めざせるか、英語のプロ

 前にも書いたかもしれぬが、いま私は27歳だが、30歳から31歳、35歳から36歳を目標にして英語を磨いて行こうと思う。いま35歳から36歳の頃に到達したい目標に向かって努力しているところだが、27歳の自分は何故か焦るのだ。いま英語しか考えられない環境にいるせいだろうか。この間のアメリカ合州国滞在の総括はこの前済ませた。英語の学習もようやく入口にさしかかったようで、これからだという気と、これからもずっと悩むかと思うと、語学といえども容易な道ではない。
 「私はこうして英語を学んだ」を書かれた松本道弘氏も、1級から2段まで8年間、1級から5段までは20年間かかっているという。松本氏は、大学4年、サラリーマン1年が1級。サラリーマン2、3年、24歳から25歳で初段。30歳で2段。31、32歳で4段。39、40歳で5段に達している。
 人間の一生は長いようで短い。映画を見ていると、よく人間の死ぬ場面に出くわし、生死のことを考える。しかし、俺はこのサンフランシスコで一体なにをやっているのだろうか。毎日映画を観に出かけ、英語と格闘し、食事をして、テレビを観て(今日エルサルバドルの事件が報道されていた)、気がおかしくなりそうな時がある。映画評論家でもないのに、まるで映画評論家のような生活だ。
 “All That Jazz”を観ると、作者のボブ・フォーシーに自分の姿を見たりする。一方で、恵まれた生活と言えるが、その一方で、気違いじみた生活でもあると思うのだ。時々食事も忘れて、というか、食事の時間帯に映画館にいるのでそういうことになるのだが、何かにとり憑かれたようにしている時がある。

 けれど私のような者でも、プロになれる可能性と、プロにならねばならぬものは、今のところ英語しかないので、自分が選んだ道ではないかと自分に言い聞かせているところだ。
 今までは自分一人でやらねばならぬ道だったが、そろそろ、仲間を求め、甘えず、ともに目標に向かってやらねば伸びぬ時期になったようだ。Speakingもoutputの場がなければ伸びない。英語道場のような場所が必要に思う。そういう意味で、サンフランシスコにいても中途半端な状態である。旅行は、知的枠組みの拡大には役に立ちそうだが。