【都立高入試】公平・公正でない英語スピーキングテストは中止にすべきです

 都立高入試にあらたな英語スピーキングテスト(ESAT-J)導入。

 ひとつの問題点だが、不受験者の扱い方が入試における公平性・公正性が保てないのではないかとの質問に対して「何か釈然としませんですね」と末松文科大臣も答弁せざるをえなかった英語スピーキングテスト*1

 この11月に実施予定とのことだが、なぜこうした欠陥だらけの試験がいまだに中止されることなく実施されようとしているのか不思議でならない*2*3

 なぜ即刻中止にならないのか、まことに不思議だ。

 さらに不思議な点は、報道も少なく、広く社会的に知らされていないのは、なぜなのか。

 

 問題山積みのスピーキングテストについて「TBS森本毅郎スタンバイ!(2022年5月24日)」で触れたことがあると知って、YouTubeを探してみた。全体の放送は簡単に見つけることができたが、その箇所だけ切り取られたYouTubeはなかなか見つけることはできなかった。中止運動がもっと広がっていれば、もっと簡単に見つけられただろうにと思うと、こうしたわかりやすい放送がもっと拡散してほしいと願う。

 いろいろとインターネットをブラウズして、TBSラジオのサイトらしきものを見つけた。要約もありわかりやすい。「取材 中村友美」との記載があり、番組内で森本毅郎氏が中村友美ディレクターと呼んでいたので、TBSラジオサイトに間違いないだろう。番組そのものも聞けるようだが、ただ「radikoタイムフリー」なるものにアクセスしなければならないのが面倒だ。「タイムフリー」を調べたら、「「タイムフリー」機能は、過去1週間以内に放送された番組を遡って聴くことのできる無料の機能です」とある。なんだ、結局、聞けないということが判明した。

www.tbsradio.jp

 「radikoタイムフリー」を使うことができないとわかり、さらにブラウズ。以下のブログに巡り合うことができた。

 放送の書き起こし要約と、「TBS森本毅郎スタンバイ!」のスピーキングテスト報道の箇所だけ切り取ったYouTube(約7分30秒)も貼りつけてある。

 いずれにせよ、7分30秒と短いながら、「TBS森本毅郎スタンバイ!(2022年5月24日)」は、このテストの問題点、その要点がよくわかるので、ESAT-Jについてよく知らない方にはおすすめです。番組には大津由紀雄慶應大学名誉教授が出演している。

kasikoi.hatenablog.com

 次は、「入試改革を考える会」による「都立高入試へのスピーキングテスト導入中止を求める緊急アピール」(2022年5月9日)。

 「入試改革を考える会」の呼びかけ人は、代表が大内裕和氏(武蔵大学教授)。他の呼びかけ人は、宇都宮けんじ(「希望のまち東京をつくる会」代表)氏、鳥飼玖美子(立教大学名誉教授)、前川喜平(現代教育行政研究会代表)ら*4

 その緊急アピールが以下で読むことができる。

 とくにスピーキングテストの点数化のしくみ・換算の仕方の問題点がよくわかるところが秀逸。*5

note.com

 以下は、都立高校入試へのスピーキングテスト導入の中止を求めるChange.org電子署名

 呼びかけ人は、池田真澄(新英語教育研究会会長)氏。江利川春雄(和歌山大学名誉教授)、大津由紀雄慶應大学名誉教授)、鳥飼 玖美子(立教大学名誉教授)ら。

 賛同人に、乾彰夫(東京都立大学名誉教授)、大内裕和(武蔵大学教授)、児美川孝一郎(法政大学教授)、佐藤学東京大学名誉教授)、瀧口 優(白梅学園短期大学教授)、本田由紀東京大学教授)、前川喜平(現代教育行政研究会代表)らが参加されている。

 英語教育や教育についての学識者というべき方々が名を連ねている。

www.change.org

 以下、新英検による署名協力への呼びかけです。(上記Change.org電子署名していただいた方でも以下の署名簿に署名できるとのことです)

 PDFの署名用紙・チラシをダウンロード・印刷してお使い下さい。8月26日締切。9月定例都議会に提出するとのことです。

www.shin-eiken.com

 2022年8月18日に夏の市民集会がおこなわれました。お時間のたっぷりある方は、こちらもおすすめ。

 以下、都立高校入試への英語スピーキングテスト導入見直しを求める夏の市民大集会。

www.youtube.com

 

 以下、新英検のHP。

 上記の集会の紹介もありますが、図でESAT-Jの問題点をわかりやすく説明している。

www.shin-eiken.com

 

 以下、ひとつのアンケートに過ぎないが、リセマム・リシードによるESAT-Jについてのアンケート。2022年7月25日から8月3日まで読者アンケートで、111の有効回答によるもの。

reseed.resemom.jp

 次は、朝日系の教育記事。

 開示請求に応えない開示不可問題、前代未聞の換算方法の問題、テスト問題漏洩のリスクの問題、次の記事には、タブレット端末を使い回す試験体制の問題などが簡潔に書かれている。

www.asahi.com

www.asahi.com

 以下は、中止を求める署名の呼びかけ人のおひとり、大津由紀雄氏のブログから。

www.kotoba1.com

 以下は、スピーキングテストに反対する保護者の方から。

 都立高校入試へのスピーキングテスト導入問題。

 公平・公正でない英語スピーキングテストはすぐにでも中止にすべきものと考えます。

 繰り返しになるが、問題山積みのスピーキングテストについて、7分30秒と短いながら、「TBS森本毅郎スタンバイ!(2022年5月24日)」は、このテストの問題点、その要点がよくわかるので、ESAT-Jについてよく知らない方にはおすすめである。

 ひとりでも多くの人にこの問題を知ってもらい、署名に協力していただきたいと願い、以上アップさせていただいた。

*1:文科大臣も「?」となった都立高入試英語スピーキングテストの構造的問題 | 連載コラム | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス

*2:利権的・売国奴的・差別的、なにより教育的でない都立高校入試へのスピーキングテスト導入の中止を求めます - amamuの日記 (hatenablog.com)

*3:教育的でない、さらに公平・公正でないスピーキングテストの都立入試への導入はすぐ中止にすべきではないですか - amamuの日記 (hatenablog.com)

*4:呼びかけ人は、大内裕和(「入試改革を考える会」代表・武蔵大学人文学部教授・教育社会学)/
 阿部公彦東京大学大学院教授・英文学)/ 宇都宮けんじ(「希望のまち東京をつくる会」代表)/ 紅野謙介日本大学特任教授・日本近現代文学)/ 杉田真衣(東京都立大学准教授・教育学)/ 竹信三恵子和光大学名誉教授・ジャーナリスト)/ 鳥飼玖美子(立教大学名誉教授・異文化コミュニケーション学)/ 前川喜平(現代教育行政研究会代表)

*5:以下、「入試改革を考える会」による「都立高入試へのスピーキングテスト導入中止を求める緊急アピール」(2022年5月9日)より。「また、スピーキングテスト評価の点数化についても疑問があります。中学校英語スピーキングテスト(ESAT-J)は0点~100点で採点した後に、A~Fの6段階で評価します。「80点~100点=A(得点幅21点)」「65点~79点=B(同15点)」「50点~64点=C(同15点)」「35点~49点=D(同15点)」「1点~34点=E(同34点)」「0点=F」と不均等な得点域で分けたのち、A=20点、B=16点、C=12点、D=8点、E=4点、F=0点と4点刻みで配点されます。
   この方法だと、例えば1点しかとれなかった人も、34点とれた人も同じくEに評価されて4点が配点されます。つまり最大33点違っても同じ点数になってしまうのです。また1点はEで4点に換算され、0点はFで0点に換算されますから、1点でもとればテストの結果は4点差としてカウントされます。こうして算出されたESAT-Jの得点は、志望校へ送る「調査書」(=内申書)に記載されます。わずか1点の差が合格・不合格を分ける入試において、このような換算方法を採用することが適切であるかどうかは大いに疑問です。受験生・保護者の多くも、この換算の仕方には疑問を持つと予想されます。」

教育的でない、さらに公平・公正でないスピーキングテストの都立入試への導入はすぐ中止にすべきではないですか

 東京に生まれ、区立小学校、区立中学校、そして都立高校で学んだものとして、まず思うのは、都立高校で学びたいという中学生には全員入学を認める(全入)でよいのではないか。あえていえば入学試験(選抜試験)など必要ないのではないかということだ。入試という競争試験で生徒を振り分けるのが当たり前というマインドコントロールに私たちは支配されているが、少子化の時代にあって、子どもたちをさらにもっと大切に扱うことができるのではないか。今後の日本社会では、子どもたちの教育にもっとお金をかける政策をすべきではないかというのが思うところだ。

 理想に過ぎるかもしれないが、以上が大前提なのだが、今回、都立高校入試にあらたにスピーキングテストが導入されると聞いて調べ始めてみたら、このスピーキングテストには、さまざまな瑕疵(欠陥)のあることがわかった。入試に求められる最低限の公平さ・公正さも担保できない。さらにこのスピーキングテストは、そもそも非教育的・反教育的な欠点があるとわかり、即刻中止を求めざるをえない性格のものと考える。

 私大付属高に長年勤めた英語教師として、稚拙な教育実践ではあったが、リーディングやリスニング、ライティング、やスピーキング指導を担当してきた経験がある。

 1989年に始めなければならなくなったいわゆるオーラルコミュニケーション授業への対応では、仕方なしに、母語話者で長年オーストラリアで教師をやってきた同僚教師とのティーティーチングでおこなうことが適切だろうということで資格ある母語話者の教師の提案を受け共同してカリキュラムを作成した。スピーキング評価は、公平性・公正性が担保されるのがむずかしいため、それまで避けていたのだが、母語話者の教師とのティーティーチングで複数の教師による評価でのすり合わせをおこなう、評価の観点を事前に明確にする、評価に関する生徒の事後の疑問にも答えるなどの制度設計により、生徒の発話を励ます評価によるスピーキングテスト実施に踏み切った経験がある。

 さて、今回、都立高校入試にスピーキングテストが導入されるということで、すでに登録が始まり、11月にスピーキングテストが実施される予定になっている。

 これらに生徒・保護者は対応せざるをえないわけだが、このテストは、入試全体の配点からすると、一回のスピーキングテストのわりにその比重がものすごく高い*1。その比重の大きな点数によって順位の逆転も起こりえる*2

 であれば、英語を得意とする生徒は、このテストにたいする対策を集中することになるだろう。このテストは、一企業であるベネッセに丸投げだから、似て非なるテストといわれるベネッセのGTECを集中的に受験することになるだろう。その受験料は9720円だという。公立中学での対策授業は時間が十分とれないだろうから、対策に集中したい生徒は塾に行くことになるだろう。まさにスピーキングテストは、経済格差が教育格差を生む教育均等に反する反教育政策というほかない。

 大津由紀雄慶応大学名誉教授によれば、導入されるスピーキングテストモデルはGTECコアというテストにそっくりだという。また、東京の公立中学では、民間試験なので当たり前の話なのだが、GTECコアに取り組んでいる学校と取り組んではいない学校とに分かれるという*3。これでは取り組んでいる学校のほうが有利に決まっている。教育的云々というより、これは差別的ではないのか。

 また未受験者の対応にも欠陥がある。スピーキング力をはかるというのに、スピーキングテストを欠試したら、スピーキングの試験以外からスピーキングの点数を見込むという。となれば、対応不十分な受験生や不得意感をもつ受験生は、欠席することも視野にいれて対策のひとつとして検討するのではないかとささやかれている。となればこれはスピーキング学習に対する動機づけにもならないし、導入される入試政策自体が教育破壊を引き起こす原因となってしまう。公立中学3年間の英語教育のパフォーマンステストも、入試対応をしなければと脳裏に引っかかって豊かな英語教育をしたいと望む教師の障害となるだろう。

 先に、生徒の発話を励ますスピーキングテストの実践を紹介したが、公立中学校の英語教育においても、現在パフォーマンステストというのが実施されていると聞く。おそらく、採点基準のすり合わせや、生徒から評価に対する疑問がだされれば、生徒に寄り添い、フィードバックとしてていねいに説明していることだろう。生徒の発話を励ますスピーキングテストは、生徒を励ます教育評価として、点数化も認められるだろう。しかし、これが1点をあらそう現状の入試ではどうのなのかというのがひとつの大きな論点だ。

 まず、比重の大きいスピーキングテストでは、合否に大きな影響を与え、合否の逆転も起こりえる。

 しかし、スピーキングテスト評価の客観性・正確性はどうなのか。精度が求められるにもかかわらず精度を求めることはそもそも不可能だろう。それが、8万人ともいわれる受験生を評価するとなれば、公平・公正な評価は可能なのか。現場の教員であれば、100%不可能というだろう。

 さらに、生徒の発話を励ますスピーキングテスト(公立中のパフォーマンステスト)の場合、教師の資格・能力・責任は、はっきりしている。生徒が自分のスピーキングテストは難点だったのか、疑問があれば、聞くことができるのが普通だ。A君は何点で、B君は何点で、自分は何点だというのも、生徒が聞く気になれば、わかるだろう。評価者(教師)の資格・能力・責任は、はっきりしているといえる。ところが、今回の入試では、それが全くの闇の中になっている。さらに、フィリピンという外国で採点されるというのだが、それはどのような資格・能力・責任において実施されるのか。これまた闇の中なのである。これはすでに教育とか評価とか、全く成り立たない世界ではないのか。教育的とはとても言えない。公平・公正でもない。海外に丸投げというのであれば、評価者側の主体性も発揮できていない。自前でやらず、知らない他者に任せるなど、無責任で自虐的ですらある。外国にまかせるという意味では、植民地的ですらあると言わざるをえない。

 これはすでに書いたことだが、そもそも、話すちからを評価することは難しい。シェイクスピア研究で有名な英文学者・故中野好夫氏は、流暢ではなかったが、深い英語を話したという。ぺらぺら話すが、内容に乏しい発話。訥々とではあるが、深い内容を話す発話。こうしたまさに人格に直結する話すちから(表現するちから)を評価することほど、難しいことはないだろう。まさに地球時代にあって、自律的な人間を育てなくてはならないのに、生徒の個性を慎重に評価しないというのは時代と逆行している。こうしたことを考えるとき、母語の影響の多い・少ないをひとつの基準として評価するというが、時代感覚からずれていると言わざるをえない。

 つまり、スピーキングテストは、内容的に制度設計上、入試に不向きということだ。

 なおかつ、わけのわからない採点者に丸投げして、スピーキングテストの点数が返され、それが総合点に上乗せされ順位の逆転現象も起こり合否が決まることになる。

 あらたなスピーキングテスト入試など必要ないのではないか。理想に過ぎるかもしれないが、冒頭でも書いたように、都立高校で学びたいという中学生には全員入学を認める(全入)でよいのではないか。入学試験(選抜試験)など必要ないのではないか。入試という競争試験で生徒を振り分けるのが当たり前というマインドコントロールに私たちは支配されているが、少子化の時代にあって、子どもたちをさらにもっと大切に扱うべきではないか。それでも競争入試が必要(必要悪)とするならば、せめて、公正・公平にやるべきだろう。最低限の責任が担保できないのであれば、子どもに迷惑をかけるだけのスピーキングテストなど、即刻中止にすべきと思う。

 

 以下は蛇足である。

 いまは8月。大変おかしなことに、11月実施というのに、都立高校の先生方にはほとんど知られていないようだ*4。都立高校で展開される授業にとってスピーキングテストが必要不可欠、とりわけGTECのようなスピーキングテストが必要不可欠というような要求・動機・必然性があるというような情報は聞こえてこない。

 つまり、中学校の教育と高校の教育との接続が全く考えられていない制度設計になっている。こうして教育的とはいえない理由が次々にでてくるスピーキングテスト。

 そのほか、11月27日実施・1月中旬の結果報告*5という制度設計は、結果が出るのが遅く、時期的に適切な時期とはいえない*6。現場の状況が全く考慮されていないと言わざるをえない。

 他にも、問題だらけの*7スピーキングテストだが、それでもゴリ押ししようとするのは、まさにこれが教育から出発したテストでななく、このテストが「政治の力」によるものなのではないかとの邪推を否定できる材料がない。ベネッセという企業への文科省からの天下り。それによるベネッセと文科省の癒着。ベネッセと元文科相との蜜月関係はないのか。実際、民間英語テスト導入という教育政策の流れによって、英検受験者数も増え、GTECも倍増したといわれているが、英語力があがったいうデータは聞いたことがない。

 教育的でない、公平・公正でないスピーキングテストの都立入試への導入はすぐに中止すべきものと考える。

*1:英語だけ科目点である23点にスピーキングテスト分の20点が加算される。また、科目の内申点を1点上げる取り組みの努力に比して、1回数分間のスピーキングテストで得る点数は安易ともいえるほど比較できない。学力論として異質なカテゴリーのものを合点していることになる。

*2:新制度導入の場合、影響は最低限にして導入するのが慎重な導入の仕方で教育的な導入方法と思うが、導入する企業からすれば、比重が大きいほうが望ましいと考えるのは明らかだ。

*3:2022年5月24日のTBS森本毅郎スタンバイ!

*4:2022年8月18日「都立高校入試への英語スピーキングテスト導入見直しを求める夏の市民大集会」参加の都立高勤務の先生の発言。

*5:結果といっても総合点しかわからず、分野別得点などはデータとして発表されないという。

*6:進路を決める三者面談がおこなわれるのは12月であり、その時期に試験結果が出ていないなど、欠陥がある。

*7:人を介在したスピーキングテストではないため、タブレット使用の問題。音声の漏洩の問題。二部に分ける構成の問題など、技術面でも多くの問題が指摘されている。その他、2022年8月18日「都立高校入試への英語スピーキングテスト導入見直しを求める夏の市民大集会」での保護者の話では、都教委のペーパー配布くらいで、正式な説明会は開かれていない。個人情報漏洩の危険性。

政治の中枢から末端に至るまで統一協会を根絶するためには 政権を取るために統一教会を使った安倍元首相の国葬はさすがに無理筋でしょう

 安倍晋三殺害事件から一ヶ月以上が経った。

 日本の政治から統一協会の影響を根絶させる課題は、自民党議員の「言い訳」*1も多く、始まったともまだ言えない状況だ。

 2週間以上も前に本ブログで、疑問形を多用し、少し遠慮した表現で安倍元首相の国葬に反対表明をした。

amamu.hatenablog.com

 容疑者の蛮行はけっして許されないが、殺害事件についても、「自分が子どもの頃であれば、周囲の大人たちは、身から出たサビとか、自業自得、因果応報というコトバで表現したことだろう」と、直接的な表現を避けた。

 けれども、連日の報道に接する限り、以上を否定する材料はないどころか、ますます説得力をもってきていると言わざるをえない。

 1970年代当初より、統一協会は、集団結婚や霊感商法、数々の人権侵害などですでに社会的に広く知られるところとなり*2、裁判の判例*3によって明らかされている反社会的団体。「政治の力」によって、報道されない長い空白期間からここのところその正体が隠されてきていたが、安倍晋三元首相の殺害事件から、事件の背景が探められ、また元信者や家族の証言によって被害実態*4も再報道され始め、さらには安倍晋三元首相という権力中枢との蜜月関係の暴露と、これまで暗闇にあったものが一挙に明るみに出始めた*5

 勝共連合統一協会と日本の権力の中枢との関係は戦後日本史で知られているところではあったが、日本の政治の中枢にこれほどまで統一協会が食い込んでいたのかと広く知られるところとなった。

 こうした中で、安倍晋三元首相と統一協会との関係は、統一協会の広告塔どころか、統一協会とズブズブの関係だったということが明らかとなってきている*6*7

 自民党統一協会との関係も、たしかに茂木幹事長が言うように*8協定書を取り交わすような(公開可能で正式な)組織的な関係ではないにせよ、自民党、とりわけ清和会と統一協会の「下部組織」、もしかすると「上部組織」で自民党がフロントかと思うほど、その実態は癒着している*9自民党の選挙活動で、統一協会側から当選するための票と秘書派遣にはじめ選挙活動のマンパワーが期待する関係にあったとすれば、まさに「政治の力」によって、統一協会が公安の監視対象リストからはずされ、名前も変更でき、社会的・政治的に放置許容されてきたこと*10も容易に理解できる。権力維持を目的として、もちつもたれつの関係を築いてきたということなのだろう。岸田首相は、支持率低下に歯止めをかけるため内閣改造をしたが、統一協会との関係を一掃できない派閥統制のための組閣となった*11

 安倍晋三は、岸信介*12*13安倍晋太郎のレガシーを受け継ぎ*14、若い時分ときに躊躇することがあったかもしれないが、選挙に勝つためには、「毒」と知りながら「毒」をくらい、統一協会を利用したのだろう。選挙の顔として、選挙に強い「結果」を残し、安倍一強を作り上げたことから推測しても、安倍元首相が統一協会自民党との橋渡し役を担ったことは想像に難くない。当然のことながら、それは同時に、安倍晋三統一協会から利用される関係ともなった。権力の中枢に庇護され、「自民党、とりわけ清和会と統一協会の「下部組織」、もしかすると「上部組織」で自民党がフロントかと思うほど、その実態は癒着している」と先に書いたように、その思想も、反共、選択制夫婦別姓反対、同性婚反対、古い家父長制擁護、性教育バッシング、憲法改正(改悪)など、自民党統一協会の思想が響き合うのも当然の帰結であろう。統一協会の草の根の活動として、「世界平和統一家庭連合」という名で、市町村の社会福祉協議会*15や市議会、市民活動に食い込もうとしてきたのも当然の帰着であろう。統一協会に「世界平和統一家庭連合」と名称変更させことの罪は大きい。もちろんそれを認めた下村博文文科相の責任も大きいと言わざるをえない。

 これほど統一協会問題と自民党との問題が日本国内で取り沙汰されているとき、UPF(天宙平和連合)主催の大規模集会がソウルで開かれたというニュースが先週飛び込んできた。各国の要人*16が出席し、アメリカのポンぺオ・前国務長官、ペンス・アメリカ前副大統領、カナダのハーパー前首相らも参列した。安倍晋三元首相は、死後も、自分たちの信仰心は正しかったのだというお墨付きに利用されていると言わざるをえない。

 安倍晋三元首相の写真が大型ビジョンに映され追悼セレモニーが始まると、トランプ前大統領がビデオメッセージで登場し、「韓鶴子総裁のすばらしい努力に感謝する」*17「安倍元首相は良き友人であり、偉大な人物であった。人々は彼を懐かしむだろう。深い哀悼の意を表する」と述べた。日本で安倍元首相の国葬問題が問題視されているさなか、さながら統一協会葬のような大がかりな追悼集会となった。

news.yahoo.co.jp

ソウルで“統一教会”大規模会合 トランプ氏がビデオメッセージで安倍元首相を追悼 | Watch (msn.com)

news.yahoo.co.jp

“統一教会”が韓国で大規模会合 安倍元首相に“献花” トランプ前大統領はビデオで…(日テレNEWS) - Yahoo!ニュース

 こうしたビデオメッセージに登場するトランプ前大統領には莫大なお礼金が支払われるという。その大金は、被害者から巻き上げられた被害金に他ならない。

 さらに、翌日、創始者文鮮明の死後10年を記念した式典が開かれ一連のイベントは5日間にわたっておこなわれた。この式典には韓鶴子宛に北朝鮮金正恩総書記から花と「文鮮明先生の逝去10周年に際して韓鶴子総裁とご遺族に深い哀悼の意を表します。民族の和解と談合、国の統一と世界の平和のため傾けた文鮮明先生の努力と功績は末永く思い出されるでしょう。文鮮明先生の遺志を引き継ぐ世界平和統一家庭連合のすべてのことがなり遂げられることを願います」と弔電*18が送られ紹介された。ポンペオ前国務長官も出席し、「韓総裁は アフリカ ヨーロッパ 中東 アジア アメリカ そして 中国 ロシア  北朝鮮の全ての指導者を集結させています。文鮮明総裁と韓鶴子総裁の平和への働きに感謝します」というスピーチをおこなった。

 統一協会霊感商法の被害者は日本が最も多く、世界的にみて日本は献金を吸い取られ貢ぐカモの役割を担っているという。「天聖教」という統一協会の教義によると、朝鮮半島は男性、日本列島は女性*19*20ということのようだ。

 さて安倍政治とは何だったのか。

 安倍晋三の唯一の関心事は、政治支配・権力維持しかない。だから政治支配・権力維持のためには、なんでも使う。

 安倍政治は、法の支配に依拠しない。属人的ちからに依存しているから、必然的に私物化となる。そもそもが法の支配を望んではいない。その本音は、逮捕されなければよい。だから人事で支配する。人事によって法の支配も捻じ曲げる。人をだますことも、ウソをつくことも、魂を売ることもへっちゃらだ。二枚舌を使うことはお手の物だから、思想はでたらめでインチキとならざるをえない*21。ウソつきの権力者を擁護する御用文化人もたくさん必要になる。マスコミ支配のために安倍政治はいくつ毒まんじゅうを食べさせてきたのか。

 これはすでにマインドコントロールといえまいか。

 安倍晋三は、みずからを安倍政治のパフォーマーとして磨いてきた。パフォーマーだから、コピーもいろいろある。「美しい日本」。「日本を取り戻す」。批判的国民を「こんな人たち」呼ばわりする。「反日が五輪反対」しているという「反日*22

 繰り返しになるが、安倍政治の政治家たちの関心事は、政治支配・権力維持・国民支配しかない。政治信条や思想信条は、ポピュリズムでその都度有権者に受けることをつまみ食いでよい。きれいごとを言うときはほぼウソ。自由と民主主義の名において、自由と民主主義を破壊するのが安倍政治だ。

 なぜこうしたことになるのか。

 思想史的にいえばこれは、19世紀半ば、労働者階級が歴史の担い手となると同時に、資本家階級は進歩性を失い、政治的にも、思想的にも、反動的になっていったということなのだろう*23

 自民党の背骨にある思想は、反共、反共産党。とどのつまり反民主主義。反憲法。反国民的。これは一貫していてブレはない。

 「サタン」はどちらなのか。

 以上の考察からすれば、容疑者の蛮行がけっして許されるものでないことは言うまでもないが、身から出たサビ。自業自得。安倍三代*24でいえば、因果応報というほかないのではないか。

 日本人は、アメリカ合州国の支配*25自民党のマインドコントロールから逃れなければならない。

 そもそも国葬をおこなう法的根拠がないのだが、反日カルトとズブズブの関係であった安倍晋三。その国葬を許してはならない。国葬をおこなうことは…

 第一に、政治の中枢に食い込んでいる統一協会を根絶することが政治的課題であるにもかかわらず、国葬は、安倍晋三殺害後に明らかになった統一協会安倍晋三自民党との関係に眼をつぶり蓋をすることになる。

 第二に、国葬は、これまでよりさらに、統一協会に免罪符やお墨付きを与えることになる。(それは統一協会がなにより歓迎することだ。まさに統一協会の思う壺である)

 第三に、国葬をおこなうなら、なにより被害者が救われない。

 第四に、そしてなにより国葬は、個人の死に格差をもうけ、個人の内心の自由・個人の良心を踏みにじるものとなる。人の死を政治に利用することと民主主義の破壊に反対し、日本国憲法の精神にのっとって反対せざるをえない。

 日本の政治の中枢に食い込んでいる統一協会を日本の政治から根絶するには統一協会に免罪符を与える国葬をしてはならない。統一協会を日本の政治の中枢から末端に至るまで根絶やしにすることがまさに日本の緊急課題であるのだから。

*1:第219回:統一教会関係議員の「言い訳」集(鈴木耕) | マガジン9 (maga9.jp)

*2:半世紀前から国会で追及されていた「統一教会」 1970年代の「国会審議」(辺真一) - 個人 - Yahoo!ニュース

*3:統一教会 霊感商法の実態 全国霊感商法対策弁護士連絡会 (stopreikan.com)

*4:祝福2世だった女性が見た旧統一教会会見「それがあれば先祖が家に住める...が霊感商法じゃなかったら何が霊感商法なんだろう」(MBSニュース) - Yahoo!ニュース

*5:下村博文氏・萩生田氏ら多くの自民党議員と統一協会との関係が報道されている。【統一教会】旧統一教会とカネのやりとり「政治家15人」の名前 下村元文科相は献金受け取り、会費も支出|日刊ゲンダイDIGITAL (nikkan-gendai.com) さらに統一協会文鮮明)と立正佼成会(庭野会長)との関係も出てきている。

*6:統一教会は安倍晋三元首相の「雨天の友」だった | 文春オンライン (bunshun.jp)

*7:安倍晋三、統一教会との蜜月を笑顔でカミングアウト。イベント登壇&韓鶴子総裁を称賛で本性あらわ、「票とカネ」目的の歪な関係 - まぐまぐニュース! (mag2.com)

*8:これは茂木幹事長の発言をよしとして認めているわけではない。協定書を取り交わすというような意味で、「組織的な」関係でないことは当たり前のことで、あえてわざわざ言う必要もないことだ。「組織的な」という文句を除けば、関係があるか関係がないかの問題になって自民党統一協会との間に関係があることは明白だから、茂木幹事長の発言はごまかしのための発言であることは明白である。きわめて悪質なごまかしというほかない。

*9:たとえば、生稲晃子議員 選挙中に統一教会の関連施設を訪問報道…接触発覚でさらに高まる不信感 (msn.com)

*10:「特異集団」は旧統一教会 公安庁報告書、安倍政権下で項目消える:朝日新聞デジタル (asahi.com)

*11:各派閥への配慮を優先、統一教会の呪縛もぬぐえず……「第二次岸田改造内閣」に難局を乗り切る力はあるのか(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

*12:戦後、アメリカ合州国は、傀儡政権として自民党をつくった。釈放されたA級戦犯容疑者の中には、岸信介ら元閣僚、官僚、財界人、軍人のほか、笹川良一児玉誉士夫ら、超国家主義団体の指導者たちもいた(春名幹男「秘密のファイルCIAの対日工作」上 p.335)。当初、「GHQ参謀第二部(G2、情報)は児玉を「危険人物」とみて、釈放することなどみじんも考えていなかった」(同p.348)が、「東西冷戦の深刻化で、一九四八年以降、事態は一八〇度転回する」(同p.348)。「児玉が巣鴨プリズンから釈放されて以後、米情報当局と日本の右翼の”蜜月”が始まった、と言っても言い過ぎではない」。

*13:【独自】安倍家と統一教会との“深い関係”を示す機密文書を発見 米大統領に「文鮮明の釈放」を嘆願していた岸信介 | デイリー新潮 (dailyshincho.jp)

*14:安倍晋三元首相の後継者は育たず 青木理「彼に代わる右派のアイコンは見当たらない」 (msn.com)

*15:一月万冊・今一生氏のキャンペーン参照。スクープ!全国の社会福祉協議会は、反社カルト=世界平和統一家庭連合(旧統一教会)からの寄付を受け取ってきた!それでも寄付を拒否する声明を出さず、寄付の事実を隠すこともしない!作家・今一生・一月万冊 - Bing video

*16:ブラジル前大統領、セネガル大統領、ナイジェリア大統領、リベリア大統領、イタリア元首相、スペイン元首相、フランス元首相ら。

*17:トランプ前大統領が韓鶴子を讃えるのは、マザームーンを連呼して讃えた自民党山本朋広衆院議員と通じるものがある。

*18:文鮮明先生のご遺族の方へ 世界平和統一家庭連合総裁の文鮮明先生の逝去10周年に際して韓鶴子総裁とご遺族に深い哀悼の意を表します。民族の和解と談合、国の統一と世界の平和のため傾けた文鮮明先生の努力と功績は末永く思い出されるでしょう。文鮮明先生の遺志を引き継ぐ世界平和統一家庭連合のすべてのことがなり遂げられることを願います」

*19:「天聖教」に、日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は実に極悪非道なものであったとして、文鮮明は「韓半島は何かといえば男でいえば生殖器です。半島です。島国は女性の陰部と同じです。日本が一九七八年から世界的な経済大国として登場したのはエバ(イブ)国家として選ばれたので(中略)日本はすべての物資を収拾して、本然の夫であるアダム国家 韓国に捧げなければならないのです」(「原理講論」)という考えを示している。

*20:文鮮明「(私が)日本をエバ国家に定めてあげなかったならば、日本はすでにぺしゃんこになっていたのです。雑多な神様を信じる民族。いわしの頭も信じる日本ではないですか。日本の経済を投入して南北を統一しなければ日本は滅びるのです。エバ国家の使命を果たすことができなければ跡形もなく消えるのです。それゆえに(中略)一家を捨てても一族が滅びても南北統一のために奮発しなければなりません」(天聖教)

*21:文鮮明北朝鮮を訪問し北朝鮮への投資を約束している(1991年)。アメリカ国防情報局によると、文鮮明金日成主席に4500億円を渡し、1993年には金正日総書記に3億3300万円誕生日プレゼントしたという。また、たとえば、アメリカ合州国でも、60年代・70年代に中絶に反対していなかった統一協会キリスト教右派に取り入るために突然中絶に猛烈に反対し始めたという。つまり「時の政権に取り入るため教団は理念を変えてきた」(統一協会元幹部アレン・ウッド氏)という。「何より大事なのは権力なのです。信仰は関係ありません」「権力を手にするためにあらゆるものを利用する」(同)のが統一協会だ。

*22:「反日が五輪反対」 賛成派もあきれた安倍さんの「世界観」 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

*23:哲学者・芝田進午氏は、現代の革命思想と反動思想について、以下のように述べている。「一八四八年のヨーロッパの革命において労働者階級は政治の舞台に進出し、歴史の担い手であることを万人の眼にしめします。他方、資本家階級はもはやかつての進歩性を喪失し、歴史の舞台において反動的役割をはたすにいたります。この点を思想の面で象徴するのが一八四八年の『共産党宣言』の刊行であり、これ以後は、革命と革命の思想の担い手はブルジョワジーからプロレタリアートにうつるわけです。ブルジョアイデオロギーは基本的には進歩的性格をもたなくなります。この点で決定的だったのは、一八七一年のパリ・コミューンでありまして、これ以後はブルジョワジーとその思想は決定的に反動的になります」(芝田進午「ベトナムと思想の問題 増補版」p.34)

*24:安倍晋三、晋太郎、岸信介「岸・安倍家3代と旧統一教会」60年の知られざる関係|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

*25:政治的・軍事的には日米安保体制ということになる。

長崎平和宣言

【平和宣言全文】核兵器の使用は「今ここにある危機」 長崎市長訴え (msn.com)

 以下、朝日新聞から。

 

長崎に米軍の原爆が投下されてから77年となった9日、爆心地近くにある長崎市平和公園で平和祈念式典が開かれた。長崎市の田上富久市長が平和宣言を読み上げた。ウクライナに侵攻したロシアが「核の脅し」をしていることを念頭に、「核兵器の使用は『杞憂(きゆう)』ではなく『今ここにある危機』である」と懸念を示した。その上で、「核兵器を持っていても使われないだろうというのは幻想。核兵器をなくすことが、未来を守るための唯一の現実的な道だ」と訴えた。

 また、2021年1月に発効した、核兵器を全面的に禁止する核兵器禁止条約への署名・批准を日本政府に迫った。

 

長崎市長平和宣言(全文)

 核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15万人もの死傷者を出した原子爆弾の投下から11年後のことです。

 被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚(た)きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると、会場から「写真に撮るのはやめろ!」「見世物(みせもの)じゃないぞ!」という声が発せられ、その場は騒然となりました。

 その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。

 「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。そして、二度と私をつくらないでください」

 核保有国のリーダーの皆さん。この言葉に込められた魂の叫びが聴こえますか。「どんなことがあっても、核兵器を使ってはならない!」と全身全霊で訴える叫びが。

 今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5カ国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄(せんりつ)を走らせました。

 この出来事は、核兵器の使用が“杞憂(きゆう)”ではなく“今ここにある危機”であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。

 核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。持っていても使われることはないだろうというのは、幻想であり期待に過ぎません。「存在する限りは使われる」。核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。

 今年、核兵器をなくすための2つの重要な会議が続きます。

 6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、条約に反対の立場のオブザーバー国も含めた率直で冷静な議論が行われ、核兵器のない世界実現への強い意志を示すウィーン宣言と具体的な行動計画が採択されました。また、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)は互いに補完するものと明確に再確認されました。

 そして今、ニューヨークの国連本部では、NPT再検討会議が開かれています。この50年余り、NPTは、核兵器を持つ国が増えることを防ぎ、核軍縮を進める条約として、大きな期待と役割を担ってきました。しかし条約や会議で決めたことが実行されず、NPT体制そのものへの信頼が大きく揺らいでいます。

 核保有国はこの条約によって特別な責任を負っています。ウクライナを巡る対立を乗り越えて、NPTの中で約束してきたことを再確認し、核軍縮の具体的プロセスを示すことを求めます。

 日本政府と国会議員に訴えます。

 「戦争をしない」と決意した憲法を持つ国として、国際社会の中で、平時からの平和外交を展開するリーダーシップを発揮してください。

 非核三原則を持つ国として、「核共有」など核への依存を強める方向ではなく、「北東アジア非核兵器地帯」構想のように核に頼らない方向へ進む議論をこそ、先導してください。

 そして唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に署名、批准し、核兵器のない世界を実現する推進力となることを求めます。

 世界の皆さん。戦争の現実がテレビやソーシャルメディアを通じて、毎日、目に耳に入ってきます。戦火の下で、多くの人の日常が、いのちが奪われています。広島で、長崎で原子爆弾が使われたのも、戦争があったからでした。戦争はいつも私たち市民社会に暮らす人間を苦しめます。だからこそ、私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが大事です。

 私たちの市民社会は、戦争の温床にも、平和の礎にもなり得ます。不信感を広め、恐怖心をあおり、暴力で解決しようとする“戦争の文化”ではなく、信頼を広め、他者を尊重し、話し合いで解決しようとする“平和の文化”を、市民社会の中にたゆむことなく根づかせていきましょう。高校生平和大使たちの合言葉「微力だけど無力じゃない」を、平和を求める私たち一人ひとりの合言葉にしていきましょう。

 長崎は、若い世代とも力を合わせて、“平和の文化”を育む活動に挑戦していきます。

 被爆者の平均年齢は84歳を超えました。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と被爆体験者の救済を急ぐよう求めます。

 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。

 長崎は広島、沖縄、そして放射能の被害を受けた福島とつながり、平和を築く力になろうとする世界の人々との連帯を広げながら、「長崎を最後の被爆地に」の思いのもと、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。

 2022年(令和4年)8月9日

 長崎市長 田上富久

【あいさつ全文】岸田首相「長崎を最後の被爆地に」 NPT参加強調(朝日新聞) - goo ニュース

 

 岸田文雄首相は、広島でのスピーチと同様、長崎でも、核兵器禁止条約(TPNW)には全く触れなかった。これで、岸田首相の「核兵器のない世界」「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」というコトバを信じることができるだろうか。広島出身の首相と宣伝しているが、整合性がとれず、全く説得力がないと言わざるをえない。

【あいさつ全文】岸田首相「長崎を最後の被爆地に」 NPT参加強調 (朝日新聞)

 長崎に米軍の原爆が投下されてから77年となった9日、爆心地近くにある長崎市平和公園で平和祈念式典が開かれ、岸田文雄首相は「77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは、唯一の戦争被爆国である我が国の責務」と述べた。

 現在、米・ニューヨークで開かれている核不拡散条約(NPT)再検討会議に、日本の首相として初めて参加したことにも触れ、「長崎を最後の被爆地とし続けなければならない」と訴えた。広島の平和記念式典と同様、核兵器禁止条約には触れなかった。

■岸田首相のあいさつ(全文)

 77年前の今日、一発の原子爆弾が長崎の街を一瞬にして破壊し尽くし、7万ともいわれる人々の命を、未来を、そして人生を奪いました。全てが焼き尽くされ、街でも、川でも、数限りない人々が斃(たお)れました。惨状の中でなんとか一命をとりとめた方々も長く健康被害に苦しまれてきました。内閣総理大臣として、ここに犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げますとともに、今なお、後遺症に苦しむ方々に対し、心からのお見舞いを申し上げます。

 77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは、唯一の戦争被爆国である我が国の責務であり、総理大臣としての私の誓いです。核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、「核兵器のない世界」への機運が後退していると言われている今こそ、私は、「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」と訴え続けてまいります。

 我が国は、いかに細く、険しく、難しかろうとも、「核兵器のない世界」への道のりを歩んでまいります。このため、非核三原則を堅持しつつ、「厳しい安全保障環境」という「現実」を、「核兵器のない世界」という「理想」に結びつける努力を行ってまいります。

 そうした歩みの基礎となるのは核兵器不拡散条約(NPT)です。その運用検討会議がまさに今、ニューヨークで行われています。私は、先日、日本の総理大臣として初めてこの会議に参加し、50年余りにわたり世界の平和と安全を支えてきたNPTを国際社会が結束して維持・強化していくべきである旨訴えてまいりました。

 厳しい安全保障環境の中にあっても、核不使用の歴史を継続し、長崎を最後の被爆地とし続けなければなりません。透明性の確保、核兵器の削減の継続、核不拡散も変わらず重要な取り組みです。

 また、「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍を語り伝え、記憶を継承する取り組みです。我が国は、被爆者の方々を始め、「核兵器のない世界」を願う多くの方々と共に、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。

 被爆者の方々には、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。

 結びに、市民の皆様のたゆみない御努力により、「国際文化都市」として見事に発展を遂げられた、ここ長崎市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶(あいさつ)といたします。

令和4年8月9日 内閣総理大臣岸田文雄

高校生のとき追いかけていた70年代ウェストコーストロック ー映画「ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック」・「エコーインザキャニオン」を観てー

 アメリカ合州国はカリフォルニア西海岸、いわゆるウェストコーストロック*1ドキュメンタリー映画である「ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック」と「エコーインザキャニオン」*2を観てきた。70年代初頭、高校生の時期にウェストコーストロックを追いかけていたので、このふたつの映画を感慨深く観た。以下は、映画の感想というより、高校生として70年代のウェストコーストロックをどのように見ていたか、振り返ってみたい。もちろん以下は個人的な感慨に過ぎないのだが、世代的にも重なるところがあると思う。俺には植草甚一氏の著作からジャズを聴きだした経験があるので、これから70年代の音楽を聞いてみようと考える人には役に立つところが少しはあるかもしれない。

ブラック・サンド・ビーチ(1965)

 東京生まれの俺は小学生のとき、加山雄三の音楽に惹かれ *3*4、区立中学校で英語を習った。ラジオからはポップスとビートルズ*5ローリングストーンズの音楽が流れていた*6

名曲”Get Back"が収録されたアルバム'Let It Be'(1970)

 イギリスから登場したビートルズはすでに世界を席巻していて、日本でもとくに俺の上の世代に絶大な人気があった。そのビートルズを真似て(パクって)商業主義的に結成されたモンキーズのテレビ番組も合州国で人気だったのだろう。日本でも吹き替え番組が中学生に人気だった記憶がある。

 洋楽に興味をもち始めたのは、第一に、連合国軍占領下の日本は世代的に知らないけれど、その後の日本は、日米安保条約下の文化状況が規範となり、テレビでは、アメリカ合州国のテレビ番組の吹き替えが当たり前のように放映されていた。ファッションでアイビールックが流行っていた。検定英語教科書もアメリカ志向だった。食文化でもコカ・コーラハンバーガ*7が入り込むなど、すでにアメリカ文化が普通に入り込んできていたからだろう。新しもの好きにとっては音楽でもあたらしい洋楽を受け入れるのは成り行きだった。

 中学校の先生たちは戦中・戦後を知っている先生方もいたから、授業中の雑談として「3S政策」の話を聞いた記憶がある。スクリーン・スポーツ・セックスだったか、順番はともかく、日本人を骨抜きにして占領するために、映画・スポーツ・性が有効というような話だった。当時「11PM」のような大人のテレビ番組もあったからそんなものかと思った記憶がある。

 洋楽に興味をもったものの、バブルガムミュージックをはじめティーンエイジャー向けのポップスはラジオから普通に流れていて、いわば当たり前過ぎて面白くなかった。俺の場合、バブルガムミュージックや10代向けポップスより、むしろ興味をもったジャンルが1960年代のフォークリバイバルの渦中にあったフォークソングだった。とくに、Peter, Paul & Maryの演奏と歌声*8に魅了され、歌詞を調べてみると、意味ある唄が多い感じがした。それがよくわからない歌詞の洋楽を聞いて理解したいという動機づけとなった。アメリカのものは何でもありがたがるという精神はさすがに軽薄に感じて羞恥心を覚えたから、フォークソングのもつ豊かな文化性*9は、海外のものをありがたがる植民地根性的罪悪感から多少なりとも逃れさせてくれた。当時すでに大学に通っていた姉から「フォークソング アメリカの抵抗の歌の歴史」*10という新書をもらって多少の知識も学んだ。

Peter Paul & Mary

 70年代初頭に都立高校*11*12 に進学した。英語教科書Crownや、副読本では、難しかったがA.A. Milne、George Orwell、Saul Bellow、William Saroyanなどを読まされた記憶がある。余暇に洋楽の歌詞と格闘し、時代は、アイビートラッドというより、ヒッピー文化の影響が強くなっていて、都立高校では、ブリティッシュロック好き、アメリカ合州国のウェストコーストロック、日本のロック好きなど、仲間によって好みが分かれ、Peter, Paul & Maryの"Blowin' in the Wind"が好きなら、Bob Dylanのオリジナルを聴いたほうがよい*13とクラスメートに教わったりした。俺の場合は、フォークソングからフォークロック、そしてウェストコーストロックに夢中になった。LPレコードも買うようになった。不安定な精神状況の思春期の琴線に触れたということなのか、なかでもNeil Youngに惹かれた*14

Everybody Knows This Is Nowhere(1969)

After the Gold Rush(1970)

 また日本でもプロテストソングやアングラフォークソングをふくめたいわゆるフォークソングが活発となり、俺の場合、加川良「教訓Ⅰ」、遠藤賢司「満足できるかな」(1971)を愛聴した。ラジオは重要な情報源だったから、カセットテープに録音してはいろいろと聞いていた。*15 

教訓(1971)

満足できるかな(1971)

 フォークからフォークロック、そしてロックへと音楽性も変容していく中で、Crosby, Stills, Nash & Young*16に惹かれ、“4 Way Street”*17、“Harvest”*18*19など、いろいろなアルバム*20を買っては聞いた。彼らの音楽性も自由だったが、“Ohio” (1970)*21 “Find the cost of freedom”(1970)など、歌う内容に抵抗精神と社会性を感じた。背景には、カウンターカルチャー*22エコロジー、ヒッピー文化、ベトナム反戦*23も時代状況に影響を与えていた。

4 Way Street(1971)

 本多勝一記者のルポ「アメリカ合州国」(1970年)も高校生のときに読み感銘を受けた。さすが本多記者はブラックミュージックの”ウッドストック”版「ハーレム文化フェスティバル」についても取材していて、後年映画"Summer of Soul"*24に結実し鑑賞する機会を得たが、高校生だった当時、ハーレム文化フェスティバルの音楽状況など知る由もなかった。

 こうして、リプリーズ(Reprise)*25というレコードレーベルは高校時代の俺にとっては見慣れたものとなり、70年代ウェストコーストロックを追いかけた。けれども、いま当時を振り返ると、高校生なりに理想と進歩を探っていたとはいえ、ウェストコーストロックを、少し美化しすぎていた感じがする。これは、レコードといくつかの音楽情報誌*26くらいしかなく、当時は情報が少なかったこと、そして、やはりやたらとアメリカ文化をありがたがる当時の日本の文化状況に大きく影響を受けていたところがあったように思う。ようやく少しは均衡のとれた見方ができるようになったということなのだろう。

 さて、ようやく映画の話である。

Laurel Canyon

Echo in the Canyon

 今回見た「ローレル・キャニオン 夢のウェストコースト・ロック」と「エコーインザキャニオン」は、ロサンゼルス郊外のローレル・キャニオンを舞台としている。カリフォルニア州は、いうまでもなく南のロサンゼルスと北のサンフランシスコが二大都市であり、北のサンフランシスコにくらべて南のロサンゼルスは雨が降らず*27山火事が起こるほど乾燥していて温暖だ。イングランドスコットランド移民の歴史をみると、18・19世紀、植民地を自分たちの故郷と比較的同じ気候の場所につくる傾向があったようだ*28が、20世紀、遊びとなれば、温暖な地域に限るということになったのだろう。アメリカ合州国のカリフォルニアブームも、そうした流れのひとつのような気がする。カリフォルニアでも南のロサンゼルスのほうが大都市であり、温暖だ。都市生活の便利さも享受でき、かつ自然志向のヒッピー的なミュージシャンにとって、ローレル・キャニオンが注目を浴びたということなのではないか。

Laurel Canyon 赤印は当時ジョニ・ミッチェルが住んでいた家 南にサンセットストリップ

 都市生活でいえばコンサート会場(venue)も必要だ。当時有名なところで、West HollywoodにあるTroubadour Club*29とthe Sunset StripにあるWhisky a Go Go *30サンセット大通りにはナイトクラブもありいわゆる歓楽街だった。

Troubadour Club & Whisky a Go Go

 郊外のローレル・キャニオンとロサンゼルスの都市生活。映画でもあつかわれていたThe Buffalo Springfieldの"For What It’s Worth"(1966)。この唄をリアルタイムでは聞いていなかったので"For What It’s Worth"を反戦歌か南米かどこかの政治的市街戦を表現した唄と勝手にイメージしていたのだけれど、今回の映画で、若者の野外外出をめぐるロサンゼルスでの攻防戦(サンセットストリップ暴動)*31を歌った唄だと知った。

For What It's Worth(1966)

 繰り返しになるが、このサンセットストリップから北上したところにローレル・キャニオンがあり、そのローレル・キャニオンに、イギリスからはGraham Nashが、カナダからは、カナダ人であるJoni MitchellNeil Youngが、そして合州国の各州からアメリカ人が住み着き始め、若きEric Claptonも遊びに来た姿が映画に映し出される。当時、日本で新譜が出ると、ほぼリアルタイムでNeil Youngのレコードは必ず買い求めていたので、ライナーノートにトパンガ・キャニオン(Topanga Canyon)やローレル・キャニオン(Laurel Canyon)の紹介があったように記憶をしているが、当時のミュージシャンたちがあれほどローレル・キャニオンに集まっていたとは知る由もなかった。

 そのローレル・キャニオンのミュージシャンのコミュニティではThe Mamas & the PapasのCass Elliotが世話役だったという。The Beatlesの"Yesterday"や"Help"、The Rolling Stones の"Satisfaction"、そしてBob Dylanの"Like a Rolling Stone"がヒットチャートをかざった1965年。男女混成グループであったThe Mamas & the Papas の"California Dreamin’ "*32がリリースされる。ここから、いわゆるウェストコーストロックが幕開けすることになる。

 そのウェストコーストロックが盛んになった時期は、1965年の"California Dreamin’ "から"Hotel California"(Eagles)の1977年くらいといわれる。

 British Invasion *33と呼ばれるように、ビートルズの影響は言うまでもなく大きい。それがロサンゼルスでは、Beach Boysのサーフ・ロックが生まれたのは知られているが、あのモンキーズもローレル・キャニオンに住んでいたことは初めて知った。Mr. Tambourine Man(1965)などDylanの唄を、リッケンバッカー・360/12のロジャー・マッギンのフォークロックにのせたThe Byrds。"Light My Fire(1967)のThe Doors。個人的には追いかけなかったFrank Zappa。黒人メンバーがいたため南部で演奏できなかったLove。そして日本のはっぴいえんど*34も愛聴したThe Buffalo Springfieldもローレル・キャニオンゆかりのミュージシャンたちだ。

 Neil Youngの声は万人受けする美声とはいえず、The Buffalo Springfieldでも自分の唄であっても歌わせてもらえなかったが、蓼食う虫も好き好き(Different strokes for different folks)。当時高校生だった俺はNeil Youngを柱にしてウェストコーストロックを追いかけた。CSNやCSNY*35は、ソロもやる個性重視の構成で、それがバンドとなればそうした個性の集合体として機能した。フォークやロックなどの演奏形態もさることながら、個性重視であったから離合集散も繰り返す傾向にあり、音楽情報誌やレコードのライナーノートから、こうした動向を眺めていた。好きなアーティストが別のアーティストの唄をカバーすることも多く、相互のリスペクトを感じられることもよくあることだった。ただリアルタイムではあったけれど情報量が少ないことは否めなかった。

 映画鑑賞後、ローレル・キャニオンがミュージシャンが集まりコミュニティをつくっていた地域であったことを前提にあらためて振り返ってみると、ローレル・キャニオンという地域そのものが、こうしたアーティストによって歌われていることに気がついた。

 映画には登場しないが、俺も所有しているアルバム"Song Cycle"(1968)で、Van Dyke Parksは、”What is up in Laurel Canyon/ The seat of the beat,” と歌っていた*36

 CSNのアルバムジャケットは音楽好きの高校生には当時よく知られたジャケットだったが、今回の映画で、あのカバー写真がローレルキャニオンの廃屋で撮られたこと、バンド名の順に並ぶ写真ではなかったため撮り直そうと考えたが廃屋が取り壊されたため撮り直しが不可能となったエピソードを知った。

Crosby Stills & Nash(1969)

 そしてNeil Young と同じくカナダ出身のJoni Mitchell*37Joni Mitchellでは、アルバム'Blue'(1971)がなんといっても好みだが、'Ladies of the Canyon'(1970)というアルバムも意欲作で、このタイトル自身がローレル・キャニオンを指していることに気づいた。このアルバムには、エコロジーをテーマに落ちもあるといわれる名曲“Big Yellow Taxi”*38、一緒に暮らしていたGraham Nashのことを歌った”Willy”*39、ジョニ自身はウッドストックで演奏してはいないがCSNYヴァージョンでもヒットした “Woodstock” 、そしてNeil Youngの”Sugar Mountain”への返歌といわれる“The Circle Game”が収録されている。

Ladies of the Canyon(1970)

Blue(1971)

 Joni Mitchellの名盤"Blue’(1971)には、ベトナム戦争反戦意識(Give Peace a Chance)*40が高まる中、フランスに滞在していたジョニが好きなミュージシャン*41のいるロサンゼルス、ロサンゼルスはサンセットストリップの憎むべき大嫌いな警官にもキスできるほど*42カリフォルニアに望郷の念をいだく"California"’という唄が収録されている。

 映画では、David Crosbyらとの集まりに、イギリスからEric Claptonも参加し、ジョニ・ミッチェルの変速チューニングを眺めていたクラプトンが印象的だった。

 音楽活動の経歴が違うからなのだろう、今回の映画には登場していないが、キャロル・キングジョニ・ミッチェルと交流があった。Carole Kingの名盤'Tapestry'(1971)のアルバムカバーはLaurel Canyonのキャロル・キングの当時の自宅で撮られたものだという。SSW(Singer Song Writer)の流れという点ではジョニ・ミッチェルと同じだが、キャロル・キングの唄は、もとからR&BやSoul Musicとつながっていた。自分の唄を自分で演奏した'Tapestry'は上質のポップミュージックであった*43

Tapestry(1971)

 映画では、アリゾナ州はツーソン(Tucson, Arizona)出身のLinda Ronstadt。Elliot RobertsとDavid Geffinのつくったアサイラム(Asylum)レーベルから新世代のJackson Browne *44。J.D.Southerなども登場している。書きたいこともあるが、切りがないのでやめる。

 さて今回の2つの映画はロサンゼルスの話なので、映画には登場しないけれど、カリフォルニアは北に位置するサンフランシスコの動きもカリフォルニア音楽史としては重要だ。1965年頃より反戦の象徴としてFlower Powerということが言われだし、サンフランシスコと花は反戦の象徴として切っても切れないものとなった。1967年にScott McKenzieの”San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair) ”がヒットし*45、1967年夏のSummer of Loveと呼ばれる文化的・政治的な主張を伴う動きが起こった。地域的には、なんといってもサンフランシスコはヘイトアシュベリー(Height Ashbury)。広くはベイエリア(Bay Area)。ケルアック、ギンズバーグなどのビート世代の作家たち。ビートニック、ビート詩人。ヒッピー、カウンターカルチャーサイケデリック・ロック。バンドとしては、the Jefferson Airplane, Quicksilver Messenger Service, Country Joe and the Fish, Santana, the Grateful Deadが活躍していた*46

 個人的体験だが、大学卒業後かけだし英語教師になって、UCLA Berkeley extensionでの語学研修のため、1981年、はじめてアメリカ合州国を訪れ、半年サンフランシスコに滞在し残りの2カ月でアメリカ合州国を旅したことがある。音楽文化に興味のあったから、The Great American Music Hall*47, The Stone, Greek Theatreなど、サンフランシスコのあちこちの音楽会場に出かけた。*48

How Sweet It Is (To Be Loved By You)

San Francisco

 先に書いたように、いわゆるウェストコーストロックの時期は、1965年の"California Dreamin'"から"Hotel California"の1977年くらいといわれる。

 Neil Youngファンとしては、映画「エコーインザキャニオン」の最後にかかる"What's Happening"(1966)*49 featuring Neil YoungでのNeil Youngのギターが印象的だった。

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 ということで、映画の感想というより、高校生のとき追いかけていた70年代ウェストコーストロックについての洋楽に対する個人史となった。

 個人的印象に過ぎないが、カリフォルニアロックは、イーグルスというバンドで、大衆化し、メジャー化していく中で、白人中産階層向けの消費されていく音楽として溶解していった気がしてならない。ポップ化して、とくに怒りが消失した印象がある。メジャー化していく中で、骨抜きにされていくのは、古今東西共通した傾向なのだろう。大学生となり学生時代を過ごした1970年代は、Bruce Springsteenというロックの未来を担う新しいミュージシャンが登場し活躍することになる*50。大学生のときは難解だったがBob Dylan*51 と The Bandに惹かれていた*52

 60年代の夢の終焉について考えるには、映画でも触れていたように、マンソンファミリーによる衝撃的事件。チャールズ・マンソンに触れないわけにはいかない。映画でもDavid Crosbyがその恐怖を述べていた。

 udiscovermusicの「60年代の夢の終焉:ビートルズの解散とチャールズ・マンソン」によれば、「60年代の夢の終焉」について以下のように述べている。

 「しかしながら、ロックの楽園は外から見るほどバラ色の幸福感に満ちてはいなかった。最も大きい喪失は、1969年8月20日、アビー・ロードのEMIスタジオで行なわれたザ・ビートルズの新作セッションが、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人にとって、全員揃って一緒に作業をした最後の機会となってしまったことだ。

 ロサンゼルスでは、ビーチ・ボーイズのドラマーのデニス・ウィルソンが、自分の住んでいた自宅から逃げ出す羽目になった。というのも彼の友人であったチャールズ・マンソンの日に日に常軌を逸してゆく“ファミリー”の実質的な根城として乗っ取ってしまったのだ。ウィルソンの出奔から間もなく、デニス呼ぶところのザ・ウィザード(魔法使い)は、ザ・ビートルズから受け取った暗号による指示だと信じ込んだことに基づき、自らの思い描く革命を実行に移し、8月初旬にシャロン・テイトと友人たちを残虐に殺害したのである。」*53

On the Beach(1974)

 ラブアンドピースの象徴であったウッドストックフェスティバル(1969)に対しても'Tonight's the Night'(1975)に収録されている”Roll Another Number (For the Road)"で歌われるように*54Neil Youngは冷ややかな眼差しを向け始めた。ヒッピーの理想についても、アルバム'Landing on Water'(1986)に収録されている"Hippie Dream" でCSNの"Wooden Ships"を想定し否定的に振り返っている*55。マンソンについても、アルバム'On the Beach'(1974) に収録された”Revolution Blues"で触れることとなった*56

 サンフランシスコを本拠地にして活躍したSly & The Family Stoneの"Stand!"(1969)や"The Greatest Hits"(1970)、"There's a Riot Goin' On"(1971)も、リアルタイムで聞いたというより、少しずれて愛聴した。Sam Cooke ”A Change is Gonna Come”(1964) *57Aretha Franklin”Respect” (1967)*58など、俺は小学生・中学生だったから、これらもリアルタイムで聞いたはずもなく、英語教師になってから独学で学んでいったものだ。都立高校生時代に追いかけたウェストコーストロックにくらべるなら、ブラックミュージックにたいする理解が足りなかったと言わざるをえない*59

 さて映画には登場していないけれど、ロサンゼルスで活躍していたミュージシャンとしては、80年代に"I Love LA"(1983)*60をつくったRandy Newman*61を忘れることはできない。ロサンゼルスや南部を背景にして、70年代よりRandy Newmanは、さらにひねりを加えた深い内容の唄をつくっていたからだ*62

   '12 Songs' (1970)*63、'Sail Away' (1972)など、Randy Newmanに魅せられたお話はまた後日にしたい。

12 Songs(1970)

 自分の高校時代を振り返ってみて思うのは、当時の、海外の音楽文化にかんする情報量の少なさだ。いまのように、WebやYouTubeなどがあれば、もっと深く学べていたことだろう。レコードとライナーノートと音楽情報誌くらいだったから、熱中して追いかけてはいたけれどもちゃんとしたところはなかなかわからなかった。そもそも俺に「学」というものなどないけれど、「少年老い易く学成り難し」というほかない。

 もうひとつ思うのは、「歴史は音楽をつくるが、音楽も歴史をつくるということ」*64だ。何かを深めるには時間も必要ということか。

*1:日本ではウェストコーストロックといったが、英語なら「カリフォルニアの音楽」("Music of California")あるいは「カリフォルニアサウンド」(California Sound)という表現になるようだ。映画「エコーインザキャニオン」の副題にも、"the birth of the california sound"とあった。

*2:「エコーインザキャニオン」は、ローレル・キャニオンが輝いていた時代をボブ・ディランの息子のジェイコブ・ディランら若い世代が振り返る設定になっていて、ジェイコブ・ディランがフィオナ・アップルやベックなどの仲間とともにカバー演奏するかたちになっている。ジェイコブ・ディランはブライアン・ウィルソンらにインタビューし、トム・ペティとともに語っている。

*3:加山雄三"Black Sand Beach" (1965)。加山は、演奏・作曲・歌唱と、日本のエレキギターブーム、そしてシンガーソングライターの火つけ役の役割を果たしたように思う。世代的にはエルビス・プレスリーの影響も受けているだろう。加山は、来日したビートルズにも会ってすき焼きをすすめたという。

*4:加山雄三の「若大将50年!」を聞いてみた - amamuの日記 (hatenablog.com)

*5:“The Beatles Get Back The Rooftop Concert”を劇場で観てきた - amamuの日記 (hatenablog.com)

*6:たとえば、ポップスでは、Bobby Sherman "La la la (if I had you) "(1969)、Shocking Blue "Venus"  (1969)。Edison Lighthouse ”Love Grows (Where My Rosemary Goes) ” (1970)など、いまから思えば能天気な内容と言わざるをえないが、これらのドーナツレコードを買った記憶がある。Beatlesでは、"Get Back"(1969)、"Let it be"(1970)。さすがにBeatlesは水準が高かったが、ラジオをつければ流れていたので不思議とレコードは買ったことがなかった。また"Bridge Over Troubled Water"、"Your Song"(1970)などのヒット曲は、バブルガムミュージックとは言えない水準だった。

*7:マクドナルド」日本1号店が銀座にオープンした1971年7月は俺が高校生のときのことだった。

*8:Peter Paul & Maryの代表曲には“Blowin’ in the Wind” (1963)や"Don't Think Twice (It's All Right"、"Puff"などがある。

*9:合州国のフォークリバイバルのルーツは、イギリスからのバラッドや合州国の黒人音楽にある。後年、フォークリバイバルのルーツであるイングランドスコットランドアイルランド音楽などに興味をもち、ヌーラ・オコーナー氏の労作「アイリッシュ・ソウルを求めて (the Roots of Rock)」や茂木健著「バラッドの世界ーブリティッシュ・トラッドの系譜」などを読んだことがある。茂木健氏の「バラッドの世界」 - amamuの日記 (hatenablog.com)

*10:フォークソング アメリカの抵抗の歌の歴史」(三橋一夫)初版本は1967年だが、わたしのもっている版は1969年度版。

*11:洋楽好きの当時の都立高校生がどんな感じだったか。RCサクセショントランジスタラジオ」(1980)という唄がよくあらわしているように思う。

*12:THE RC SUCCESSIONの「76-’81&’88〜SOULMATES」 - amamuの日記 (hatenablog.com) 

*13:’Blowin’ In The Wind’ の ”before you call him a man” - amamuの日記 (hatenablog.com)

*14:authenticなものは唄から学んでいた - amamuの日記 (hatenablog.com)

*15:はっぴいえんどの「風街ろまん」も1971年のリリース。URCのレーベル、関西フォークも盛んだった。浅川マキと小沢昭一のジョイントコンサート、初期のRCサクセションなども見た。

*16:弁護士がそれぞれ集まって合同事務所をつくる場合、おのおのの名前を並べて新組織を命名することがある。個人名を並べて音楽グループ名としたのは少し変わっているが、同時に、個人個人を大切にしている印象も与えてくれた。

*17:Crosby, Stills, Nash & Youngの4 Way Street - amamuの日記 (hatenablog.com)

*18:1971年のニールヤング - amamuの日記 (hatenablog.com)

*19:ニールヤングのHarvestというアルバム - amamuの日記 (hatenablog.com)

*20:たとえば、“Déjà vu”(1970) Crosby, Stills, Nash & Young。 “4 Way Street”(1971) Crosby, Stills, Nash & Young。“Everybody Knows This is Nowhere” (1969) Neil Young & Crazy Horse。 “Harvest”(1972) Neil Youngなど。

*21:ケント州立大学射殺事件に抗議してOhioを書く - amamuの日記 (hatenablog.com)

*22:ホールアースカタログなどの影響もあり、別冊宝島晶文社片桐ユズル植草甚一、芦沢一洋「アーバン・アウトドア・ライフ」などもよく読んだ。”Don’t trust anyone over 30”という標語もあった。

*23:本多勝一「戦場の村」(1968年)「北爆の下」(1969年)などのルポルタージュも愛読した。

*24:映画"Summer of Soul (...Or, When the Revolution Could Not Be Televised"を観てきた - amamuの日記 (hatenablog.com)

*25:初期のNeil Youngのレコードレーベルはリプリーズだった。

*26:主に中村とうよう氏の「ニュー・ミュージック・マガジン」「ミュージック・マガジン」。

*27:Albert Hammond“It Never Rains in Southern California”(1972)というヒット曲があった。

*28:たとえば、ニュージーランドクライストチャーチイングランド人が、オタゴはスコットランド人が入植した街といわれているが、北半球でのスコットランドイングランドの緯度の関係と、南半球のクライストチャーチとオタゴの関係は、緯度的には同じ関係になっている。大ブリテン島からの移民は寒い場所を忌避していないという印象があり、たとえば、オーストラリアでも、シドニーメルボルンへの植民が古い。そうした古い植民から今日では休暇を過ごすならクイーンズランド州などホリデイステイトと呼ばれる州やブリズベンへの人気が高まっていったような印象がある。

*29:トルーバドールには、Lenny Bruce, The Byrds, Richard Pryor, Nina Simone, Baffalo Springfield, Joni Mitchell,  Poco,  Steve Martin, Neil Young, James Taylor, Donny Hathaway, Randy Newman, Van Morrison, Bruce Springsteen & the E Street Bandらが出演した。

*30:ウィスキーアゴーゴーにはthe Doors, Janis Joplin, Led Zeppelinらが出演した。ウィスキーアゴーゴーで演奏を聞いたことはないが、1982年に外観だけ見たことがある。

*31:ロサンゼルスはハリウッドのサンセット大通りで、長髪のヒッピーの若者たちがプラカードをもって集まり、条例違反で逮捕者も出た1966年の攻防戦。この騒ぎに若き日のピーター・フォンダジャック・ニコルソンらも参加していたと言われている。

*32: "California Dreamin’ "には、"I'd be safe and warm if I was in LA"という歌詞の一行がある。

*33:ブリティッシュインヴェイジョンといわれるグループでthe Beatles, the Rolling Stones以外には、the Who, the Kinksなど。

*34:The Buffalo Springfieldの"Bluebird"をカバーしたはっぴいえんどの録音音源もある。

*35:The Buffalo SpringfieldからStephen Stills。The ByrdsからDavid Crosby。HolliesからGraham Nash。そしてThe Buffalo SpringfieldからNeil Youngで、Crosby Stills Nash & Young(CSNY)というグループ名だった。

*36:'Up Laurel Canyon'という唄。Lenny Waronkerがプロデューサー。

*37:Joni MitchellNeil Youngも、Elliot Robertsがマネージャーだった。

*38:以下、佐々木モトアキ氏の記事。Big Yellow Taxi〜環境問題に鋭く切り込んだジョニ・ミッチェルの名曲はこうして生まれた|TAP the DAY|TAP the POP

*39:Graham Nashは素朴な唄"Our House"をつくった。一緒に暮らした彼女はジョニ・ミッチェルといわれている。

*40:"Give Peace a Chance"(1969)はJohn Lennon反戦歌。John Lennonの’John Lennon/Plastic Ono Band’’(1970)は名盤。

*41:おそらくDavid CrosbyかGraham Nashを念頭においたバンド。

*42:"I'll even kiss a Sunset pig"という一行がある。

*43:ブルックリンでユダヤ系両親に生まれたキャロル・キングは、Goffin & Kingとして、Aretha Franklin や The Driftersに唄を提供していた経歴から、Aretha FranklinやDanny Hathawayら少なくない黒人アーティストがキャロル・キングの唄をカバーしている。

*44:Jackson Browneのアルバムとしては、 “Late for the Sky”(1974)、“Running on Empty”(1978)などがある。

*45:The Mamas & the PapasのメンバーJohn Phillipsが書いた曲。

*46:Creedence Clearwater Revival (CCR)は、1967年から1972年にかけて活躍したロックバンドで、サザンロックの元祖ともいわれるが、サンフランシスコを中心に活動した。簡潔な短めのシングルヒットを何曲も出した。

*47:David Crosbyの演奏もThe American Music Hallで見たことがある。

*48:The Greatful Dead, Jerry Garciaのコンサートにもよく出かけた。ジェリー・ガルシアの"How Sweet It Is"の演奏に酔いしれる - amamuの日記 (hatenablog.com)

*49:The Byrdsのアルバムに収録されたDavid Crosbyの唄。

*50:たとえばBruce Springsteen 'Born to Run'(1975)。

*51:'Before the Flood'(1974)

*52:'Once Were Brothers Robbie Robertson And The Band'を観てきた - amamuの日記 (hatenablog.com)

*53:「60年代の夢の終焉:ビートルズの解散とチャールズ・マンソン

*54:"I'm not goin' back to Woodstock for a while, / Though I long to hear that lonesome hippie smile. / I'm a million miles away from that helicopter day / No, I don't believe I'll be goin' back that way." from”Roll Another Number (For the Road)"

*55:”But the wooden ships / Were just a hippie dream / Just a hippie dream.” from "Hippie Dream"。

*56:Revolution Blues by Neil Young - Songfacts

*57:「リマスター:サム・クック」(“The Two Killings of Sam Cooke”)を観た - amamuの日記 (hatenablog.com)

*58:Aretha Franklin の "Respect"(1967) - amamuの日記 (hatenablog.com)

*59:どちらの映画だったか忘れたが、The BeatlesがLittle Richardの追っかけをしていたという逸話は俺も聞いたことがある。ビートルズの初期のレパートリーに黒人音楽文化からのカバー曲が少なくない。The YardbirdsEric ClaptonなどイギリスのブルーズメンがSonny Boy Williamson II、B.B. Kingなどアメリカ合州国の南部の黒人音楽・ブルーズから学んだこともよく知られたことだ。

*60:"I Love LA"は、1984年のロサンゼルスオリンピックのときによく流れ、一般に、ロサンゼルスを讃えたものと受けとめられているが、皮肉屋のランディ・ニューマンらしく、単純なロサンゼルス賛歌とはいえない。

*61:久しぶりにGreat Streets - Sunset Boulevard with Randy Newman VHSを観た - amamuの日記 (hatenablog.com)

*62:たとえば、アルバム'Sail Away'に収録されている"Burn On"。Randy Newman の "Burn On" (1972) - amamuの日記 (hatenablog.com)

*63: '12 Songs' 'Sail Away' 'Good Old Boys'(1974)、いずれもユダヤ系のLenny Waronkerがプロデューサー。

*64:「以上、わたくしは“原爆音楽”の特徴についてのべてきたのでありますが、もちろん、原爆音楽だけが現代音楽の主要なものであえるというのではありません。
 原爆音楽とつながるヒューマニズムの音楽、すなわち人間の尊厳をうたい、人びとに人間の尊厳と人間の権利の意識、またそのような感性と感情、情熱をつちかう音楽の意義を、あらためて、わたくしは強調するものであります。
 わたくしの考えを一言でいえば、歴史は音楽をつくるが、音楽も歴史をつくるということであります。」(芝田進午「核時代 Ⅱ 文化と芸術」青木書店1987年 p.97)

広島平和宣言

【平和宣言全文】「他人の不幸の上に自分の幸福を…」広島市長 (msn.com)

 以下、朝日新聞から。

広島は6日、被爆77年の「原爆の日」を迎えた。広島市平和記念公園で開かれた平和記念式典で、広島市松井一実(かずみ)市長が平和宣言。77年前の原爆で母を失った当時16歳の女性の被爆体験を紹介し、「一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはならない」と訴えた。

 「核の脅し」を続けるロシアを念頭に、「他者を威嚇し、その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのか」と述べた。

■平和宣言全文

 母は私の憧れで、優しく大切に育ててくれました。そう語る、当時、16歳の女性は、母の心尽くしのお弁当を持って家を出たあの日の朝が、最後の別れになるとは、思いもしませんでした。77年前の夏、何の前触れもなく、人類に向けて初めての核兵器が投下され、炸裂(さくれつ)したのがあの日の朝です。広島駅付近にいた女性は、凄(すさ)まじい光と共にドーンという爆風に背中から吹き飛ばされ意識を失いました。意識が戻り、まだ火がくすぶる市内を母を捜してさまよい歩く中で目にしたのは、真っ黒に焦げたおびただしい数の遺体。その中には、立ったままで牛の首にしがみついて黒焦げになった遺体や、潮の満ち引きでぷかぷか移動しながら浮いている遺体もあり、あの日の朝に日常が一変した光景を地獄絵図だったと振り返ります。

 ロシアによるウクライナ侵攻では、国民の生命と財産を守る為政者が国民を戦争の道具として使い、他国の罪のない市民の命や日常を奪っています。そして、世界中で、核兵器による抑止力なくして平和は維持できないという考えが勢いを増しています。これらは、これまでの戦争体験から、核兵器のない平和な世界の実現を目指すこととした人類の決意に背くことではないでしょうか。武力によらずに平和を維持する理想を追求することを放棄し、現状やむなしとすることは、人類の存続を危うくすることにほかなりません。過ちをこれ以上繰り返してはなりません。とりわけ、為政者に核のボタンを預けるということは、1945年8月6日の地獄絵図の再現を許すことであり、人類を核の脅威にさらし続けるものです。一刻も早く全ての核のボタンを無用のものにしなくてはなりません。

 また、他者を威嚇し、その存在をも否定するという行動をしてまで自分中心の考えを貫くことが許されてよいのでしょうか。私たちは、今改めて、「戦争と平和」で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。

 今年初めに、核兵器保有5カ国は「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」「NPT(核兵器不拡散条約)の義務を果たしていく」という声明を発表しました。それにもかかわらず、それを着実に履行しようとしないばかりか、核兵器を使う可能性を示唆した国があります。なぜなのでしょうか。今、核保有国がとるべき行動は、核兵器のない世界を夢物語にすることなく、その実現に向け、国家間に信頼の橋を架け、一歩を踏み出すことであるはずです。核保有国の為政者は、こうした行動を決意するためにも、是非(ぜひ)とも被爆地を訪れ、核兵器を使用した際の結末を直視すべきです。そして、国民の生命と財産を守るためには、核兵器を無くすこと以外に根本的な解決策は見いだせないことを確信していただきたい。とりわけ、来年、ここ広島で開催されるG7サミットに出席する為政者には、このことを強く期待します。

 広島は、被爆者の平和への願いを原点に、また、核兵器廃絶に生涯を捧げられた坪井直氏の「ネバーギブアップ」の精神を受け継ぎ、核兵器廃絶の道のりがどんなに険しいとしても、その実現を目指し続けます。

 世界で8200の平和都市のネットワークへと発展した平和首長会議は、今年、第10回総会を広島で開催します。総会では、市民一人一人が「幸せに暮らすためには、戦争や武力紛争がなく、また、生命を危険にさらす社会的な差別がないことが大切である」という思いを共有する市民社会の実現を目指します。その上で、平和を願う加盟都市との連携を強化し、あらゆる暴力を否定する「平和文化」を振興します。平和首長会議は、為政者が核抑止力に依存することなく、対話を通じた外交政策を目指すことを後押しします。

 今年6月に開催された核兵器禁止条約の第1回締約国会議では、ロシアの侵攻がある中、核兵器の脅威を断固として拒否する宣言が行われました。また、核兵器に依存している国がオブザーバー参加する中で、核兵器禁止条約がNPTに貢献し、補完するものであることも強調されました。日本政府には、こうしたことを踏まえ、まずはNPT再検討会議での橋渡し役を果たすとともに、次回の締約国会議に是非とも参加し、一刻も早く締約国となり、核兵器廃絶に向けた動きを後押しすることを強く求めます。

 また、平均年齢が84歳を超え、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの被爆者の苦悩に寄り添い、被爆者支援策を充実することを強く求めます。

 本日、被爆77周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

 令和4年(2022年)8月6日

    広島市長 松井一実

 

岸田首相、核禁条約に触れず 広島の平和記念式典 あいさつ全文(朝日新聞) - goo ニュース

 

 広島は6日、被爆77年の「原爆の日」を迎えた。広島市平和記念公園で開かれた平和記念式典で、地元選出の岸田文雄首相が就任して初めてのあいさつ。「広島の地から、『核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない』と、声を大にして、世界の人々に訴える」と述べた。

 核不拡散条約(NPT)再検討会議に、日本の首相として初めて参加したことを強調。「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めて誓う」と述べた。一方、核兵器禁止条約には触れなかった。

■首相あいさつ 全文

 本日、広島は、被爆から77年となる朝を迎えました。真夏の太陽が照りつける暑い朝、一発の原子爆弾が広島の街を一瞬にして破壊し尽くし、十数万ともいわれる人々の命を、未来を、そして人生を奪いました。川ではあまたの人がたおれ、街中には水を求めてさまよう人々の姿。そうした惨状の中でなんとか一命をとりとめた方々も長く健康被害に苦しまれてきました。内閣総理大臣として、ここに犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げますとともに、今なお、後遺症に苦しむ方々に対し、心からお見舞いを申し上げます。

 77年前のあの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは、唯一の戦争被爆国である我が国の責務であり、被爆地広島出身の総理大臣としての私の誓いです。核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、「核兵器のない世界」への機運が後退していると言われている今こそ、広島の地から、私は、「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」と、声を大にして、世界の人々に訴えます。

 我が国は、いかに細く、険しく、難しかろうとも、「核兵器のない世界」への道のりを歩んでまいります。このため、非核三原則を堅持しつつ、「厳しい安全保障環境」という「現実」を「核兵器のない世界」という「理想」に結びつける努力を行ってまいります。

 そうした努力の基礎となるのは核兵器不拡散条約(NPT)です。その運用検討会議がまさに今、ニューヨークで行われています。私は、先日、日本の総理大臣として初めてこの会議に参加をし、50年余りにわたり世界の平和と安全を支えてきたNPTを国際社会が結束して維持・強化していくべきである旨訴えてまいりました。

 来年は、この広島の地で、G7サミットを開催します。核兵器使用の惨禍を人類が二度と起こさないとの誓いを世界に示し、G7首脳と共に、平和のモニュメントの前で、平和と国際秩序、そして自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的な価値観を守るために結束していくことを確認したいと考えています。

 「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍を語り伝え、記憶を継承する取り組みです。我が国は、被爆者の方々をはじめ、「核兵器のない世界」を願う多くの方々と共に、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。

 被爆者の方々には、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。

 結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私のあいさつといたします。

 令和4年8月6日

 内閣総理大臣 岸田文雄

 

 

 

マインドコントロールに陥れる詐欺的ウソに騙されてはなりません

 旧統一協会自民党との関係が取りざたされる中、旧統一協会霊感商法、その手口も報道されている。

 北海道大学大学院の櫻井義秀教授によれば、旧統一協会などカルトへの勧誘セミナーでは、横の人たちとの受講生間の私語は厳禁だという。教室授業なら、「この先生の言ってること、変じゃね」といった私語を受講生に許すと、マインドコントロールがとけてしまうからなのだろう。受講者をバラバラにして、教義がよく入った受講者とよく入らなかった受講者とを分別して、よく入った受講者だけ残して、さらに一段あげたセミナーを受けさせれば効率よいからだ。

 さて先日の自民党・茂木幹事長による「旧統一教会と党は組織的な関係はない」発言には椅子から転げ落ちるほど驚いた*1。この発言、百歩譲って文書協定的な取り決めにおいて「組織的な」関係はないかもしれないが、量的には多い事例が上がってきているのだから、「旧統一教会と(自民)党は…関係はない」とはとても言えない。これ自身が、旧統一協会など、カルトによる受講者をマインドコントロールに陥れる詐欺的ウソと言えるのではないか。実態は、茂木幹事長の言辞とは真逆で、旧統一協会自民党とは少なからず関係があるのだから*2*3、反社会的団体である旧統一協会と接してきた中で、自民党はその手口を学んだのではないかと推測してしまうほどだ。以前あのナチスの手口に学んだらどうかというような発言*4*5*6もあったくらいなのだから。

 そんなことを思い出していたら、さらに一昨日、福田達夫総務会長(自民党・安倍派)から、とんでもない発言が飛び出した。総務会長記者会見でのことだ。

 「正直僕自身が個人的に全く関係がないので、何でこんな騒いでいるのか正直よくわからないというのはあります。何か本当に明確にですね、我が党が組織的にある団体から強い影響を受けてそれで政治を動かしているんであれば問題かもしれませんけど。申し訳ない。僕の今の理解の範疇だとそういういことが一切ないので、それを取り立てて問題だということが本当に何か物事を良くするのか、非常に僕は極めて疑問に思っていますし、どんなご意図でやってらっしゃるんだろうというように、正直思います。ただ単に信じてる方の母体が”統一教会”に関するところだったというぐらいのことで問題であるとか、自民党がそこの団体のですね、影響を受けて政治を動かしているというような誤解を招くようなことだけはしてほしくないなと思いますし、その上お相手の方もだいぶご迷惑なのかなと、正直思っております。正直いいます。何が問題か、僕よくわかんないです」。

 これこそ、私たちをマインドコントロールに陥れる詐欺的ウソというほかないのではないか。

 わかりました。

 自民党は、長年、旧統一協会と深いつきあいをしていく中で、権力維持のためには、国民をマインドコントロールに陥れる詐欺的ウソのつき方を深く学ばれたわけですね。あのナチスの手口に学んだらどうかねとばかりに。

 福田氏は「個人的に全く関係がない」と発言しているが、祖父の福田赳夫元首相(発言当時は大蔵省相)が、1974年5月にホテルを会場とした「希望の日 晩餐会」であの文鮮明をもちあげるスピーチ「アジアに偉大な指導者現る その名は文鮮明である」と述べたことがあるとネットで話題になっている。

 また福田氏は「なんでこんな騒いでいるのか正直よくわからない」と発言しているけれど、いま問題になっていることは、自民党が反社のカルト団体と、「やめられない・とまらない」状態から、もちつもたれつの関係、蜜月関係にはまり、量的・質的に深い関係に進行していったということではないのか。自民党からすれば、秘書・運動員などによるポスター貼り・電話かけなど、選挙活動に無償の労働力を提供してもらえるし、霊感商法で巻き上げた厖大な資金も期待できる*7

 反社のカルト団体からすれば、自民党などの代議士から社会的なお墨付きをもらってみずから反社会的団体ではないという免罪符として使いたい。さらに公安の対象から除外してもらえる、団体の名称変更など「政治のちから」を発揮してもらって擁護してもらえる。否、すでに自民党(とくに安倍派)という看板自体がカルトの隠れ蓑になっているというのが実態に近い気さえする。

 昨日*8の「報道特集」によれば、UPF(2021年9月)のイベントでは 、トランプ大統領の次に安倍元総理のビデオメッセージが披露された。これが韓国の会場からオンラインで世界に発信された。1992年の合同結婚式で日本人女性と結婚し現在韓国で暮らしている教団幹部のひとりに対する取材で、彼は、「正直私は安倍氏にかなり悪い印象を持っていた。独島(竹島)問題 慰安婦問題 教科書問題 軍国主義の復活などがあったからです」と述べ、「(ビデオメッセージを見て)大変驚いた。動画が流れることは秘密で、あの映像が流れてみんなが驚いた。安倍氏のことをよく知らなかった人や否定的に見ていた人たちが”すごくいい方だ”と言ってイメージが大きく変わった」と言っていた。まさに旧統一協会を使い旧統一協会に使われ、もちつもたれつの蜜月関係だったといえる。

 この幹部は、彼が「合同結婚式に参加したとき、中曽根元総理がビデオメッセージを送ってきた。そのことを思い出す」とも語った。

 またこの幹部は、「日本では統一教会のイメージが悪く安倍氏はメッセージを送ることに悩んだと思う。政治家として大きな負担を感じたはずだが、送ったということに対して大きな意味があると感じている」と、安倍元首相の心理を推測した。

 「報道特集」によれば、安倍元首相にビデオ出演の依頼をしたのが梶栗正義UPF-Japan会長であり、ビデオメッセージ世界発信の1か月後、「3人の元総理に打診したが、(元総理の)事務所から一体何を言われたか。結局あなたたち団体は私共の○○先生を団体の宣伝材料に使いたいだけでしょ。布教のために利用したいだけでしょ。3人の元首相からはそっぽ向かれた」という。ところが、トランプ前大統領のビデオ出演が決定すると、風向きが変わった。梶栗正義UPF-Japan会長によれば、「「先生、もしトランプがやるということになったらやっていただかなくちゃいけないけどどうか」「あぁそれなら自分も出なくちゃいけない」という話を(去年)春にやりとりしていた」「先方から「やりましょう」という答えが返ってきて私の耳に入ったのが8月24日」「この8年弱の政権下にあって6度の国政選挙において私たちが示した誠意というものもちゃんと本人が記憶していた」という。

 つまり、旧統一協会による誠意(6度の国政選挙における選挙協力と8年弱の政権維持への貢献)を安倍元首相が記憶(理解)していて*9、(躊躇していた)ビデオメッセージにサプライズ登場したということなのだろう。

 「我が党が組織的にある団体から強い影響を受けてそれで政治を動かしているんであれば問題」、また「自民党がそこの団体の影響を受けて政治を動かしているという…誤解」と福田氏は言うが、先の「報道特集」で報じられているような選挙協力があったとすれば、その影響を受けないほうが不思議と言わざるをえない。政策としても、選択制夫婦別姓に反対、同性婚に反対、家父長制的価値観から、ジェンダー・家庭のあり方のあたらしいかたちに強い拒否感を示し、また”改憲”では一致していると見る見方がある。

 「ただ単に信じてる方の母体が"統一教会”に関するところだったというぐらいのことで問題である」「お相手の方もだいぶご迷惑なのかなと正直思っております」と福田氏は言うが、統一協会は、反社会的団体として明確になっており、相手に配慮を払うような団体とはいえない。

 極めつけは、「正直いいます。何が問題か、僕よくわかんないです」である。おそらく福田氏はよくわかっているのだろう。でなければ、「よくわかんない」としたいのか。もしかすると「よくわかんない」と思い込みたいのかもしれない。そのように発言すれば、それが現実になると。であれば、それこそ言霊主義の観念論者というほかない。

 福田達夫総務会長は自分の発言について会見後にコメントを出したが、それも以下のような一読しただけではよくわからない内容だった。

 「わが党が組織的に党外の団体から強い影響を受け、それで政治が動くのであれば問題ですが、わたしの理解ではそのようなことは一切ありません。ただ、党としての問題ではなく、個人として何か抜き差しならない関係になっていて、その結果、その方の政治活動に非常に大きい影響を与えているのであれば、それは問題と思います。そのような団体とのつきあいについて何が問題かわからないという趣旨の発言ではございません」*10

 旧統一協会自民党との関係は「組織的な関係はない」というようなものではない。

 昨日の「報道特集」によれば、統一教会元信者のアレン・ウッド氏の取材で、レーガン大統領が読んでいる新聞は文鮮明がオーナーであるワシントン・タイムズ紙だけと言ったという。旧統一協会は、共和党の政治家を取り込むという点で大いに成功した。レーガン大統領・ブッシュ親子大統領・トランプ大統領、その全員が統一教会の大々的な支援を受けたという。父親ブッシュは「統一教会の信者らがいなければ選挙での勝利はなかった」と発言していたという。

 大物政治家が旧統一教会のイベントに出席したり、メッセージを送ったりする際に多額の報酬をが支払われていたこともアレン・ウッド氏は証言した。ブッシュが大統領の任期を終えて韓国に講演に行ったときは、1回のスピーチにつき、100万ドル(約1億3000万円)を支払った。レーガンにも1回100万ドル支払った。この金は洗脳されて奴隷となった若者たちから巻き上げたものだった。

 昨年旧統一教会の関連団体のイベントにトランプ前大統領もビデオメッセージを送るなど、共和党とのつながりは現在も続いているという。

 選挙協力や多額の報酬によって日本やアメリカの政界とつながりを深めた旧統一教会。ウッド氏は、(文氏は)「イデオロギーで心を掴めなければ金で買収する」と言っていた。ウッド氏によれば、「(旧統一教会は)政治団体であり、そのゴールは権力を握ること」*11。文氏は「今は自分にあらがう人も多いが、将来は自分の言葉がほとんど法律のようになるだろう」と言っていた。

 2年前のトランプ大統領支持者による連邦議会への突入事件の中に、文鮮明の息子の一人(七男)が合州国で始めたサンクチュアリ教会の信者がかかわっているということが明らかになっている。銃規制反対・同性婚反対・妊娠中絶反対などの価値観を共有し、キリスト教原理主義右派と重なり合っている。団体とのかかわりが政策に影響を与えないはずもない。

 以上は、主に昨日の「報道特集」からの情報だが、こうした正当な報道に接しない限り、自民党の先生方の騙しに簡単に騙されることになってしまうだろう。私たちをマインドコントロールに陥れる詐欺的ウソに騙されてはならない。

*1:自民党・茂木幹事長の2022年7月26日の発言。

*2:統一教会”系の会合に自民党重鎮の姿…政界との関係どこまで? 苦しみ続ける元信者「地獄への恐怖」今でも…

*3:教団を追うジャーナリストが明かす 旧統一教会 ”濃厚接触議員” (msn.com)

*4:「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に代わった。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」という麻生太郎氏による2013年の発言。

*5:主張/麻生副総理の発言/国際社会に通用しない暴言だ (jcp.or.jp)

*6:半藤一利氏が気づいた麻生氏の「ナチス手口学べ」発言の真意|NEWSポストセブン (news-postseven.com)

*7:「報道特集」(2022年7月30日)が入手した内部資料によれば、日本からの献金額が莫大で、1999年度から2008年度まで、日本人信者の献金額は、年間おおむね600億円。2009年のコンプライアンス宣言以降も、変わらず600億円近くの献金を集めていた。2009年から2011年の3年間で、「感謝献金」(TD)として、毎年約200億円、日本から韓国へ送金している。さらに別の内部資料には、韓国関連財団への送金額として2013年度には132億円が送金されている。問題があって返金しなければならなくなった返金額が30億円~20億円台という額になっている。

*8:2022年7月30日。

*9:この「報道特集」で、安倍元総理がビデオメッセージを送った理由について、先の教団幹部は「政治家はたくさんの人々と接する必要があり選挙の票を意識した行動を取らざるを得ない。政治家は”多宗教人”だといわれます。票のためにキリスト教ではキリスト教徒に仏教では仏教徒のように振る舞うしかないのです」と語った。

*10:7月29日「報道ステーション」で、会見での発言について会見後に説明したコメントの一部としてアナウンサーが読み上げた内容から。

*11:この文鮮明の「ゴールは権力を握ること」というのが本質だろう。この点で、旧統一協会も自民党も共和党も変わりがないのだろう。韓国・北朝鮮・日本の権力者の奇妙な三角関係も、「ゴールは権力を握ること」といえば、すんなりと理解できることが少なくない。