以下、朝日新聞デジタル版(2019/11/17 22:00)から。
閣僚の連続辞任に、首相主催の「桜を見る会」をめぐる疑念や疑惑。繰り返される不祥事にも、安倍晋三首相が進んで国会で説明する様子はうかがえない。議論する、説明する、責任を果たすとは、どういうことなのか。長谷部恭男・早稲田大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)に語り合ってもらった。(構成 編集委員・高橋純子)
杉田敦・法政大教授 日本が長く「お手本」としてきた英国の議会が、EU離脱をめぐって揺れています。9月には、離脱期限が迫るなか、約5週間にもわたって議会を閉会するという政府の決定の合法性が司法審査で問われ、最高裁が違法と判決した。高度に政治的な問題については判断しないという「統治行為」論に逃げ込む日本の司法を見慣れている身には、新鮮な驚きでした。
長谷部恭男・早稲田大教授 政府側は、議会をいつまで閉会するかは政治判断で、裁判所が口出しする問題ではない「統治行為」だと主張しました。しかし最高裁は、国政上の重大問題について議会による審議を妨げる決定は、合理的な理由がなければ許されないと結論した。全員一致の判決だったことに、最高裁の覚悟を感じます。
杉田 国民投票から3年、英国議会はのたうち回ってきましたが、政府の暴走に対して、審議を通じてブレーキをかけてきたのも事実です。与党議員が議場の真ん中を渡って野党席に移るという印象的な場面もあり、与野党が真っ向議論を戦わせています。民主主義は単なる多数決ではない。そこに至るまでのプロセスが大事なので、時間と手間がかかります。一方、日本の国会は、はぐらかしの答弁が横行し、与党議員は政府方針を追認するだけ。議論の場でなく表決だけの場と化しています。
(後略)