「「批判的な研究者を狙い撃ち」 任命除外、識者の見方は」

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以下、朝日新聞デジタル版(2020/10/3 9:00)から。

江藤祥平・上智大准教授
 「日本学術会議」が推薦した会員候補のうち6人が任命除外された問題。憲法学者らからは「学問の自由」が侵害されると批判があがった。いったい何が問題なのか、3人の識者に聞いた。

 東京都立大の木村草太教授(憲法)の話

 憲法23条が保障する学問の自由には、「個人が国家から介入を受けずに学問ができること」と、「公私を問わず研究職や学術機関が、政治的な介入を受けず自律すること」の二つが含まれる。学術の観点から提言をする日本学術会議は、学術機関の一種だ。

 憲法23条は「公的学術機関による人選の自律」も保障しており、今回の人事介入は学術会議の自律を侵害している。学問の自由に、公的研究職や学術機関の自律が含まれるのは、一般的な解釈だ。

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 江藤祥平・上智大准教授の話

 「学問の自由」を保障する憲法23条は、明治憲法時代に起きた滝川事件や天皇機関説事件など、学説が国家権力に侵害された歴史を踏まえて作られた。自由を守る手段として、研究者の人事が大学の自主的な判断に基づいて行われることが大切だと、最高裁判例は明快に語っている。

 今回の任命拒否で問われているのは、この自主的な判断への介入の当否である。日本学術会議は大学ではない。しかし、日本学術会議法が冒頭で「科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命」とすると明記していることを考えれば、同会議が「学問の自由」の実践と深くかかわる組織として設立されたことは明らかだ。3条で職務の独立性を強調しているのも、同会議の自律性を大切にしているからにほかならない。

 さらに17条は、同会議の会員への推薦の基準を「優れた研究又は業績」という専門家集団でなければ判断しえない事柄に委ねており、そうした知見を持たない内閣の任命拒否を想定していない。

 こうした同会議の特質を考えると、理由を明らかにせず候補者の任命を拒否するのは、同会議の自律性に対する侵害であり、自律性を守る盾である「学問の自由」への挑戦といえる。

 政府は「広い視野」に立って精査することは当然だと主張するが、具体的な中身を明らかにしていない。これでは政府に批判的な研究者を狙い撃ちにし、学問の萎縮効果を狙ったとみられても仕方がない。

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 9月末まで日本学術会議会員を2期6年務めた明治大学の西川伸一教授(政治学)の話

 学術会議は、政府の施策について独立した学術的な観点から提言する。任命するのは首相だがそれにおもねる機関ではない。その中から特定のメンバーだけを排除すること自体が、学問的な専門性に対する敬意を欠き、研究者の名誉を損ねる行為で、言語道断だ。

 安倍前首相のもとでは、集団的自衛権の行使容認のため内閣法制局長官を交代させるなど、意に沿わなければ、慣例を破ってでも人事に介入して政策を進める手法がとられてきた。第三者的な役割が期待される機関の独立性を保つなど、慣例が持っていた意味を顧みることはなかった。菅政権もその本質が変わらないことがあらわになった。

 今回はさらに、任命拒否の目的や理由さえ説明しようとしない。政府に批判的な人を狙い撃ちで排除したとしか思えないが、あえて不明確にすることで、研究活動の萎縮や忖度(そんたく)を狙っているとも考えられる。「たてつくと不利益がある」という無言の圧力であり、今後への影響も大きいだろう。(佐藤恵子、豊秀一、千葉雄高)