「平等訴える#BLM なぜ人種も世代も巻き込んだのか」

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 以下、朝日新聞デジタル版(2020年6月21日 18時00分)から。

 米ミネソタ州ミネアポリスで5月25日、黒人男性のジョージ・フロイドさん(46)が白人警官から首を圧迫されて亡くなった事件をきっかけに、抗議デモが米国だけでなく、全世界に広がっています。スローガンとして叫ばれるのは「Black Lives Matter」(BLM、ブラック・ライブズ・マター)ですが、この言葉にはどのような歴史や背景があるのでしょうか。アフリカ系アメリカ研究を専門とする、慶応大法学部の奥田暁代教授に聞きました。


  ――BLMの起源を教えてください。
 「2012年2月に米フロリダ州で、黒人のトレイボン・マーティンさん(当時17)が白人の自警団員に撃たれて死亡する事件がありました。自警団員は殺人罪で起訴されましたが、翌年に無罪となります。この判決に対し、米国各地で抗議デモがあった際、コミュニティーオーガナイザーの女性3人がSNS上で『#BlackLivesMatter』というハッシュタグをつけたのが最初とされています」
 「3人のうちの1人、アリシア・ガルザ氏は『これまでの様々な運動に立脚している』と話しています。その目的は『黒人が米国社会に完全な形で参加できること』。つまり、人としての価値が他の人種と同等に尊重(リスペクト)され、尊厳(ディグニティー)が守られることです」
 
 ――女性3人が始めたんですね。
 「そうです。ただ、警察官による黒人コミュニティーへの暴力は、ずっと言われ続けていることです。警察というのは自分たちを守るべきなのに、監視、管理する。であれば、警察のために使っているお金を、教育や医療に回してほしいという訴えです」
 「『BLM』だけだとわかりづらいのですが、彼女たちが求めているのは、家族を養える賃金が担保され、住宅や雇用が保証されることでもあるのです。言い換えれば、最低限の生活が守られ、人としての尊厳を持って生きられることを求める運動です」
 「デモでは、これまでに亡くなった黒人たちの名前が連呼されますよね。なぜかというと、あまりにも多すぎて、忘れられてしまうことを恐れているからではないでしょうか」

 ――これまで警察が黒人を死なせた事件の多くでは、警官の刑事責任が問われなかったり、無罪になったりしています。
 「これも昔からの傾向です。たとえば1979年、フロリダ州で起きた事件が思い浮かびます。元海兵隊のアーサー・マクダフィーさん(当時33)が信号無視をしたとして、複数の警官から暴行を受け、数日後に亡くなりました。警官はみな、翌年に無罪になりました。その結果、『マイアミ暴動』が起きます。当時の黒人たちのインタビューを見ても、『sick and tired』(もううんざり)と言っています。40年以上たった今も、同じ言葉を言っていますよね。くり返し、くり返し、同じようなことが起きても、改善されてこなかったからです。しかも、警官を守る法律はたくさんあり、組合も強いです。圧倒的に警官が『守られる』立場なんです」


刻まれてきた事件の記憶
 ――BLMの運動の背景には、長きにわたって「命の重さ」に違いが出ていたんだ、ということがあるのですね。
 「そうですね。1991年3月には、カリフォルニア州ロサンゼルスで、スピード違反で検挙された黒人のロドニー・キングさんに対し、白人警官4人が激しい暴行を加える事件がありました。頭蓋骨(ずがいこつ)の数カ所にひびが入るほどでした。その様子は映像にも残っていましたが、4人は翌92年、無罪になりました。これを機に、数十人が死亡、数千人が負傷する『ロス暴動』が起きます」
 「暴動の背景には、別の出来事もありました。キングさんが暴行された事件の約2週間後、ラターシャ・ハーリンズさん(当時15)という黒人少女が、ロサンゼルスで韓国系の女性店主と小競り合いになり、後ろから頭を撃たれて死亡する事件がありました。店主は起訴され、陪審員は91年11月、有罪の評決をしました。最高で禁錮16年の刑もあり得ましたが、裁判官が言い渡した量刑は5年間の保護観察と500ドルの罰金、地域での奉仕活動でした」


 (後略)

 

 (ニューヨーク=藤原学思)