松本道弘氏の著作から学ぶ

タイムを読む

 1級とは、「(外国人と英会話しても)リズムや発想という点では呼吸が合わない」。「真にコミュニケーションが成立しているとはいいがたい」。「異文化コミュニケーションのトラブルが起こるのは、1級の頃が一番多い…」。「外国に数年住み、帰国した直後の精神状態だから、英語というものが地についていない」。「英検1級にパスしても、その程度の英語力ではアメリカの大学では使いものにならなかったり、ビジネスではビジネストークを離れた会話ができず、何かあせりを感じる」。「有段者の道は近く見えて遠い」。「この時期によほどインプットしておかないと英語をモノにすることはできない」。「有段者になるには早く自分の英語に絶望を感じて、悩むところまで努力する必要がある」。「1級までくれば技術面では申し分ないが、あとは問題意識と意欲である。一刻も早く英語のこころというものを学びとり、異文化コミュニケーションの難しさを真剣に考えはじめれば初段の道は近い」…最近悩むことが多くなり、これらは私の気持ちそのままである。(松本道弘著「タイムを読む」より)
 松本道弘氏は、大学4年、サラリーマン1年の1級の頃、後に英語道場となる土曜ESSのリーダーとして、英語を磨き、ディベートの必要性に気づき、英語のヤマト言葉を気にし始め、Give & Getの研究を開始し、速読を実践し、宮本武蔵と出合い、読書に傾倒し、英語道の理論武装のため、東洋哲学をはじめ、日本語の読書量がぐんと伸び…等と述べているが、これらは私にも必要なものばかりだ。
 初段とは、「日本語や日本の文化に関心を持ち始め、かなりbilingualに近づいた(多分に錯覚だが)と感じる」「書き言葉と話し言葉の違いはまだわからないが、違いが何となくわかるようになる。この程度の英語ではいくら流暢に話せても書けてもネイティブには不自然に映るのである。1級の頃には、それがわからない。だが初段になると、それに気づくようになる。英語が自由に駆使できてもbiculturalになれぬと悩む」。「初段の資格は悩みと問題意識である」。「英語をゼロからやり直さねばと考え、一時は絶望の淵へつき落とされたような気になれば、間違いなく初段である」。「この頃、自分が二つの文化のマージンに立っているマージナル人間(marginal man)でどちらつかずのコウモリであると、マージナリティのネガティブな側面にとらわれ悩む」。「英語を使っていると日本人のように思わず、二重人格者のような気になる」「日本的な発想や価値観を捨てて、英語的発想や欧米人の価値観を必死に学んできたが、何か空しさを感じる」。(This is it!)「この時に、アイデンティティ(自己証明)を求め、自己というもものをしっかり掴み(a strong sense of oneself)、価値転換を行なうと、悩みは解消する」。(これしか私の救いはないようだ)。
 「1級までは…日本人も外国人も同じ人間だという気になっていたが、初段になったとたん、日本人と外国人のどちらかに負担がかかっており、完全なco-culturalな関係でなかったことを知り、むしろ真の日本人というナショナルアイデンティティに目ざめる」。「ここで、一つの視点(perspective)が生まれ、読む態度が変わってくる。この時に、critical readingが始まる。問題意識が生まれ、言葉によるコミュニケーションから、異文化コミュニケーションの必要性に目ざめる」。
…初段の技術は私にはないが、nativeの英語に浸かっているせいか、問題意識だけは技術より進んで、初段の目覚めが自分の中に生まれつつあるようだ。
 松本道弘氏は、英語道場で英語を磨き、英語を道と結びつけ、「道」という発想を理論武装するため、日本語のリーディングが増えたそうだ。私もいま価値観と発想の転換のため、日本語でも数多く、読書したい気持ちで一杯だ。