黒澤明の「椿三十郎」

椿三十郎

 今しがた郵便局に行ってカセットテープを送ってきた。重量6ポンドで、$6.45(約1500円)だった。Sea Mailで5週間程度かかると言われた。
 今日はストランドで、黒澤明の「用心棒」*1、「椿三十郎*2を観てきた。「用心棒」(Yojinbo)はまずまずの出来で悪くない。日本のリズムを感じたのが収穫だった。
 ところが、「椿三十郎」(Sanjuro)は久しぶりに全身が震えるような感動を覚えた。アメリカ合州国に来てから一番の出来事だ。それほど、日本映画に対する見方を根底から覆された。この映画は実に完成度が高い。血生臭い映画ながら、それを超えている。血生臭いシーンに必然性がある。しかもその到達点はかなり高い。そもそも暴力や血生臭い映画は私は大の苦手で、これまでカンフーのような中国映画、ヤクザなどの日本映画は避けてきた。サンフランシスコに来てからは、語学修業とばかりに、英語の字幕を見によく出かけたが。私がJapan Centerで観た日本映画、「眠狂四郎」「必殺仕置き人」などは、血生臭さに意味もない。ただ、残虐なだけという印象がある。だから私の趣味ではない。新藤兼人の「黒猫」「鬼ばば」は、日本的リズムの面白さはあると言えるだろう。音楽担当は林光で、特に太鼓などは耳に残り、また霊や魂などのテーマは知的に面白く、興味深いが、どう見てもinternationalとは言い難い(土着に徹することが逆にinternationalだということもあるだろうが)。特に「黒猫」は誤解を生む可能性がある。
 Bloody moviesは、ナンセンスが多い。日本的情感を強く出したものはなかなか理解しにくい一方、山田洋次監督の「家族」などは、異文化コミュニケーションとしてはまずまずのほうで、「寅さん」なら、中国系の人には充分斬れるだろうが、日本の常識、背景的知識、「知的枠組み」(FOR)の不足は避けられない。ところが、「椿三十郎」は違う。勿論、日本の常識、背景的知識、「知的枠組み」(FOR)の欠如は避けられない。山田洋次の映画より多いだろう。しかし、それを越える魅力、力を持っている。Bloody=nonsenseという公式は成り立たない。考えてみれば、Shakespeareだってbloodyだ。しかし、あのシェイクスピアドラマツルギーには必然性がある。黒澤明監督の「椿三十郎」にも必然性がある。「影武者」の比ではない。力作だ。このパワーは、黒澤明の若さか。燃えるような創作意欲か。拍手したい気持ちをぐっと抑えていたところ、ストランドで、10数名の客による拍手が起こる。日本映画に対して初めての経験だ。思わず、唸ってしまった。

 黒澤明の「椿三十郎」を観て感激したのにはもう一つ理由がある。いつだったか覚えてないが、この映画、小さい時に見ているのだ。お袋がチャンバラ映画が好きで東映にはよく連れていってもらったのだが、お袋と一緒に行ったかどうか記憶にないが、「椿三十郎」の中で屋敷と屋敷をつなぐ小川があるのだが、そこに椿が一輪一輪涼しげな音とともに流れていくのだ。これは単なる描写ではなく、この映画の中で重要な意味を持つのだが、そのシーンや、最後、椿三十郎三船敏郎)と室戸半兵衛(仲代達矢)が斬り合うシーンで、長い沈黙が支配し、勝負は一瞬にして、血飛沫が飛ぶ。東宝加山雄三田中邦衛扮する若侍9名が、その迫力に、椿三十郎の人間的迫力に圧倒される中、三十郎は心を空しくして、立ち去って行くシーンは鮮明に覚えている。「ああ、この映画は見たことがある」と。忘却されていた記憶の奥底からそのシーンだけ、鮮やかに思い出され、やはり良い映画は子ども時代に見てもどこかに残っているものだと、山田洋次の「映画をつくる」の一文*3を思い出し、再認識させられたのだった。
 「用心棒」「椿三十郎」を観終わって、ビールを買い、2本飲んで、最終上映の「椿三十郎」を$3.0払って再度見た。観る価値があると思った。一度目ほどの感動ではなかったが、やはりいい映画だと思った。序破急のリズムが流れている。「椿三十郎」は、リズム感あふれる劇だ。アメリカ映画とは明らかに違うリズム。間があるかと思うと、テンポが速くなる。そうした日本的リズムとテンポだ。歌舞伎に学ぶべきだと痛切に感じた。音楽効果も相当なレベル。次に、理(reason)がある。西洋に通じるのかという意味で、日本的なreasonも多いのだが、理があるので、ユーモラスながら、斬れるのだ。科学的とも言えるほど、理にかなった映画だ。
 理性の復権。「椿三十郎」は、「12人の怒れる男」を思い出させるほど理性的な劇だ。それは登場人物の性格がよく描かれていることを意味する。リズム感・躍動感あふれるのは、音楽・カメラワーク・コマの運びもあるが、正反合という弁証法が貫かれていることもある。登場人物が成長するというのは、よいドラマのひとつの条件である。正反合の弁証法を通じて成長するのだ。
 「椿三十郎」は自主上映したくなる映画だ。これを機に日本映画も見るようにしよう。
 小学生の低学年まではチャンバラ映画をよく観た。小学生4年生、5年生からは加山雄三若大将シリーズ。60年代は、westernize, Americanizeの始まりで、私もAmericanizeの道を歩み始めた。時代の流れとは面白い。いま日本映画の侍映画を再認識し始めたのだから。宮本武蔵との出会いも手伝っているのだろう。
 実に面白い。実に愉快だ。

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Strand

*1:http://www.imdb.com/title/tt0055630/?ref_=nv_sr_1

*2:http://www.imdb.com/title/tt0056443/?ref_=nv_sr_1

*3:「じつは昨年、この田坂具隆監督の「路傍の石」がテレビで放映され、私は40年ぶりに見ることができたのですが、ことにラストシーンについてはまったく記憶のままでした。露路をゆく吾一少年をフォローする長い長いワンカットであることは今の発見でしたが、その終わりにはやはりチンチン電車がのんびり走っていたのです。映画というのはなんと素晴らしい芸術であるか、という感動に、私は思わず涙をこぼしたものでした」という「路傍の石」にまつわるエピソード。