次に訪ねるべきは、ランギアオヒアである。
テ アワムツのインフォメーションセンターで、ランギアオヒアへの行きかたを訪ねる。
ランギアオヒアには、テ アワムツからケンブリッジ方面に4.5キロほど向かい、マンディーノ道路(Mandeno Rd)で右折し、どん突きを、右折するとすぐ左側にあった。
Site 19-Rangiaowhia
1864年の頃までにランギアオヒア(Rangiaowhia/Randiaohia)は、オークランドを市場とする小麦、とうもろこし、じゃがいも栽培の農地として発展していたという。あたりは、ワイカトの田園風景が広がり、向こうには、例のピロンギア山も見える。
二つの教会、ひとつはローマカトリック、もうひとつはアングリカン教会にはさまれたランギアオヒア道路沿いのランギアオヒアには、小麦小屋、店、学校などがあったという。
しかし、1864年2月21日、ニクソンの騎兵隊がランギアオヒアに突然乱入し、12人のマオリがこの朝に殺されて、さらに12人のマオリが囚われの身となり、33人の女こどもが拘留されたという。
イギリス軍のニクソンもこの戦闘で殺されたようだ。
1856年に建てられた聖ポールアングリカン教会*1だけが、ランギアオヒアの戦争当時の建物として現存していて、この教会は現在も使われている。
1864年、ランギアオヒアの闘いのあと、イギリス軍はここに砦を建設したという。
聖ポールアングリカン教会の前でデジタルカメラで教会の撮影をする。
トラクターを運転している農夫が、何かなとこちらを見ているので、挨拶をしたら、笑顔で挨拶が返って来た。