ステルス作戦なんかに騙されない、本質をつかめる観察力を 教育的社会を 市民と野党の共闘を

 東京都知事選についてのわたしの素人予測は、小池百合子氏に蓮舫氏が猛追。その差10ポイントから、さらに僅差で、いずれにしても小池百合子氏と蓮舫氏の争いで勝敗が決まる。小池氏か蓮舫氏のいずれかが都知事に当選して、石丸氏は第三位と予測していた。希望的に過ぎるかもしれないが蓮舫氏の勝利も可能性ありとすら予測していた。

 しかし、結果は、投票率60.62%で、小池百合子氏が、291万票(42.77%)。石丸伸二氏が、165万票(24.30%)。蓮舫氏が、128万票(18.81%)となった。

 東京都知事選について素人ながら個人的な総括めいたものはすでに書いた。

amamu.hatenablog.com

 補足的に、今回は、ステルス作戦とは何だったのか、そして市民と野党の共闘の課題について、一言つけ加えたい。

 さて「ステルス」(Stealth)とは、なにか。「ステルス」とは、「レーダー機器に発見されない軍用機をつくるシステム」 (a system of making military aircraft that cannot be discovered by RADAR instruments) をいう。「ステルス」とはそもそも物騒な軍事用語なのだ。

 小池百合子氏は、現職の強みを生かし、事前運動的に、防災ブック配布や、これは大きな批判のネタになってしまったがプロジェクションマッピングでの「宣伝」。選挙前後も、「公務」と称して、選挙運動まがいのメディア露出を続けた。これは「候補者」としての立派な宣伝なのに「公務」という着物を羽織って「候補者」という姿を隠したわけだ。当然公開討論会からは逃げる。まさに「ステルス」である。

 自民党公明党の支援は、公明党は裏方に回り、とりわけ裏金・自民党、萩生田自民党の応援はマイナスになるということから、完全に封印。自民党はもちろん公明党の表立っての応援演説は一切おこなっていない。東京都議会においては都民ファ自民党公明党、そして都庁役人に、「答弁拒否」「答弁差別」ができるほど鉄壁の不正な守りであるにもかかわらず、演説会では、政党色の見えにくい区長レベルの応援演説にとどめている。言いたいことは、小池百合子氏の本質は、自民党公明党都民ファ、おそらく国民民主も、もちろんディベロッパーや電通、カルトなどに熱烈に支援されているにもかかわらず*1、「無党派」を演じている、否、「無党派」を演じられるということだ。そこに騙され、つけ入れられて、投票してしまう無党派層がいるということである。

 まさに小池百合子の正体を見せない「ステルス」作戦ではないか。

 「ステルス」とは、相手に発見されないシステムなのだから、まさに、わからぬよう「騙すシステム」ということだ。冗談になってしまうが、「ステルス」などというカタカナ語にだまされてはいけない。

 次に、二位になった石丸氏は、どうか。

 当初、維新に言い寄られたが石丸氏が断ったというようなニュースをどこかで聞いたことがある。わたしもそんなものかと思い込まされたが、石丸氏などチェックしていなかった私は、今となっては、あれは「無党派」であることを強調する演出だったのではないかと、今となっては思えてならない。というのも、以下のニュースを見たからだ。

 

www.msn.com

「石丸伸二氏から支援依頼あった」 維新幹部が明かす 都知事選巡り (msn.com)

  この記事から少し引用する。

音喜多氏は知り合いに紹介されて石丸氏と面会したといい、石丸氏側から「維新は政策も近い。支援をお願いできないか。ただ政党色は付けたくない」と依頼されたと説明。音喜多氏は支援の条件として「維新と政策協定を結んで推薦を取ってもらう形」を望み、折り合わなかったという。「(維新側から)推薦を申し入れて断られたという認識はない」と語った。

 今のマスコミでは、ほとんど報道しないため(マスコミ自体がステルスだ!)、私も、わざわざ調べざるをえず、調べたのだが、そもそも石丸氏に眼をつけたのは、安倍元首相夫妻との親交でも知られるドトールコーヒー創業者の鳥羽博道名誉会長といわれている。石丸氏の選挙参謀は、「選挙の神様」の異名をとる事務局長の藤川晋之助氏。藤川氏は、大阪市会議員を2期つとめ、東京維新の会事務局長を歴任した選挙プランナーである。選対幹部には、自民党都連最高顧問の深谷隆司通産相の娘婿で選対幹部の小田全宏氏がついている。背後には、ドトールKDDI、貸会議室のTKPらがちらつく。

 これでは、「無党派」どころか、自民や維新の発射台に乗る候補とどこが違うのか。

 けれども、大手マスコミや、ネットのミニコミですら、石丸氏は、「かたちは「無党派」だが、その実態は、これこれこういう支援もしっかりとついている」と、選挙期間中に何故大々的に報じないのか。

 実態は、今の日本の言論状況では、こうした事実を伝えるメディアは、少しの、あちこちの週刊誌くらいだ。いわば、ステルスというべき状況で、こんなステルス作戦実行中のマスコミ・ミニコミだから、真実を知るには、時間もお金も、コストがかかる。そんなことをやれる暇な有権者は少ないから、大方、本質も実態もわからぬまま投票日となってしまう。

 東京維新の会の幹事長・音喜多氏がまさに「石丸氏側から「維新は政策も近い。支援をお願いできないか。ただ政党色は付けたくない」」と語っているように、明らかに、石丸氏は、少なくとも維新的であり、「政党色は付けたくない」と、小池百合子氏と同様に、まさにステルス作戦を採用したのだ。

 なぜ、ステルス作戦なのか。

 それは、既成政党や財界とは無関係で、「無党派」・市民派を装うことができること。そしてその分注目を浴びる可能性があるからではないのか。そうして有権者を騙せるからだ。

 たとえば、仮に、「維新の石丸です」と政党色をつけたら、有権者にはこれまでの維新の実績からなんとなく正体が透けて見えるだろう。維新の候補者ということで判断をつける有権者は多いだろう。現在、維新は大阪万博で人気をかなり落しているから、仮に「維新の石丸」だったら、票数は伸びたのか、減らしたのか。想像の域を出ないが、減らしたのではないか*2

 私が強調するまでもなく、6割弱が無党派層といわれる大票田の東京都知事選では、イメージが(も)重要なのである。

 東京都知事選では、無党派にどう食い込むか、食い込めるかが最重要課題のひとつであることは言うまでもない。

 一方、今回、大方の予想に反して、三位に沈んだ蓮舫氏は、どうだったのか。

 わたしは、小池百合子氏の三選だけは何としても阻止したいと考えていたので、「反自民・非小池」を打ち出した蓮舫氏を支持していた。自民の、公明の、ウソつきの、小池百合子氏だからこそ、日本の民主主義のために、その三選を絶対に阻止しなければならないと考えていた。

amamu.hatenablog.com

 今回の選挙戦で、蓮舫氏の決意表明。そして、立憲民主党を離党し、まさに無党派候補者として、オール東京の支援を呼びかけたことに、特段蓮舫氏のファンでもなかったわたしでも、拍手喝采をした*3立憲民主党共産党・社民という既成政党をコアな跳躍台であったことに安心感を得て、さらに広く無党派有権者に支持を広げるために、一人ひとりの市民にまさに決起・一揆ともいえる「ひとり街宣」にわくわくし、新宿駅前の若者のライブコンサートのような街頭宣伝に興奮し、該当演説会の、蓮舫氏はもとより、立憲民主や共産党の志位氏や「良いほうの」小池氏*4の演説にも熱いものを感じた。久し振りの聴衆の結集に熱気を感じた。

 けれども、6割弱が無党派層といわれる大票田東京の都知事選では、やはり、無党派層有権者に声を届ける点では全く足りてなかった。蓮舫選対は、そこまでの余裕がなかったのかもしれないが、無党派有権者に声を届けることをもっと最重要視すべきだったのではないか。その意味で、既成政党がコアな発射台を形成しながらも、応援演説には、もちろん既成政党の大物政治家も街宣カーに上がってよいのだけれど、さらに多くの言論人(大学教授や弁護士、作家、映画監督、映像作家、シナリオライター、ジャーナリスト、放送キャスター、スポーツ評論家、等々)や市民(会社員、建築家、商店、幼稚園や保育園、医者、看護婦、社会福祉関係、等々)、若者(ジェンダー活動家、気候変動活動家、環境活動家、原発活動家、インフルエンサー非正規労働者、アルバイト、学生、ミュージシャン、ダンサー、ラッパー、スポーツ愛好家、中間層、等々)、芸能(俳優、落語家、お笑い芸人、歌手、アーティスト、等々)と、広範囲に、まさに広げに広げなければならなかったのではないか*5

 美濃部都政の頃の宣伝カーに言論人や芸能界のきら星のような著名人の氏名が書かれた垂れ幕をSNSで見たが*6、現在が当時よりもより困難な時代であることは重々承知しているが、その意味で、市民と野党の共闘をもっと骨太に多彩に広範囲に展開したいところだ。否、しなければならないのではないか。現職の都知事を破るには、やはり、時間をかけた周到な政策の練り上げと体制と準備が必要ということではないか。

 また、小池百合子氏や石丸伸二氏の、こんな簡単なステルス作戦くらい、簡単に見破ることのできる観察力を養う教育が必要だ。

 もちろん、権力に支配されたマスコミからのほとんど皆無にひとしい、そして偏った情報提供。シティズンシップ教育どころか、教科としての道徳が導入されている学校らしくない学校と教育らしくない教育。清濁合わせ持つネットのSNSYouTube。こうした、ある意味では、非教育的な社会環境のなかで、ステルス作戦なんかに負けない、本質をつかめる観察力を身につけられる教育的な社会をつくること。本当の意味で、市民と野党の共闘をすすめることが必要ではないか。

 東京都知事選は、小池百合子氏の”圧勝”に終わったが、圧勝といっても、前回より70万票も減らしている。そして、ステルスでない戦線。たとえば、東京都議補選では、自民党は、2勝6敗と、惨敗している。

 ステルス作戦なんかに騙されない、本質をつかめる観察力を身につける必要がある。そうした教育的な社会をつくる必要がある。そして市民と野党の共闘をさらに前進させなければならない。

*1:当然予想されることだが、実際は小池百合子氏側から依頼もしていたようだ。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/357308

*2:開票当日、出口調査の段階で2位に浮上した石丸伸二氏のインタビューがかなりの不評でその人気と評判をかなり落としているらしい。MSN

*3:蓮舫氏の決意表明のタイミングと内容はすばらしく、ブログに記事を書いたほどだ。【2024東京都知事選】おいちゃん(森川信)の「効いたねぇ」と室戸半兵衛(仲代達矢)の「これまでですな」 - amamuの日記 (hatenablog.com)

*4:言うまでもなく日本共産党小池晃氏のこと。

*5:もう一つ重要なテーマとして、メディアをどう立て直すのかという問題がある。メディア全般が激しい変化にさらされている中、テレビや大手新聞をどう立て直すのか。そしてネットの世界をどう活用するのか。あらたな「ひとり街宣」や全戸配布やビラまき等をどう活用するのか。メディア全体の再構築の問題を避けて通ることはできない。

*6:有田芳生氏のXより。経済学者の大内兵衛氏や俳優の渥美清さんの名前が見える。https://x.com/aritayoshifu/status/1807232021296734682?t=s1t8aC2rJbzU6wIIoKWbxQ&s=19

東京都知事選・選挙結果から見えてきたもの ―「市民と野党の共闘」を整えよ―

 投票率60.62%で、小池百合子氏が、291万票(42.77%)。石丸伸二氏が、165万票(24.30%)。蓮舫氏が、128万票(18.81%)。

 東京都知事選は、小池百合子氏の圧勝に終わった。

 また石丸伸二氏が大健闘し、二位に躍り出て、蓮舫氏は三位にとどまるという、市民と野党の共闘候補の蓮舫氏を推していた者としては、たいへん残念な結果に終わった。

 小池百合子氏は当選したが、当選しても今後はさらにイバラの道だろう。自民党にいたってはさらにイバラの道だろう。たんなる印象記に過ぎないが、その都知事選を少しだけ振り返ってみたい。

 蓮舫氏の決意表明。その記者会見は、まことに見事だった*1。まだ立候補を表明していなかった小池百合子氏にたいして、みごとな一撃だったと高く評価している。蓮舫氏が、オール東京の候補者として、立憲民主党を離党したことも当然のことだった。

 この蓮舫氏の一撃にたいし、現職である小池百合子氏は、バラマキ政策、「公務優先」を利用して、いまだ立候補しない現職という「絵」を最大限活用して毎日のように宣伝し、いざ立候補を表明する場面では、赤ちゃん・子育ての「絵」の演出をおこない、その立候補後には、公務を強調しつつ、公開討論会からも逃げ腰で可能な限り回避し、現職と都知事候補者の姿も区別がつかぬよう、訪問先のさまざまな「絵」を活用して、これは全くの勇み足だったが、都知事定例会見インタビューで囲いの記者に選挙戦に触れられると、現職の発言なのか、候補者の発言なのか、まぜこぜになり、公職選挙法違反ではないかと訴えられるほどに、切り取られる「絵」を考え続けた。クリーン(清潔)に見えてかなり汚いダーティな(汚い)手口だ。

jbpress.ismedia.jp

 市民からの批判が高じて、実際の選挙戦では、小池百合子氏が、有権者の前に立てば批判されたり野次られたりする可能性があるため、そうした「絵」はなんとしても避けたいがために、「川上戦術」という美名のもとに八丈島から街宣を始めた小池百合子氏。業界にネジを巻き、自民党公明党の支援もひたすら隠すステルス作戦。実際、選挙後半に有権者のまえに出れば、新宿や銀座の街宣で、反小池プラカードが立ち並び、やめろコールが起こり、警察や都民ファに警護されながら、学会などの動員以外は、有権者のあつまりは、ひところの人気からすれば、淋しいものだった。実際、前回の得票数を70万ほど減らした。

 一方、蓮舫氏がなんとしても都知事になってもらいたいと願うものが、非正規やパワハラ被害者など、危機意識から決起した市民が、次から次へと、「ひとり街宣」に立ち、少なくとも、727駅で、3000人。全国でも「ひとり街宣」の輪は広がり、政治参加のあらたな一大ムーブメントを生み出した。

s-newscommons.com

 そもそも、神宮再開発にたいする坂本龍一氏の訴え、世界に広がる反戦運動、悪事に加担する会社の不買運動、裏金・自民への怒り、地方選挙での野党候補の勝利、大学の学費値上げ反対から、「あなたと次の東京へ」という都知事選の運動につながっている。新宿駅前バスタの若者たちの創意工夫にあふれたイベントも画期的であったし、街頭演説会でも、その結集は近年見ないほどの政治集会となった。

https://x.com/asaoka_akiko/status/1809543446245568659

 けれども、選挙結果は、冒頭で述べたとおり。蓮舫氏の支援者で愕然とした思いの人は少なくない。

 プチ鹿島氏が紹介していたが、8年前、「ぼくは小池さんと親しいほうだったけど、なにも嫌いで都知事にしたくないんじゃない。似合わないんだよ。ちらかして、あとはよろしくねと。腰をすえて仕事をするタイプじゃない。豊洲市場問題どころか、五輪への関心も聞いたことがないしね」と発言した自民党の重鎮がいたという。小池百合子氏が自民党を離れ自民党都連を批判していた頃の話だから、納得できる発言なのだが、これが、なんと萩生田光一氏の発言だという。まさに小池氏が通れば萩生田氏がついてくるの話だ。都議補選で都民ファは3議席なんとか留まったが自民は6人落選し惨敗した。

 小池百合子批判が、SNSや市民の中でこれだけ巻き起こったにもかかわらず、小池百合子氏が43%弱も得票したというのは、権力側の団結、思いつくままにいえば、デベロッパーをはじめとする財界、各利権団体、電通やテレビなどのマスコミ、自民党公明党、そして統一協会日本会議。強固なこれらの統率がはたらいた結果といえる。とりわけ権力側にすり寄るマスコミの腐敗。マスコミ改革はまさに課題であるが、大手新聞もマスコミも支配している権力は絶大なのである。

 一方、リベラル派は、政権交代と現職批判という点で徹底できず、また蓮舫氏のオール東京という打ち出しは大変よかったと評価できるが、その後の、実際のプレゼンでは、オール東京というかたちと「絵」を打ち出せず、むしろ、既成の立憲民主や共産、社民という枠組みを出ることが不十分であったと言わざるをえない。先に紹介したように、これからの未来の政治集会として傑出していたのは、新宿駅バスタ前の若者の取り組みだったが、なぜ、ああしたイベントを連続できなかったのか。もちろん、一回一回の蓮舫氏の演説会は、ひとつひとつ大盛況で聴衆も広がっていったことも事実だが、既成政党の大物議員という弁士も否定はしないけれど(あってよいが)、立憲や共産や社民だけではない、より広範囲の、オール東京という、さまざまな人々が応援しているというプレゼンには失敗したのではないか。
 結果論に過ぎないが、振り返れば、この数年間にわたる「市民と野党の共闘」の土台がいまだ脆弱で(今回、れいわ新選組は静観)、蓮舫氏の政策も、練り上げられ方が足りなかったと言えるのではないか。権力側に比して、リベラル側の準備と体制と政策の練り上げが弱かったのではないか、ということである。

 一方で、石丸伸二氏の大健闘をどのようにどのように考えたらよいのだろうか。石丸氏個人の問題ももちろんあるが、石丸氏を担いで、石丸氏を使う側の問題として、たいへん危険な動きであると危惧している。しかし、楽観もしていないが、悲観もしていない。

 ひとつには、無所属・無党派といっても、安倍晋三元首相のゴルフ仲間であったドトール会長やKDDIなどの財界人の大きな支援を受けていること。その額は2億円とも言われカンパも合わせて2億7000万円とも言われている。大阪で維新議員を二期つとめ東京維新の会の事務局長で選挙の神様と呼ばれている人物が選挙を担っていることなど、全くの無所属・無党派ではないこと。やはり、蓮舫氏の得票を割る役割が期待されていたのではないか。

 第二に、まだよくわからないが、石丸氏の手法が、敵をつくって攻撃する右派ポピュリズムに見えてしまうことだ。当然のことかもしれないが、維新的なものを感じる。たとえば質問されると、質問には答えず否定から入ったり、政策の訴えよりも、YouTubeSNSの切り取りを利用して、ビジネスにつなげる動きだったり。政策よりむしろ、基本は損得重視の、コスパ重視の「改革」を強調する改革保守、内面化した「自己責任論」を強調する内面化した新自由主義的ではないかと。

 この20年間のネット業界で、わたしはホリエモン的なモノや切り抜き動画を使ったヒロユキ的なモノを十分に観察していないが、石丸伸二氏は、そのホリエモンやヒロユキやコイケユリコ的なモノを合わせ持った存在ではないかというような印象批評をポリタスTVで聞いた。よくわからないが、そんなものかもしれない。都知事選後のインタビューをいくつか見聞きしたが、ハラスメントを感じられる人物であることに驚いた。

 投票率60.62%で、小池百合子氏、291万票(42.77%)と石丸伸二氏、165万票(24.30%)で、合わせて67%。それに対して、蓮舫氏は、128万票(18.81%)であり、4割は無投票。
 コアな権力側がカルト組織票とマスコミ支配と拡散ビジネス商法で、結果として7割弱が持っていかれている。この部分の中に、どれほど騙されている選挙民の数があるのか。小池百合子氏の得票は、強固なものなのか流動的なのか。学校での、そして社会でのメディアリタラシー教育は急務である。
 市民と野党の共闘を支持する者としては、蓮舫氏に投票した2割弱の有権者に期待し、今後の政局を観察していきたい。

*1:【2024東京都知事選】おいちゃん(森川信)の「効いたねぇ」と室戸半兵衛(仲代達矢)の「これまでですな」https://amamu.hatenablog.com/entry/2024/05/31/155527

今日はアメリカ独立革命記念日 ー東京都民は都知事選の投票に行こうー

 

芝田進午「人間の権利」(1977年)

 今日は、アメリカ革命の独立記念日

 おりしも7月7日に東京都知事選挙がある。

 アメリカ独立は、アメリカ革命と呼ぶべきものであり、アメリカ革命は、歴史的限界は当然ありながらも、ラディカルな市民革命であったことは間違いのないところだ。

 イギリスの植民地であった東部13州は、従属か独立か、論戦が展開された。トマス・ペインの「コモン・センス」という小冊子の果たした役割は大きかったと言われる。

 さて、今週三日後に、東京都知事選がある。

 「市民と野党の共闘」を支持する自分は、小池百合子氏現職の三選はなんとしても阻止しないといけないと考えている。東京都のみならず日本の民主主義の危機と考えるからである。

 いま始まっている市民一人ひとりによる「ひとり街宣」は、こうした日本の民主主義の危機に対する決起・一揆ではないかと思えてならない。

 「ひとり街宣」がこれだけ広範囲に広がっているのは、「危機感」と同様に一人ひとりに「確信」があるからこそだろう。知れば知るほど小池百合子の悪事は我慢の限度を超えている。政策の違い程度であれば、そこまで決起しないのが日本人の「ふつう」と思われるが、小池都知事のペテンと腐敗は目に余るものがあるからだ。これはここ数年見られることのなかった革命的情勢と言えまいか。まさに「もはやこれまで」と言えないだろうか。「終わり」の「はじまり」と言えないだろうか。

 テレビ報道で「小池さん優勢、石丸伸二氏猛追」を聞くにつけ、日本の民主主義はまさに崖っぷちと感じざるをえない。危機意識を深くして、決起しなければならない。

 さて、「生きる権利」・「自由と幸福を追求する権利」と政治との関係。革命権の革命義務の承認と民主主義との関係については、哲学者・芝田進午さんの説明がわかりやすく、説得力がある。

 以下、「人間の権利 アメリカ革命と現代」(芝田進午編著)<1977年>より引用する。
 なお、掲載にあたっては、勝手ながら、冒頭部分をまずは割愛し、その割愛した冒頭部分についてはあとで掲載させていただいた。

 (前略)

…政治というものは、けっして自己目的ではない。それは、すべての人間に「生きる権利」、ついで自由と幸福を追求する権利、その他の権利を保障するという目的のための手段でしかない。政治がそのような手段として機能しなくなったばあいには、人間とそのゆずりわたしえない権利が変更されるのではなくて、逆に政治が変更されなければならない。
 このようにして、アメリカ独立宣言は、「生きる権利」から「革命権」をひきだすのであるが、それだけではない。「独立宣言」では、つぎのようにさえ主張されている。
 「長期にわたる暴虐と強奪があきらかに一貫した目的をもって、人民を絶対的専制のもとにしたがわせようとする意図をしめすばあいには、そのような政府を打倒して、みずからの将来の安全のために、新しい保障機構をもうけることは、人民の権利でありまた義務でもある。」(ゴチック*1は筆者)
 みられるように、人民の権利を専制によって圧倒する意図をもつ政府にたいしては、人民は、それに抵抗し、またそれを変革する権利をもつだけではない。さらに一歩すすめて、抵抗し、変革する義務を負うというのである。アメリカの独立宣言が、権利であるとともに、義務でもあるものとして、専制の政府にたいする抵抗、革命だけをあげているのは重要である。まことに、抵抗権・革命権のみでなく、抵抗義務・革命義務の承認と主張。これこそ、「生きる権利」にはじまる基本的人権の諸形態を最終的に保障する最後の権利であり、またそれらをすべて包摂する最大の義務でもある。そのような制度も思想も、この革命権と革命義務を否定するかぎり、けっして民主主義的でありえず、また基本的人権を尊重するものとはいいえない。革命権と革命義務の承認と主張こそ、アメリカ独立宣言の核心にほかならず、また民主主義ならびに人間の権利尊重の試金石なのである。もし、われわれの周辺に、革命権と革命義務の承認を否定し、これをおそれる人がいるとすれば、その人は、アメリカ独立宣言について、さらに民主主義、人間の権利についてさえ無知であり、無教養であることを告白する人であるにすぎない。以上の文脈にてらしてみて、二〇〇年前のアメリカ革命の原理が、今日もなお不滅の意義をもつことはあきらかである。

 「前略」として略した冒頭部分を次に掲載する。
 なお文章が書かれた時期は、アメリカ革命二〇〇周年を祝った40年以上も前の1976年であることにご留意願いたい。

 約一ヵ月前の七月四日、われわれは、アメリカ革命二〇〇周年をいわった。二〇〇年前のこの日、“新世界”アメリカは独立し、その革命行動を「独立宣言」のつぎの言葉で正当化したのであった。
 「われらは、つぎの真理が自明であると信ずる。すなわち、すべての人間は平等につくられ、造物主によって一定のゆずりわたすことのできない権利をあたえられていること、これらの権利のうちには生命、自由、および幸福の追求がふくまれていること。また、これらの権利を保障するために、人間のあいだに政府が組織されるのであり、これらの政府の正当な権力は統治されるものの同意に由来すること。さらに、どのような形態の政府であっても、これらの目的をそこなうようになるばあいには、いつでも、それを変更ないし廃止し、そして人民にとってその安全と幸福をもっともよくもたらすとみとめられる原理にもとづいて新しい政府を設立し、またそのようにみとめられる形態で政府の権力を組織することが、人民の権利であること。」
 「独立宣言」の起草者トマス・ジェファソンが、そのように平等であるすべての人間のゆずりわたしえない権利の筆頭に、「生命」をあげ、しかるのちに自由と幸福を追求する権利、またその他の権利を順序づけたことは重要である。実際、人間にとって、まずなによりも大切なものは「生命」であって、これなしには、他のあらゆる権利、他のあらゆる価値は無であるほかはない。すべての人間は、たった一つしかない人生をまっとうし、有意義に生きる権利をもつ。人間にとっては、まず「生きる権利」が保障されなければならず、それを前提としてのみ自由と幸福を追求し、その他の権利を行使することができる。

 (後略)

 くり返しになるが、芝田さんの原文は、以上掲載した文章の「後略」の箇所に、前掲の文章が続いている。
 今回、哲学者・芝田進午さんの文章を勝手に前後を入れ替えて掲載するという恣意的な編集をお許し願いたい。

*1:原文では、ゴチックでなく傍点。

反自民・非小池都政を! 小池百合子氏の三選を許してはならない!

 いよいよ東京都知事選。

 まず、指摘しなければならない点は、現職の小池百合子都知事の評価についてである。

 日本語では「ウソでしょう」は「冗談でしょう」(You must be joking/kidding.)の意味で使われることも多く、「ウソつき」が軽い意味で使われることもありますが、英語で、「ウソをつく」(tell a lie/tell lies)とは、「本人はそうでないとわかっているのに意図して真実でないことを言う」(make a statement one knows to be untrue)/ deliberately tell someone something that is not true)という意味で、「ウソつき」とは、信用に値しない人間(人格)ということになり、政治家としては全く不適格な人物ということになります。

女帝 小池百合子(2020)

 「学歴詐称疑惑」と報じられている小池百合子氏の「カイロ大学主席卒業」ですが、これは、まさに「本人はそうでないとわかっているのに意図して真実でないことを言う」という意味でのウソになります。「女帝・小池百合子」も一読しましたが、最近さらに小池氏を身近に知る方々の証言を見聞きするにつけ、小池氏が大ウソつきであるとの感をますます強くする。そもそも、学歴など、卒業後のその後の人生の生き方がより重要であり人物評価にはたいした問題ではありませんが、小池百合子氏の場合、71歳になるまで、一貫して、ウソを貫き通していること。またそうしたウソつきに重要な日本の政治を担せてきたという点が大問題です。

 もうひとつ小池百合子氏の人生で一貫していると思える点は、とりわけ政界入り後、ときの権力者と金権にすり寄る生き方です。そして、権力を握るためには平気でウソをつく。これも一貫しています。強いものに近づき、味方になって勝ち上がる。味方でも、結果を出せなければ、いとも簡単に切り捨て踏みつける。踏みつけられたものは少数だから、たとえ暴露されても、当面大勢に影響はない。大多数を騙すことが目的だから、味方を踏みつける非情さも、自らの政治姿勢の一貫性のなさも、そこには全く興味がない。

 自民党都連を「ブラックボックス」と"敵"に見立てて8年前に知事となった小池百合子氏は、いまやぐるっと回って、自らが都民不在の「ブラックボックス」そのものに化けてしまいました。小池氏が三選を果たせば、裏金・統一教会の萩生田が出てくる。萩生田が喜ぶと言われています。これをよく「変質」といわれますが、百合子氏の権力志向・上昇志向・金権志向は変わっておりません。むしろ反自民・都政改革を託した一票一票に対する百合子氏の裏切りが問題であり、ウソつきということに他なりません。

 あの希望の党をつくるときに用いられた「排除します」という小池氏の冷たいコトバ。これは、当時、安倍政権打倒と原発ゼロを言いながら、安保と改憲をめぐって、護憲派リベラルを「排除」するまさに野党を分断する「踏み絵」となるコトバでした。小池百合子氏という人格は、常に自分ファーストであり、独裁者であり、反民主主義者であると言えます。

 「情報公開」が「1丁目1番地」と喝破していた百合子氏の近年の都議会での「答弁拒否」はまさに「都民不在」というべき実にひどいものです。平気でウソをつき人を騙すペテン師に、3期目の都政を任せることはできません。

 彼女のインチキさが誰の目にも明らかになっていれば簡単なことなのですが、テレビ映りにしか関心のない百合子氏の正体は、いまや権力に支配されてしまったマスコミが意図をもって小池氏の正体を報道しないために、われわれが日常にかまけているとなかなか見えにくい。まさにペテン師のやり方です。昼間には700名もの人が食料支援を求めて列をなす都庁でのプロジェクションマッピング等で、大金(税金)が転がり込む五輪談合の電通博報堂が、テレビを支配し、テレビで重用される御用タレントが百合子氏の本質に言及するはずもないため無理もないのですが、それでも、YouTube やネット上で、まさに8年間の「実績」によって正体が露呈しつつあるいま、千載一遇のチャンスを迎えていると言えます。

 コロナ禍で規模の小さなオリンピックをと言っていたのに結局は経費の膨れ上がった東京オリンピック。そもそもオリンピック自体がいかがわしい。オリンピックを口実にして、黒幕・森喜朗元首相や故安倍晋三氏・二階氏、石原慎太郎氏・小池百合子氏らによる東京再開発の悪巧みは、まさにボロ儲けの利権の総合デパート。東京都からの14名もの天下りがスクープされた三井不動産による儲け第一主義の環境破壊に他なりません。「築地は守る、豊洲は生かす」と言っていた築地移転問題。ところが「築地市場を守る」どころか、どんどん開発されて、しかも、どんな検討がされているのが一切公開されない。いまや読売巨人軍のスタジアム案が再浮上し、「食のテーマパーク」案は雲散霧消、どうなるのか皆目わかりません。東京オリンピック跡地利用の晴海フラッグを見てもわかるように、9割の値引きで売却するという大手ゼネコン優遇・投機目的のための開発であり、都民の暮らしとは無縁です。これでは東京の出生率が099と1.00を切っても無理もないではありませんか。
 こうした東京「再開発」によって、故坂本龍一氏が小池都知事に手紙で、桑田佳祐さんが歌で呼びかけた環境破壊ストップの問題として、神宮外苑日比谷公園・葛西臨海等の樹木伐採問題があります。小池百合子氏が三選を果たせば、東京の景観は大きく変わり、格差社会はますます進んで、共有・公用のコモンであった東京は手のつけられないところまで破壊されてしまうでしょう。

 あの故安倍晋三氏がなぜ長期政権を続けることができたのか。なぜトランプのような人格が大統領になれるのか。なぜパーティー券をやめない小池百合子氏が都知事三選をめざせるのか。

 まったく理解に苦しみます。
 世界を見渡せば、独裁者ばかりが眼につく世界になってしまいました。日本も、憲法九条も空文化させて、いまや戦争待望論も、絵空事ではありません。

 小池百合子氏の正体を正確に理解して、裏金・カルト・統一教会日本会議・自公プラス補完勢力の萩生田ユリコの三選を許してはなりません。

 一方、懸念されるのは、市民と野党の共闘のレベルです。
 市民と野党の立憲民主党共産党らによる候補者選定委員会は、社民党蓮舫氏支援を表明しましたが、おそらくは消費税に関する政策不一致や野党幹部に対する不信感からか、れいわ新選組に至るまでの野党共闘とはなっておりません。

 たしかに、たとえば立憲民主党の幹部の権力志向的傾向は懸念すべき点であり、オール東京といいながら、市民と野党共闘の統一戦線のレベルは十分とは言えません。候補者乱立という引っ掻き回しや分断も手伝って、とりわけ石丸伸二候補の持ち上げには安倍晋三元首相のゴルフ仲間だったドトール名誉会長や安倍晋三元応援団による野党分断の働き(蓮舫つぶし)が期待されているようです。
 れいわも含めて、より大きな、市民と野党の共闘・統一戦線がつくれなければ勝利を得ることはできません。

 7月7日七夕決首都決戦まで、残り2週間を切りました。情勢はいまだ流動的です。日本の未来を決する重要な選挙戦であることは間違いありません。

 東京都民のみなさん、反自民・非小池都政をつくるために、投票に行きましょう。

着かず離れずの自公との関係を隠したい小池「伐採」都知事に騙されてはいけない

 あなたの住んでいる地元・地域の公園で、「工事の説明会を告知する1500枚のチラシを配っただけで、都民や区民に周知することのないまま」(SAMEJIMA TIMES、以下ST)、(説明会は3回ほどおこなったようだが)樹齢100年の樹木もふくめて「高さ3メートル以上の樹木が102本、低木をあわせると328本が切り倒され」(ST)、「樹木が立ち並んで緑に覆われていた公園の一角がガランと開け、切り倒されたばかりの大木が転がっていた」(ST)としたら、どう感じるだろうか。

 大手マスコミが全くといってよいほど報道しないこの樹木伐採は、東京は港区の有栖川記念公園の話である。地元住民も、突然の伐採に驚いて反対運動が盛り上がったようだが、地元民ではない私などは、神宮外苑の再開発問題や葛西臨海公園日比谷公園の環境破壊問題は耳にしていたものの、この港区の有栖川宮記念公園の問題は知らなかった。

 この日曜日の港区長選の選挙結果で、自民・公明が推した現武井区長は落選。1500票ほどの差とはいえ、清家愛新区長が誕生した。

 ところが、その新港区長に、小池都知事が新港区長に突然の電話でアポをとり、都庁で会見とあいなったという関連ニュースで、小池百合子都知事が「おめでとうございます。あ〜よかった」「ご活躍されることを心からお祈りしています」とエールを送る絵がテレビで放映された。

youtu.be

 あれ、小池都知事からすれば、清家さんって対立候補じゃなかったのと、あっけにとられてテレビを見ていた。

 というのも、選挙で負けた自公候補の武井雅昭元港区長は、5月末段階では、もちろん現職港区長であり、みずからの選挙戦期間中であるにもかかわらず、都知事選に関心があるようで、区市町村長有志から小池百合子都知事に出馬要請をつとめた一人であったと記憶していたからだ。

 先に出馬を果たし小池氏の出鼻をくじいたかたちの蓮舫*1が喝破されるように、8年前に都議会を支配する自民党都連を「伏魔殿」と呼んで大きな反自民の風を吹かせ、圧倒的支持を得て東京都知事になった小池百合子氏が、いま自民党公明党と大の仲良しなことは周知の事実である。

 前回2020年の港区長選挙で、武井雅昭港区長(当時)は、自公・国民民主・社民・都民ファの推薦を受けて5期目の再選を果たしたようだ。いまの小池都知事の立場であれば、自公の武井港区長が当選したなら、「あ~よかった」というのは、わかるけど。一体全体どうなっているのか。

 と思案しながら、検索してみたら、SAMEJIMA TIMES*2の記事がヒットした。というより、大手マスコミによる報道はほぼゼロで、SAMEJIMA TIMESくらいしか報じているものがない。

samejimahiroshi.com

 SAMEJIMA TIMESによれば、有栖川宮公園の樹木伐採は、「武井雅昭区長が事業申請し、小池知事が認可し」、「樹木伐採を発注したのは、港区まちづくり課」であるという。

 なるほど。それなら、自公の港区長と自公と蜜月の小池都知事のラインから筋が通る。筋は通るが、故坂本龍一氏が病床で心を痛めてしたためた手紙*3のこころは報われない。

 おそらく、これは、自分は自民ではない、超党派だという、この公選法違反の可能性のある出馬要請問題をごまかすために、うやむやにしたい演出のための策略が小池都知事側にあるからなのだろう。

 新区長の清家愛氏に「さっきニンニク食べてくさくない?」と、小池百合子は悪い人柄じゃないとばかりに、テレビ報道される「絵」を想定して自分を演出していたが、これこそまさに、マスコミから世間に流される「絵」に関心の強い小池百合子氏らしい演出であり、会見が2分で十分な理由だろう。だが、そんな演出を平気でおこなえる人格に背筋が凍る思いだ。

 故坂本龍一氏の手紙にも寄りそわないどころか冷たい一言と一瞥を投げつけた小池都知事

 まさに「伐採女帝」の名にふさわしい。

 言ってみれば、武井雅昭元港区長も、バッサリと切って捨てられたということなのだろう。結果を残せないものには容赦なく「排除します」ということなのだろう。

 いま小池百合子氏は、都知事選で勝てるかどうかの判断、各組織票の分析をおこなっているのだろう。着かず離れずの自公との関係では、世間に自公ベッタリのみずからの姿を見せたくない。小池応援団も、小池が負けては困る自公・ゼネコン・電通など、まさに情勢は流動的だが、環境破壊ともいえる東京都”再開発”をストップさせることができるか否か。これも都知事選の最大争点のひとつであることは間違いない。

都民の憩いの場として長年親しまれてきた大量の樹木が切り倒されているのは明治神宮外苑だけではない。葛西臨海公園芝公園日比谷公園…小池知事は都内各地で巨木を次々に伐採する再開発事業を推し進めている。これは環境破壊・文化破壊である。(SAMEJIMA TIMES)

*1:この出馬会見での蓮舫氏の論旨の明快さにはうなった。【2024東京都知事選】おいちゃん(森川信)の「効いたねぇ」と室戸半兵衛(仲代達矢)の「これまでですな」 - amamuの日記

*2:鮫島浩氏のYouTubeは見ていて参考にもしていたが、東京都知事選の最終盤の7月2日現在、石丸伸二候補者に対する背景に切り込まない点に違和感を感じた。正直、鮫島氏、大丈夫かという違和感がある。今後を見守りたい。先日、鮫島浩「朝日新聞政治部」を読み記事を書いた。記者にたいしても教師にたいしても最大限の「自由」が保障されなければならない - amamuの日記

*3:https://www.tokyo-np.co.jp/article/243643

記者にたいしても教師にたいしても最大限の「自由」が保障されなければならない

鮫島浩「朝日新聞政治部」(2022年)

 祖父・父と、三代にわたって、朝日新聞の読者だった。

 小学生の頃、本多勝一記者の「カナダ・エスキモー」を読んだ記憶がある。高校生の頃は、本多記者のベトナム関係の記事や単行本の「アメリカ合州国」を読み、本多記者の「貧困なる精神」シリーズも買い求め始めた。大学生の頃は、本多さんの「日本語の作文技術」「ルポルタージュの方法」、ジャーナリズム論、冒険論も愛読していた。

 本多さんの書くものは、視点が面白く、事実の積み重ねを材料として、モノの見方・考え方を考えさせられるものが多かった。

 本多さんのしごとばである朝日新聞社についても、本多さんは書いていたから、そうした本多さんの書かれたものから影響を受けて、その視点で私も朝日新聞を眺めていた。

 たとえば、ニューヨーク・タイムズのもつ「自由」や「進歩性」の評価、相対化。たとえば、朝日新聞のような大新聞で書く「限界」と「意義」*1。たとえば、記者クラブのくだらなさ。記者とデスクとの関係。大手メディアに属する記者個人と大手メディア組織との契約関係。使う側と使われる側の関係性のあり方。フリーはそれほどフリーではない論。ルポルタージュの意味・意義など。

 愛読していた本多勝一記者が退職時を迎え朝日を去ることになって、発行部数の多い日刊紙に記者が書き続けられることの意義を考えると、ジャーナリストとして、仕事として、そうした場を失うことの喪失を記者の立場になって想像すればするほど、それは耐え難いほどの喪失感ではないかと、一読者として想像した。大新聞に書ける場を持っていること、冒険心を発露させ、タブーをおそれず挑戦する姿勢と勇気。そうした気骨のある記者を支える読者層。当時の本多さんは、いわば朝日のスター記者だったから、本多ファンも相当に多かったはずだ。

 リベラルな朝日新聞が好きだったが、故安倍晋三首相から朝日新聞が敵視され、朝日も、徐々に、おかしくなっていった印象があった。朝日が”普通”の新聞になり、権力側から見てもそれほど敵視すべき内容もないのに、とも感じていた。象徴的には、本多記者のような存在をこころよく思っていない姿勢のデスクが、政治力学で、徐々に朝日新聞内において、ちからをもちはじめていったのかと勝手に邪推していた。

 朝日新聞組織内で奮闘しているジャーナリストもいるだろう。そうしたジャーナリストを応援する意味で購読を、あえて言えば惰性的に続けていたが、数年前に、三代続けていた購読を止めた。

 今回、鮫島浩氏の「朝日新聞政治部」を読んで、著者の視点で朝日新聞政治部を眺められる貴重な体験をした。

 読んだ感想の詳細は避けるが、40年ちかく、私は、私大付属校をしごとばとして教師をしていた。担当教科は英語だった。その経験から感じたことを少し述べてみたい。

 さて新聞記者も高校教師も、組織がしごとばであるという共通項をもっている。

 ここから「サラリーマン記者」「サラリーマン教師」という実態も生まれるわけだが、記者も教師も、記事を書いたり、教壇で授業をしたりと、もちろん組織としての総体の評価はあるけれど、組織構成員として、部分的には、個人で一翼を担うものであり、個人が重要な構成部分であることは言うまでもないが、かけだし新聞記者も、かけだし高校教師も、しごとばが育てるものだ。もっと広くいえば*2、記者も教師も現場が育てるのだが、そうした現場のひとつとして、先輩記者・先輩教師も教育的環境として重要であることは言うまでもない。劣悪な環境であっても逆に反面教師として深く学べるということももちろんあるが、先輩諸氏がどのような質の助言をするのか、これは新聞にしても学校にしても、教育環境としてかなり重要だ。

 本多勝一記者は、大学時代の山岳経験や冒険で、朝日新聞入社前に、骨格部分ができあがっていた学生と想像するが、強烈な個性ということでいえば、むかしは、たとえば、俳優さんでも、かなり個性的で強烈な人が少なくなかった。戦争体験など、それまでの考え方をガラッと変えさせられる体験をした世代だからだろう。一般に、動乱期では、落ち着いた、その意味で画一的な”教育”がなされるはずもない。本多勝一記者や故筑紫哲也記者の採用時には、たしか入社試験がおこなわれなかったため、「一般常識」のない世代と揶揄されたことがあったと、本多さんの書いたもので、どこかで読んだ気がする。これは自分の経験で恐縮だが、私が私大付属校で高校教師として採用になったとき、1時限目の採用試験は大問一問で「なぜ高校の教師になりたいのか、日本語で書きなさい」というもので、2時限目の試験は同じく大問一問で「なぜ高校の英語教師を志望したのか。英語で書きなさい」というものだった。解答用紙として、罫線も引かれていない更紙を渡された記憶があって、渡された更紙は、縦に書くのか、横に書くのか、試験監督者に質問をした気がする。筆記試験後は、面接が2度にわたっておこなわれ、奇蹟的に採用となって、4月に職場に入ると、大きな職員室で、国語のひとりの先輩教師が、「君は採用試験を経て採用されたのだから、いばっていい」と言われ、はて、それはどういう意味かと尋ねてみると、たまたま職員室にいた高校数学教師たちは、採用試験なしで採用となった教師が少なくなかったと聞いて驚いた。私が採用される以前は、採用試験という点では、おおらかな時代だったのだろう*3

 言いたいことは、新聞記者も高校教師も、大学・大学院卒後の到達点など、たかが知れているということだ*4。いまだ新聞記者にも、高校教師にもなっていない、伸びしろだけの、まさにかけだし時代ということだ。その後の現場で、いっぱしの新聞記者になり、高校教師になるのであって*5、したがって、しごとばの職場環境が決定的に重要である。

 新聞記者も高校教師も、最終的には、個人が重要である。したがって、その個人には最大限の「自由」が与えられなければならない。ジャーナリズムの「自由」。教育の「自由」である。けれども、この「自由」は、好き勝手に、デタラメにやってよいというものではない。それぞれ自由を担保するための構造があるのだ。かけだし新聞記者も高校教師も、その点を深く学ばなくてはならない。事実を確認・確定することとか、ウラをとるとか、人権擁護が基本であるとか、仕事上の優先順位であるとか。デスクや校長にも理をつくすとか。さらには、読者や生徒・保護者の圧倒的支持を得るとか。こうした意味で、個人の自由を保障するためにも、新聞記者集団や教師集団で、切磋琢磨しながら、協同的・共同的なしごとを展開していくちからも求められることになる。

 新聞記者も高校教師も、世代的交流と連携、相互批判、そして小集団的・組織的な取り組みが必要不可欠になる。そうしてこそ、新聞記者の「自由」も「主体性」も、高校教師の「自由」も「主体性」も担保されるのだろう。

 いまアベ・スガ・キシダ政権の悪政の悪影響から、権力によって主体性を抜き取られ、ことなかれ主義、サラリーマン根性・奴隷根性の新聞記者や教師が増えている気がしてならない。嫌気がさした者からは退職者があとを絶たない*6。これは、たとえば朝日新聞東京オリンピックのスポンサーになったり、ビジネスとして、イベントや不動産に、より手を出していることと無関係ではないだろう。本書でも福島原発事故慰安婦記事・池上コラム問題を使っての朝日バッシングに触れている第六章・第七章は読み応えがあり、安倍政権による朝日攻撃と朝日がいわば軍門に下った社内対応の一部が理解できた。今や日本の報道自由度の世界ランキングは2024年度で70位だという。

 教育では、現場の教師を疲弊させている劣悪な職場環境と無関係ではないだろう。世界の公的教育費対GDP比率(2022年)で日本はなんと3.46%で世界121位である。

 それぞれ戦後最大の危機を迎えているといわざるをえない。

 本来なら、記者にたいしても教師にたいしても最大限の「自由」が保障されなければならない。

 記者の学習権と表現の自由、教師の学習権と表現の自由の保障のために、環境を整備するのが、本来の社会や政治の役割である。それが、いまはアベコベの社会や政治になっていることが最大の危機だ。

 衝撃的内部告発とまでは言えないまでも、「朝日新聞政治部」は、朝日新聞政治部出身者による良心的ルポの一冊と言えるだろう。

 朝日新聞と同様、「報道ステーション」に象徴されるテレビ朝日の劣化も著しい*7ルポルタージュとして、忖度メディアの内幕暴露も、もっと期待したい。

 私は紙の新聞に未来がないとは考えたくもないし考えてもいない。デジタルのミニコミやフリー、あるいはSMSやネットだけではなく、やはり王道は、大手マスメディアが、政権に忖度することなく、ジャーナリズム精神を発揮し、質の高い、健全な報道をする本来の姿に立ち戻らなくてはいけないと強く期待している。

*1:当時、「ブル新」という表現があった。

*2:広くいえば、教育者こそ教育されなければならないという弁証法的視点が重要であろう。

*3:いい加減で不正な採用であったと言いたいのではない。教科教育に対する力量・人格評価・資質は人事委員会によって確実にやられていたと思う。高校教師は批判精神旺盛な多人数の高校生によって日々・毎時評価されるのであり、高校教師は職を得てから勝負が始まるのであって、そんな高校教師を続けることはそんなに甘い話ではない。

*4:記者や教師として後天的に学ぶべき技術を中心に言っている。学生時代までにやるべきことは、人格形成であり、人格の陶冶である。人間的大きさを育てるのが教育本来の目的であろう。

*5:いい教師が育つには時間がかかる - amamuの日記

*6:鮫島浩記者も朝日新聞を退職したひとりで、現在、SAMEJIMA TIMES を立ち上げ、政治分析動画を連日あげている。東京都知事選情勢など、参考になるものが少なくなかったが、都知事選最終盤の7月2日現在、石丸伸二候補者に対する背景に切り込まない点に違和感を感じた。鮫島氏、大丈夫か。元朝日記者語る「メディアが外部批判恐れる」実情 「朝日新聞政治部」著者、鮫島浩氏が斬る! | メディア業界 | 東洋経済オンライン

*7:政権に忖度するテレビ朝日に「株主提案」で問題提起 勝算はあるのか…田中優子さんに聞いた(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

【2024東京都知事選】おいちゃん(森川信)の「効いたねぇ」と室戸半兵衛(仲代達矢)の「これまでですな」

男はつらいよ 第6作 純情篇」(1971年)

 おいちゃん(森川信)と寅さん(渥美清)の”喧嘩”は「男はつらいよ」(山田洋次監督)の見どころの一つである。
 「男はつらいよ 第6作 純情編」(1971年)でも、夕子さん(若尾文子)の入浴をきっかけに可笑しな言い争い*1が始まり、「いいかげんにおしよ!!夕子さん(若尾文子)に聞こえたら恥ずかしいじゃないか!なんだいふたりともいい年して!」と二人の間におばちゃんが入ると、「やっぱり帰ってこないほうが良かったんじゃない!?」と、さくらは寂しそうに決め台詞を言い残して帰ってしまう。一同、思いがけないさくらのこの一言に、「さくらちゃん、怒ったよ…」とおばちゃん。間髪入れずに「謝ってこいよ…」とおいちゃん。寅があわてて追いかけて外に飛び出す時のおいちゃんのセリフが、「効いたねー!今のひと言は。バシィッと効いたねー!」である。
 私は蓮舫氏のファンであったことはかつてないが、おそらくフライングと思われる*2今回の蓮舫氏の絶妙なタイミングでの出馬会見*3を見て、個人的に拍手喝采。すぐに思い出したのが、この森川信の「効いたねー!・・・バシィッと効いたねー」というセリフである。
 昨今の自民党小池百合子氏の身の振り方*4を観察してつくづく思うことは、力は正義なりではなく、正義、みんなの願いが力を持ってほしいということだ。蓮舫氏の決起により、ようやくまともな普通の闘い*5になって素直に嬉しい。
 政治分析が得意なわけではないが素人目に見て小池百合子氏にはいま勝てる材料がない。こんなことは私が指摘しなくとも小池氏自身が骨身にしみて理解していることだろう*6。差別と分断、騙しの攻めのテクニックに長けた小池氏も防戦には案外弱いのではないか。したがって、私の助言としては、この際、黒澤明の「椿三十郎」(1962年)の悪役・室戸半兵衛(仲代達矢)の「これまでですな」というセリフから往生際の良さを学んでもらい、勇退してもらうのも一案だろう。ウソに嘘を重ねて晩節を汚すことはもう十二分なのではないか。これ以上晩節を汚すことはせぬほうが賢明と思うのだがどうだろうか。

amamu.hatenablog.com

*1:夕子が風呂をもらうときの寅さんとおいちゃんのかけあいが絶妙。森川信渥美清のギャグ名場面のひとつ。本作では、また、独立しようとする博とタコ社長との間で騒動が始まる。寅を介して、はたまた誤解のもとでの大宴会。このとらやの一連の騒動を自分の暮らしと比較して「私たちの生活なんてうそだらけなのね」と涙する若尾文子がまたいい。

*2:素人ながら推測するに、候補者選考委員会から決起を求められていた蓮舫氏が、自民連敗の日曜日の選挙結果を見て決起されたのだろう。しかし、これは絶妙なタイミングという他なく、蓮舫氏の政治判断の鋭さに感服する他ないが、その一方で、候補者選考委員会との関係では委員会の正式な確認を待たずして個人プレー的に決起されたのではないかという懸念がある。ただこの点では前川喜平氏によると東京新聞のスクープにより急遽立候補表明に至ったようだ。そもそも結果オーライなのだが、組織的・民主的にことをすすめなければならないという点で今後も懸念される点だ。立憲民主党や連合の組織内での左右の引っ張り合いの中でブレなければと願うしかない。そもそも東京都は都知事だけで運用できる規模ではない。集団的・民主的・総力的な英知を結集することに成功しなければ問題解決には至らない。その意味で、離党の可能性も含めて、オール東京の結集を呼びかけた点は特筆に値する。

*3:2024年5月27日(月)【ライブ】立憲民主党・蓮舫参院議員 記者会見 都知事選出馬表明へ(2024年5月27日) - YouTube。出馬会見の蓮舫氏の論旨は明快で、「自民党を絶対に許しません」「小池都政をリセットする」と、「反自民党政治・非小池都政」という立場を明快にした。

*4:8年前に自民党都政を伏魔殿と非難して当選した都知事が今は裏金自民にすり寄っていること一つとっても、都民に対する小池氏の裏切りは明らかだ。

*5:参議院議員平野貞夫氏によれば、日本の現政権が、財界の要求を背景に統一教会創価学会を基盤とする「金権カルト政治」であるとすれば、その東京版たる、三井不動産などのゼネコンの要求を背景にした「金権カルト政治」か、民権デモクラシーかが問われている。そうした性格の東京都政における闘いではないかと強調されている。

*6:東京15区補選で、自ら立候補できず、自民党復党のもくろみ、さらに岸田のあとをねらった総裁選出馬という道すじを断たれたこと。さらに乙武氏を候補者に擁立したが惨敗という選挙結果が潮目の大きな変わり目のひとつとなった。今回蓮舫氏の決起で、小池氏は、いまだ立候補を表明していないが、都民ファ、そして自民党創価学会、さらにカルトや連合などの支援をどうとりつけるかが選挙結果を大きく左右することになるだろう。