「ハンク・アーロン氏死去 大リーグ歴代2位の755HR」

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以下、朝日新聞デジタル版(2021/1/23 10:41)から。

 大リーグの通算本塁打で歴代2位の755本の記録を持つハンク・アーロンさんが22日に死去したと、ブレーブスが発表した。86歳だった。死因は明らかにしていない。

 米アラバマ州出身。今は消滅したニグロ・リーグからプロ人生をスタートし、1954年にミルウォーキー(現アトランタ)・ブレーブスで大リーグデビューを果たした。57年に44本で初の本塁打王に輝き、63年(44本)、66年(44本)、67年(39本)にもタイトルを獲得した。74年4月8日に当時の大リーグ通算本塁打記録だったベーブ・ルースの714本を抜いた。

 76年に引退するまで、大リーグ通算23年間で30本塁打以上を15度マークし、通算755本塁打は07年8月にバリー・ボンズ選手に抜かれるまで大リーグ記録だった。通算2297打点、同6856塁打はともに現在も大リーグ記録。通算打率は3割5厘で、3771安打は大リーグ歴代3位。82年に米国の野球殿堂入りしている。

 99年にはオールラウンドな活躍をした打者に贈るハンク・アーロン賞が設立された。

 74年に来日し、巨人の王貞治・現ソフトバンク球団会長と後楽園球場で本塁打競争をした。王会長が77年にプロ野球通算756号本塁打を放った時には、アーロンさんの持つ世界記録を更新したと大きく報じられた。その後2人は世界少年野球大会の開催を提唱し、90年に第1回大会が開かれた。

王貞治会長「メジャーの選手のかがみ」
 ソフトバンク王貞治会長は球団を通じて「755本という当時の世界記録を作り、ホームラン数もヒット数も打点も全てにおいてすごかった。長く現役でやって、すごくジェントルマンだったしメジャーリーグの選手のかがみだった。世界少年野球推進財団では彼はアメリカを、私は日本をということで一緒に世界に野球を広めようとスタートした。体が動いて元気だった時は毎回のように来てくれて子供たちの野球の普及に貢献してくれた。つい最近は毎回というわけにはいかなかったけれどそれでも常に心がけてくれた。とにかく素晴らしい野球人生だったと思う。色々とありがとうございました。ご冥福をお祈りします」とコメントした。