映画「その名にちなんで」を観てきた

The Namesake

 ジュンパ・ラヒリ原作、ミラ・ナイール監督の映画「その名にちなんで」を観て来た。
 この映画は、見合い結婚をして、インドからアメリカ合州国に渡った一人のインド人女性の結婚、子育て、自立を淡々と描いている。
 彼女にとってアメリカ合州国は、故郷から遠く離れた異郷の地である。もとより英語は自分のコトバではなく、習っているコトバである。
 ところで、インド人の英語といえば、日本人よりうまいという印象がある。
 ブラジ・カチュル(Braj Kachru)氏による英語の世界は、同心円の三つの層になっていて、真ん中にアメリカ合州国やイギリス連合王国があり、3億2千万人から3億8千万人の英語話者がいるが、その次の真ん中に、インドやシンガポールがあり、1億5千万人から3億人の英語話者がいる。そして、最後に中国などの1億人から10億人の英語話者がいるという同心円になっている。これからすれば、インド人は日本人なんかより、ずっと英語がうまいはずだ。
 けれど、私の印象は、それほどでもない。
 大昔のことだが、25歳のときエンパイアステートビルディングを訪れたことがあり、このときに、たまたま出会ったインド人が私にアメリカ合州国の人種差別の話をしてくれたことがある。また、2004年にニュージーランドクライストチャーチで、クライストチャーチ在住のインド人にかなり親切にしてもらったことがある。彼は元パイロットだから、教養人だった。また、ニュージーランドはハミルトンの社会人学校で出会ったインド人親子はすごい訛りの英語を話した。
 「その名にちなんで」の映画の中のインド人も、特段、英語がうまいわけではない。
 この前亡くなった小田実氏が、インド英語について語っていたことがあって、イギリスの植民地から脱して独立したインドでは、昔より英語が下手なインド人が多くなった。それは、歓迎すべきことだろうというようなことをどこかで書かれていたように思う。つまり、英語がやたらうまいのは、ときに植民地的なことが少なくない。英語の下手さかげんは、その国の独立度と関係していて、英語が下手なほど独立度が高いと言えるのかもしれない。日本は下手なわりに、憧れが強すぎる傾向があるようだ。
 インドといえば、ハイテク、そして映画である。The Practice of English Language Teachingを書いたジェレミィ・ハーマー(Jeremy Harmer)も、「インドのボリーウッドはアメリカ合州国のハリウッドよりもたくさんの映画を作っている」(Bollywood produces more films than Hollywood.)と書いている。
 ところで、「その名にちなんで」を観た劇場で、著名なシナリオライターを見かけた。これは全くの偶然に過ぎないが、私にとっては嬉しい出来事であった。