「「僕は小商人のせがれ」 市井の目線貫いた益川敏英さん」

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以下、朝日新聞デジタル版(2021/7/29 21:15)から。

 「僕は小商人(こあきんど)のせがれ」。23日に死去した京都大名誉教授の益川敏英さんがあるとき、ふと口にした言葉だ。実家は戦後、名古屋の市内で砂糖商を営んでいた。そのせいか、高校に入るまでは「科学者という生き物がいるという意識すらなかった」という。

 日本の素粒子論の先駆者には、国内初のノーベル賞受賞者湯川秀樹さんや2人目の受賞者朝永振一郎さんがいるが、いずれも父親は著名な大学教授だ。益川さんが名古屋大学時代に師事した坂田昌一さんの父も高級官僚だった。「小商人」のひと言には「自分は違う」「町の育ちだ」という自負が感じられる。「市井」という意味の町である。

 町には町の知的文化がある。父は若いころ電気技師志望で、家具製造業を営んでいたこともあり、職人風の好奇心が強かった。もののしくみが気になって仕方がない。電車のドア開閉装置の知識を独学で仕入れ、得意そうに語ってくれた。銭湯への道すがら、月食の話をしてくれたこともある。益川さんが学者らしくない学者になった背景には、そんな少年時代があった。

ノーベル賞の発想、ふろから出た時に

(後略)

(元朝日新聞科学医療部長・尾関章)