「主義では語れないマルクスの魅力 全集刊行への情熱今も」

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以下、朝日新聞デジタル版(2019/11/24 13:00)から。

日曜に想う
 つまり、マルクスマルクス主義者ではなかったと?

 「その通りです。彼はマルクス主義政党が主張してきたような、どんな問題にも解答をもたらした思想家ではなかった。資本論もすべての経済問題を解決する書物ではありません」

 ゲラルト・フーブマン博士はそう強調した。世界でもっとも権威があるマルクス・エンゲルス全集(MEGA)を刊行する財団の事務局長である。所属するベルリン・ブランデンブルク科学アカデミーの研究室には大きなマルクスの頭像。

 そこに答えがあるわけではなくてもマルクスを学ぶ意味はあると博士は言う。

 「彼が立てた問いが、私たちの問いとしてあるからです。どうして経済システムが失敗し不平等が広がるのか。とくに2008年のリーマン・ショック後、解決策が示されていないにしても、彼は私たちの社会がどう機能しているか考える視点を与えてくれる。それが彼を今日的な思想家にしています」

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 MEGAは1970年代にソ連東ドイツを拠点に刊行が始まった。著作に加え書簡や研究ノート、読んだ本への書き込みまで出版する徹底した全集だ。

 しかし30年前のベルリンの壁開放とその後の共産主義独裁体制の崩壊で事情が一変。マルクス主義は体制イデオロギーとして批判や憎悪、冷笑の的になり、MEGAも資金繰りに窮し危機に瀕(ひん)する。

 そのころ東ベルリンの編集部を取材に訪れた。50人ほどいた研究者は半減し、郵便配達や運転手などの慣れない職に転じた人もいたという。残った研究者たちも茫然(ぼうぜん)自失の体だった。その一人は「マルクスの著作から党幹部の演説に引用できそうな言葉を探す仕事もよくやりました。ええ喜んでやっていましたよ」と自嘲気味だった。独裁政権の崩壊は、自分たちの体制イデオローグとしてのアイデンティティーの崩壊でもあった。

 困難に見えたMEGAの刊行だが、その後、国際的な研究者ネットワークに支えられなんとか継続にこぎつける。再出発の基本方針は脱イデオロギー。「科学的、文献学的なアプローチ」で「カントやニーチェのように古典的な思想家として扱う姿勢です」

 そこからわかったのは「マルクスの議論がどれだけ未完だったかということ」と、日本から編集に携わる一人、立教大学佐々木隆治准教授は指摘する。「資本論も草稿を調べると完成していないところが見えてきます」

 残された膨大な量のメモによると、晩年は米国の金融市場の発展に注目し統計資料を取り寄せたり、資本主義社会の環境への影響を調べようと化学や土壌学の本を読みあさったり。イデオローグというより、本の虫のような研究者としてのマルクスが浮かび上がってきた。

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 経済のグローバル化が進むにつれて、各地の人々の間に不平等への不満や将来への不安が広がっている。

 「リーマン・ショック後、さまざまな思想家が将来社会ビジョンを語るときにマルクスを参照することが増えている印象です」と佐々木准教授。「昔のような教条主義的な受容のされ方とはまったくちがっていて、それはむしろ今のMEGAにとって追い風でしょう」

 たしかに、たとえば著名な仏経済学者トマ・ピケティ氏も近著「資本とイデオロギー」で、自分の分析手法はマルクス主義とはちがうと断りつつ「私的所有の神聖化」などを批判的に論じている。

 他方、政治の世界ではこの30年間で従来の左派政党は各国ですっかり衰退。代わって登場したポピュリスト政治家たちは「あなたたちを虐げているのは特権階級の連中だ」と、昔の教条主義的左翼みたいなレトリックを繰り出す。問いよりも敵がだれかわかりやすい答えを示すスタイルが人々の支持を集めてきた。

 MEGAの既刊分は67巻。最終的には110巻ほどになり、完成まで少なくともあと10年はかかるそうだ。

 完結するころ、問いに答えは見つかっているだろうか。政治は教条主義を遠ざけることができているだろうか。(編集委員・大野博人)