵器の脅威と原発の夢をかくも都合よく切り離すことができたのか、私たちは今日に至るまで真剣に自問した形跡がない。

 とまれ日本の原発は、平成を迎えた89年には37基を数えるまでになった。その3年前にはチェルノブイリ原発で爆発事故が起きていたが、深刻な放射能汚染にさらされた欧州に比べて、地理的に遠い日本ではそれほど大きな騒ぎにはならなかった。

 それどころか、国は当時、日本の原発は多重防護のシステムが備わっているので、チェルノブイリのような事故は起こり得ないと繰り返し説明し、私を含めて大半の日本人は、日本の原発を世界一安全と信じ込んだのである。そんな安全神話が生まれた正確な過程はいまとなっては判然としないが、私たちの思考停止が、繁栄を謳歌(おうか)していた社会の空気と軌を一にしていたのは確かである。

 もっとも、少し注意深く新聞を読んでいれば、定期検査での不正やデータ改ざん、ときどき発生する配管破断などの事故、地震による緊急停止など、「世界一安全」の内実に不安を覚える出来事がなかったわけではない。そこには、使う以上の燃料を生みだすとうたわれた高速増殖炉もんじゅ」のナトリウム漏れ事故や、93年の着工から一度も本格稼働していない青森県六ケ所村の核燃料再処理工場など、そもそも確かな技術的裏付けがあったのか、根本的な疑問が生じる事例も含まれる。

 原発は、設計・建設から運転まで、ある意味究極のアナログである。機械や列車と同じく人間がプログラムを組み、構造計算をし、データを検証し、一つ一つ点検・確認をして動かしてゆくのである。しかし人間がこの巨大なシステムを構築したとき、密閉された容器のなかで起きる核分裂反応や、それに伴ってシステムの随所で間断なく発生する物理的・化学的反応のすべてを計算できたはずもない。「もんじゅ」の場合も、ヒューマンエラー以前に、高速中性子や液体金属ナトリウムの物理的振る舞いなど、技術者たちはそもそもいまだ完全に理解できていない世界に手を出したのではないのか。

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 平成の日本で、原発は当否以前の無関心にのみ込まれて日常の一部になった。そして2011年3月11日、東日本大震災が起きる。

 被災地でまさに生死のはざまに投げ込まれた数万、数十万の人びとと違い、私のように遠く離れたところからテレビ中継を見つめることしかできなかった者にとっても、福島第一原発が刻々と崩壊してゆく時間は、一生消えない衝撃をこの心身に刻んだ。

 このとき私たちはそれぞれ多くのことを考えたが、とくにこの地震国で原発を利用することの無謀は間違いなく私たちの心身に刻み込まれたはずである。個々に価値観は違っても、事故直後に半径20キロ以内のすべての住民が、取るものも取りあえず退避させられた現地の映像を一目でも見たなら、人間の営みが消された風景の残酷さに悄然(しょうぜん)としないはずはない。廃虚と化した4基の原子炉と人間の消えた大地は、まさに「原子力の平和利用」の幻想の下から現れた極北の現実だと言ってよい。

 事故から8年経ったいまも汚染水の漏出は止まらず、原子炉の底から溶け落ちた核燃料はその姿をやっとカメラで確認した段階であって、取り出し作業の見通しも立っていないが、これは「想定外」の結果とは言えない。60年代に原発建設が始まったとき、国は20世紀末までに廃炉技術を確立すると約束したのだが、それがいまだ果たされていないのは、端的に技術的に困難だということだろう。小惑星に探査機を着陸させることはできても、高レベルの放射能に汚染された原子炉内で活動できるロボットさえ十分に実用化できないのは、原子力を前にした人間の、これが現時点での能力の限界ということなのだ。

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 さて、福島第一原発の事故は、世界の原発利用に一定のブレーキをかけたと同時に、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの普及を大きく加速させた。では、当の日本はどうだったか。たとえば国のエネルギー基本計画を見てみよう。そこに定められた2030年度の電源構成は、再生可能エネルギーが22~24%、原子力が20~22%となっているが、原発の新規制基準に伴うコスト増や、40年を超えた原発の延命の困難などを考えると、原子力の比率の20%超という数字はおよそ現実味がない。一方、再エネの比率のほうは、2040年に全世界の発電量の40%に達するという国際エネルギー機関(IEA)の予測に比べて、明らかに低すぎる。

 これはもはや科学技術の問題ではなく、経済の話ですらない。電力会社を頂点とする産業界と、永田町と霞が関の利害がいまなお不可分であり続けていることの帰結であり、三者がそれぞれ変革から逃げてもたれあった末の、成算のないなし崩しに過ぎない。そして国民もまた、長引く景気低迷と生活の厳しさに埋もれ、再び無関心にのみ込まれていまに至っているのである。

 とまれ、日本がこうして非常識な数字を並べている間に、世界では自然エネルギーへの投資と技術革新が飛躍的に進み、そのコストはすでに原子力の4分の1にまで下がっているとするデータもある。エネルギー分野で完全に世界の流れに乗り遅れた日本の現状は、いまや人工知能(AI)や次世代通信5Gの技術が席巻する世界に日本企業の姿がないことと二重写しになる。

 この顛末(てんまつ)は、ひとえに日本人の選択と投資の失敗の結果ではあるが、原子力の利用をめぐる不条理は日本だけの問題ではない。戦後、日本は広島と長崎の直接体験が重しとなって核兵器保有には踏み出さなかったが、世界では核実験が地下にもぐり、さらにはコンピューター上のシミュレーションで間に合うようになって核の保有が拡大していった。現在、世界じゅうに1万4千発もある核弾頭や443基に上る原発は、原子力が人間の身体性を伴わなくなったことの帰結でもある。

 令和となったいま、その原子力を押しのけて、AIや5Gが人間の文明の頂点に君臨する。人間は日夜、モノとインターネットがつながったIoTやクラウドサービスを通してビッグデータと結びつき、世界じゅうどこにいても、スマホ一台で生活のほとんどすべてのニーズが瞬時に解決する。そして、世界を覆いつくすそのサイバー空間の外に、人類がついに満足に制御することのできなかったアナログの原発と、行き場のない核のごみが取り残されているのである。これが今日私たちのたどり着いた地平である。

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 巨大地震が明日起きてもおかしくないこの地震国で、あえて法外なコストをかけて原発を稼働させ続ける人間の営みは、理性では説明がつかない。次に起きる過酷事故は確実に亡国の事態に直結するが、人間は最後まで自らに都合の悪い事実は見ない。冒頭に述べた世界の原発事情も、核兵器の拡散も地球温暖化も、そういう人間の不条理な本態と、度し難い欲望の写し絵であり、それだけのことだということもできる。

 仮に破滅的な事故を免れても、そう遠くない将来、使用済み核燃料の一時保管すらできなくなり、廃炉の技術も費用も十分に確保できないまま、次々に耐用年数を超えた原発が各地に放置されることになるだろう。この途方もない負の遺産を、AIが片付けてくれることはない。片付ける意思をもつことができるのは人間だけだが、果たして身体性を失った人間にそんな意思がもてるだろうか。

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 たかむらかおる 1953年生まれ。商社に勤務後、90年に作家デビュー。91年の「神の火」は原発襲撃がテーマ。「土の記」で2017年の野間文芸賞大佛次郎賞