以下、朝日新聞デジタル版(2020年5月5日 16時00分
「休校で仕事を休んだ保護者に助成金を出すが風俗業は対象外」「保育園・幼稚園職員にマスクを配布するが朝鮮学校幼稚部は対象外」――。新型コロナウイルスをめぐり、政府や自治体の差別的な運用が明るみに出て、批判される事例が目立つ。こうした施策は、非常時における感染拡大防止の観点からは、明らかに不合理だ。にもかかわらず差別が起きるのはなぜか。背景を考えた。
「今回の非常事態で急に何か特別な差別が始まったのではなく、普段の差別や不平等が『見える化』されたにすぎない」。外国人児童の調査・支援を行う小島祥美・愛知淑徳大教授は、雑誌「世界」5月号の対談でこう語った。
さいたま市は3月、保育園・幼稚園の職員にマスクを配布したが、朝鮮初中級学校幼稚部が分類される「各種学校」は「市が監査できる所管施設でない」という理由で、当初配られなかった。小島さんは、各種学校に通う子どもや学校に通っていない約2万人の外国人の子どもは、平時から基本的権利である「健康」が軽視されてきたと指摘する。
「国も自治体も日本の学校に通う子どもの健康を守る施策ばかりで、各種学校は法律に基づく学校での健康診断さえ実施対象外にされてきた。コロナほどの危機に直面しても、いつもの発想の延長線上で差別している。コロナは国籍を選んで感染するわけではないので、こうした不平等は日本社会全体にとってリスクとなって跳ね返ってくる」
公の政策であるから、線引きに理由は付される。マスク非配布は「所管外」であり、休校に伴う助成金から風俗業を除外した時は「雇用維持のための既存の助成金制度にある同様の規定を適用した」だけ、「差別する意図はない」と。
これらは差別ではないのか。憲法学者の木村草太・東京都立大教授は、「政策の目的に照らして合理的な線引きか」を判断基準として挙げる。「感染症予防というマスク配布の政策目的に対して、学校の管轄は無関係なはず」と批判する。
木村さんはマスク非配布の先に、より深刻な「命の選別」が起きるのではと懸念する。たとえば今後、人工呼吸器が不足し、使用者の優先順位を決めなくてはいけない局面。「命が助かる可能性の高さと無関係に、『国籍を保有しているか』どうかで優先度が決められることがないか」。
さらに、これまで差別の対象ではなかった人たちが、新たに差別される現象も起きている。感染者や、医療関係など特定の職業、感染が広がっている都道府県に滞在した人たちが、ターゲットになっている。
差別というと、ヘイトスピーチのような積極的な「攻撃」や、本来持つ権利からの「排除」がイメージされる。しかし木村さんは、「差別が起きないための合理的配慮」ができるはずの行政などの不作為も、差別の一種だと考える。
「合理的配慮」とは具体的にどのようなものか。木村さんは、「医療感染者は感染している」という印象を市民に持たせないよう病院の感染症防護を支援する、あるいは、差別は許さないというメッセージを強く打ち出す、などを挙げる。こうした施策が十分でなく、新しい差別を見過ごしている、という。
夜の街での感染が多かったことを発表する際も、伝え方次第で、「感染者は遊んでいる人」という偏見や、そこで働く人たちへの偏見を植え付けるとし、情報発信に工夫が必要だとする。
容易に新しい差別が生まれる背景は何なのか。
「日本には、生きていることを無条件で保障するという生存権の発想が乏しいことが根にあるのではないか」。労働・貧困問題に取り組むNPO「POSSE(ポッセ)」の今野晴貴代表は話す。「行政は、『自助努力をしたなら』『まず所属企業が金を出すなら』と、支援に条件をつける。困っている人や貧しい人は何か問題があるのではないか、という偏見がある」。そのため福祉の基本スタンスが、「不正受給しようとしていないか」といった犯人捜しになっているという。
コロナによる経済的打撃は先を見通せない。困窮する人が急増して少数者でなくなっても、「犯人捜しモード」を急には変えられず、一刻を争う生活保障の施策で厳格な手続きを重視したり、給付金を出す窓口を「信頼できる」企業や世帯に絞ってしまい弱い立場の人に届かなかったり、といった政策が出ている、と今野さんは警戒する。
コロナの非常時に垣間見えてきたのは、一人一人がいつ差別される側になり、生存権を脅かされるかわからない、そんな日本社会の姿だ。
ただ、ほのかな希望も見える。風俗業の除外をはじめ、いったん差別的な政策が決まった後に、抗議の声が上がって撤回・修正される事例も目立っている。木村さんは、訴訟などによる事後的な解決を待つ時間的余裕はない状況下で、「その都度批判の声を上げて改善を求めていくことが必要だ」と語る。(高重治香)