英語圏だからといって、みな同じと思ってはいけません

冒険と日本人

 ニュージーランドは、マオリを抜かせば、もちろん基本的に英語圏だから、大晦日には誰でも抱きついてキスをしていい。それでも許され、「失礼」(offensive)にはならない。
 それでも、合州国では、ハローウィーン(Halloween)は結構ポピュラーで、あのケビン=コスナーが主演した映画で、名前は忘れたが、彼が、「アメリカの子どもなら、誰でもハローウィーンを祝う権利があると思うよ」というようなセリフを言っていたが、アメリカ国内ならいざしらず、アメリカ国外では事情は違うようだ。
 お隣の家のニックは、サバティカルアメリカ合州国は南部のアラバマに住んでいたことがあるのだが、ニュージーランドからしてみて、同じ英語圏といっても、かなり違う社会だと言っていた。
 ニュージーランド人からすると、アメリカ人は結構やかましい人間たちと思われているようだし、ユーモアなんかも、アメリカ合州国は単純で、大笑いすると思われている節があるようだ。ニュージーランドは、イギリス寄りだから、笑いも直接的なものよりも、間接的なものを好む。
 そんなことは大したことではないけれど、基本的な大きな違いは、映画「ボーリングフォーコロンバイン」に描かれているように、アメリカ合州国銃社会であることだ。ニュージーランドでも狩猟はポピュラーだけれど、銃は簡単には買えない。厳しく制限されている。それから、核の搭載艦は入港できない。これは前にも書いたけど、原発もない。
 だから、ニュージーランドは、アメリカ合州国とは、かなり違う政治的自立性・独自性がある。
 日本はなんでもかんでもアメリカのことを、皮相的に、無批判的に、真似をしているが、4月に起きた日本人のイラク人質事件なんかを見ても、合州国とは評価がまるで違う。日本じゃ他人の迷惑をかえりみない厄介者いじめだが、アメリカ合州国では、少なくとも個人の意欲や独立性は高く評価する。だから、「ご迷惑をおかけ致しまして」なんて、家族が言わないで済む。
 その昔、無名の堀江謙一青年が太平洋をヨットで単独横断をして、サンフランシスコに入港した際に、日本じゃ密出国と犯罪人扱いをされたのに、当のサンフランシスコでは、市長までもが、堀江青年の冒険心を高く評価したと聞く。日本は、そのアメリカの評価を聞いて、メディアも含めて再評価しなおしたという情けない話だ。*1
 自分の頭で考えられない日本の横並び体質は、とても情けないことだけれど、いまだしぶとく健在だ。
 他人の真似をすることを英語でcopy catというが、ジュディはこの語にあまり否定的な含意は感じられないというから、これを「猿真似」と訳すと、訳としてちょっと強すぎるようだけれど、いずれにせよ、他人の真似はそろそろやめて自分の頭で考え始めないと、世界から日本はバカにされっぱなしになってしまう。

*1:堀江謙一氏の太平洋単独横断については、「冒険と日本人 (朝日文庫)本多勝一朝日文庫)に詳細に分析されている。この本は、全ての日本の青年に読んでもらって青年にふさわしい冒険心を是非とも発揮してもらいたいと思える勇気の得られる一冊だ。