「中曽根康弘氏死去、その実績と闇 百年の明日 ニッポンとコリア 民族主義者として韓国を理解 元首相・中曽根康弘(なかそねやすひろ)さん(91歳)」

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以下、朝日新聞デジタルアーカイブズ(2019/1/1 0:00)から。

 ――中曽根さんが首相に就任した直後の1983年1月、電撃的訪韓で外交を始めたのを思い出します。全斗煥(チョンドゥファン)政権でした。

 「北朝鮮に向き合う韓国から安保の経済協力を求められ、前内閣で交渉がこじれて途絶していた。これを打開することが対米関係打開の第一歩でもあり、アジア政策展開の第一歩だ、と。瀬島龍三さん(伊藤忠商事元会長)に裏交渉を頼んだらうまくいって」

 ――冷戦下の日韓結束ですね。前年は日本の歴史教科書が歪曲(わいきょく)だと大騒ぎに。65年の日韓国交正常化から20年近くで首相公式訪問が初めてというのも不思議でした。

 「それまで米国ばかりを考えていたからね。私はそれをひっくり返した。韓国を真っ先に選んだから感激してくれましたよ」

 ――夕食会では韓国語であいさつし、韓国の流行歌まで。

 「風呂で発音を繰り返したり歌の練習をしたり。『チョンドゥファン・テートンニョンカッカ(全斗煥大統領閣下)』って。日本は韓民族にずいぶん迷惑をかけてきた。韓国の民族意識を考えたらそうしなければと思った。反省と協力を行動で示す必要があった」

(後略)