日本はいつからこんなに不自由な社会になってしまったのか 高校生の表現の自由が危ない 高校演劇「明日のハナコ」を救え!

 福井県の高文連(高等学校文化連盟)。高校生の演劇部の活動で、表現の自由をめぐって問題が起こっている。現在の日本がいかに不自由なのか、いかに子どもの権利条約が無視され子どもの自由が奪われているのか、いかに大人が無自覚で堕落しているのか、よく理解できる象徴的な問題になっているように思う。

 これを伝えている新聞記事をふたつ紹介しておく。

 以下、中日新聞(2021年11月17日 05時00分 (11月17日 10時05分更新))より。

www.chunichi.co.jp

 以下、福井新聞(2021年11月17日 午前7時20分)より。

www.fukuishimbun.co.jp

 新聞記事のタイトルを見ると、福井県の高校演劇作品がセリフに差別用語が入っていることから公開されない扱いとなったように受け取れる。福井の演劇祭は毎年放映されているようだが、今回はコロナ禍のため無観客公演となった演劇祭なので、該当高校の作品だけ放映されなければ、全く公開されないことになる。努力して公演にこぎつけたであろう該当高校の演劇部の生徒にとってみれば、なんら報われることのない今回の高文連の扱いは極めて冷たく過酷なものだ。

 以下のYouTubeでは、今回問題とされた福井県の該当高校の指導員(元顧問教師)の説明を聞くことができる。ひとつの高校の演劇作品だけが、どのように放映除外され、台本回収となったのか、その経過が透けて見える。

 放映除外と台本回収の判断をした主催者(県高校演劇連盟・県高校文化連盟演劇部会)側は、原発を扱っている、差別用語が使われている、批判的にとりあげた個人の氏名が使われているなど、いくつかの理由を挙げているようだが、第三者からみると、差別用語やその他の理由は、タメにする議論ともいうべき後づけで、最も大きな理由は、原発は救いがないという、作品のもつ原発批判が問題となったのだろう*1。福井ケーブルテレビは、原発から資金援助を得ているようで、放映の適正について主催者(県高校演劇連盟)側に問い合わせたという。この問い合わせを受けて、各校の演劇部を担当する顧問の先生方による会議が開かれ、結果的に、「演劇祭の様子は十二月に地元の福井ケーブルテレビで放映される予定だったが、県高文連側がこれらの懸念を伝え」、「明日のハナコ」だけ、「放映しないことになった」。また「この作品のDVDは作らず、脚本は顧問が管理し、生徒の手に渡らないようにすることなども決めた」ようだ*2*3。こんな決定がなされた背景には、原発を批判する作品は放映除外・台本回収になっても仕方がないという「忖度」(先回りした服従)が働いた可能性があると想像される。となれば、これはケーブルテレビ側からの「問い合わせ」というより、作品の内容に干渉・介入するためと表現したほうが適切ではないのか。

 高校演劇界で、高校生が自由に表現することが許されない状況になっていることを心から憂うが、これは単に憂えていればよいという問題ではない。

 子ども(高校生)の表現を守ろうとする大人であろうとするのか、子ども(高校生)の表現を守ろうとしない大人であろうとするのか、という子どもの人権、子どもの権利の問題であるからだ。

 日本が1994年にようやく158番目に批准した子どもの権利条約にも違反するのではないか*4

www.youtube.com

 

 以下のサイトで「明日のハナコ」台本が読める。

 ざっと斜め読みしたが、重たいテーマを扱った重厚な作品というより、むしろユーモアあふれる面白い作風で、かつ観客(聞き手・読み手)に考えさせてくれる優れた作品という意味で、なんら問題になる箇所は見当たらなかった。

 この水準の作品・台本が許されないとは驚きだ。

 次の台本を是非読んでほしい。この台本を読めば、現在の日本がいかに不自由な社会になってしまったのか、よく理解できるだろう。

ashitanohanako1108.wixsite.com

 

 先のYouTubeで司会を務めていた北丸雄二氏の東京新聞のコラムを紹介しているブログがあった。

 孫引きで恐縮だが、以下、北丸雄二氏のコラムも紹介しておく。

「明日のハナコ」北丸雄二【21/11/19東京新聞・本音のコラム】/高校演劇作品 公開せず 県高文連「せりふに差別用語」【11/17日刊県民福井】silmarilnecktie.wordpress.com

 作品が除外された顧問の先生はすでに教職を退職しているため、元教師・演劇部元コーチという身分だそうだが、今回の問題に対して、自主上演運動を展開し始めているとのことだ。

 ところで「明日のハナコ」の登場人物は、女子学生二人だけだ。これは全くの想像だが、部員数が少なくても上演可能な台本になっている。それは元顧問教員のまさに現場感覚から生まれた創意工夫ではないのか*5。今年はコロナ禍で、無観客の演劇祭だったらしいが、各高校演劇部の高校生たちは練習と公演準備に力を込めたことだろう。個人的にはその生徒たちを全く知らないのだけれど、「明日のハナコ」を演じた女子高校生と部員たちは、今回の、県高文連の決定でどれほど傷ついたことだろうか*6

 高校生の表現の自由を侵害することは許されない。

 高校演劇から表現の自由を奪うことは許されない。

 県高校演劇連盟、県高文連演劇部会の顧問会議は、そもそも高文連の原点に立って*7文化破壊を止め、そして何より教育の原点に立ち返って、文化創造擁護の立場で、「明日のハナコ」の排除を撤回すべきだろう。

 

 以下が支援のサイト。

www.change.org

*1:本作品を執筆するにあたっての参考文献に小出裕章氏の著作が並んでいた。

*2:「…作品のDVDは作らず、脚本は顧問が管理し、生徒の手に渡らないようにする」という「決定」は、本当にそんな「決定」を高文連演劇部会の顧問会議が決めたのか、にわかには信じがたい。これをもし教員が決めたとなれば、それを堕落と言わずして何と表現してよいかわからない。

*3:中日新聞によれば、「県高文連演劇部会長を務める丸岡高校の島田芳秀校長は、取材に対し「子どもたちを守るための判断で、問題はない」と述べた」という。

*4:子どもの権利条約第13条の「表現の自由」。

*5:実際、劇の内容は、部員数減による活動継続が難しい演劇部の状況が背景になっている。

*6:こうした決定を受けて、傷つかない生徒がいるはずもない。そうした決定をしたのが教員によって構成される顧問会議だというのが一層悲しい。

*7:公益社団法人全国高等学校文化連盟(略称:全国高文連)は、高校生の芸術文化活動を広く支援することにより、高校生の健全な育成に資することを目的に活動を行っている全国組織です。
高校生の文化活動の向上のために、「全国高等学校総合文化祭」の開催を始めとした高校生の芸術文化活動に関する諸事業や、研修会・講習会、調査・研究などを行っています」とある。全国高文連とは | 全国高等学校文化連盟 (kobunren.or.jp)