ロバート・フィリプソン教授の講演「プロフェッショナリズムとTESOLの神話」("Professionalism and myths in TESOL")(2019)

 2019年3月12日~15日に、アメリカ合州国ジョージア州アトランタで開かれたTESOL国際大会・英語エクスポ。その大会でのロバート・フィリプソン(Robert Phillipson)名誉教授の講演。10分17秒ほどの短いものだが、YouTubeで講演を聞いて、これがたいへん興味深かったので、あらましを日本語にしてみた。

www.youtube.com

Dr Robert Phillipson: Professionalism and myths in TESOL - YouTube

 あらまし完成後、本講演のテキストが載っているデンマークCBS(Copenhagen Business School)の「言語権」と名のついた以下のサイトを見つけた。

Dr. Robert Phillipson, Professor Emeritus, Copenhagen Business School, Denmark (linguistic-rights.org)

 初めからこちらをもとにして日本語訳をつくればよかったのだが、後の祭り。いま時間がとれないため精度を上げることは諦め、以下、拙訳になるが、概要を掲載する。概要といっても、正確さは、90%は楽に越える精度にはなっていると思う。

 講演者のロバート・フィリップ(Robert Phillipson)教授は、1992年のその著書「言語帝国主義」(Linguistic Imperialism)で有名。フィリップ教授は、スコットランド出身。イギリスを離れ、多言語主義を実践されている*1。1964年より世界各地で英語教育に携わった後、長年デンマークで活躍されている*2

 「言語帝国主義」というと、一般的にいって日本人には刺激的過ぎるのかもしれないが*3、ロバート・フィリプソン名誉教授の"Linguistic Imperialism"(1992)は、オックスフォード大学出版から出版されている*4。また本講演は、TESOL大会での講演である*5。おそらく基調講演のような位置づけになっているのではないか。つまり、ここから言えることは、「言語帝国主義」は、すでに全ての英語教師にとって、大前提にしないといけない前提になっているのだということだ*6

 講演を聞いて、日本人には刺激的に聞こえる「言語帝国主義*7を題名に使った著書の著者ではあるけれど、ロバート・フィリップ教授は学問に真摯に向き合う人格とお見受けした。プロパガンダ的なところは微塵も感じられない落ち着いた講演だ。日本の英語教師*8のみならず、多くの日本人にフィリプソン教授のお話に耳を傾けてもらいたいと思う。

 

プロフェッショナリズムとTESOLの神話

 もしTESOLが適切に機能するのであれば、用いられる学術用語や英語を“グローバル(世界)”語とする主張、そして一般に神話と考えられるものから導かれる帰結の数々を注意深く吟味しなければなりません。

 神話の第1は、“インターナショナル”スクール・“インターナショナル”大学という神話です。
 非英語国の国々の都市で“インターナショナル”スクール(”International” schools)というものが雨後の筍のように増加しています。中東やアジアでは関連して英語を介して教育がおこなわれるインターナショナル大学(“international” universities)が増加しているけれど、なぜ教育内容がアメリカ合州国かイギリスからの直輸入のもので、教育する際の言語手段として英語という最も有力な民族語(national language)を使っているのに、これらふたつのタイプの教育機関が“インターナショナル”と呼ばれるのか、わかりません。そこでは、たいてい英語しか知らない単一母語話者の教師(monolingual teachers)や教授が教えています。私見では、“インターナショナル”とは、勘違いの名前(misnomer)ではないでしょうか。
 結論的にいえば、こうしたビジネスの輸出は、国内的・国際的に、エリート階層の利益に寄与するものとなります。数々の現地言語は支援などほぼ得られません。インターナショナルスクールは、アメリカ合州国やイギリスの高等教育機関に進学させることを準備し、卒業生を自分の生まれ育ったところの地域問題から切り離させて地域課題に関する関心を薄いものにしてくれます。

 神話の第2は、英語はグローバルに必要とされているという神話です。
 英語は、グローバルに必要だというように演出され、アメリカ合州国のすべての者に英語を("English for all")というオバマ政権のプロジェクトとしての政策や半官半民のブリティッシュカウンシルによって市場化されています。言語政策の助言者は、インドでは、すべての教室・家庭・会社で使われるべきだと力説しています。
 その結果、こうした提唱は、本来守るべき、その場所のローカル経済やエコロジー、文化、多様な言語などを無視することになります。英米の経済を後押しする助けとなり、英米支援の傾向を進めることになっています。この神話は、特権的でない世界の人たちの本当の要求を遠ざけてしまいます。

 神話の第3は、ローカルの地元の発展のためにこそブリティッシュ英語が役に立ち必要であるという神話です。
 援助や発展のためのビジネスという考え方は、すでに半世紀前に、アメリカ合州国による南米支援援助ビジネスにかかわって、イヴァン・イリイチ(Ivan Illich)によって糾弾されたものです。しかし相変わらず、ブリティッシュカウンシルや世界の諸機関は、教育一般、とりわけ英語学習は、経済的・社会的に、ローカルの発展のためになると市場化を続け、イギリスはローカルの要求を実現できるとのおこがましい仮説を持ち続けました。
 その結果は、植民地主義の開発途上の時代から新植民地主義の時代となり、構造的に、地球規模でみた「南」から搾取し犠牲にして地球規模からみた「北」にひいきしたと言えます。

 神話の第4は、アングロアメリカの教科書は世界的に適切であるという神話。
 “グローバル”出版社といわれるピアソン、マクミラン、ラウトレッジ、オックスフォード大学出版などの教材は、世界の学校制度にふさわしい言語と内容になっているとされています。
 教師のグループや出版物、デジタル教材は、オーストラリア、アフリカ、インドやインターナショナル学校で、強固な立場にあり、評判を上げて、実際に、世界の教育、教育指導法と学習法の研究、政府に助言をして制度改革に役立っていると、ケンブリッジ大学出版の年次報告書(2018年度)は述べています。
 その結果は、この神話が、文化的・言語的・商業的に、新しいかたちでの帝国主義的従属をつくりだし、強固なものとし、それが法人や株主の、そしてイギリスとアメリカ合州国の学界の利益につながりました。地元の出版社や地元の学界の発展に役立っているとはいえません。

 神話の第5は、国際情勢(international affairs)を語るには英語だけという神話です。
 英語は、科学・ビジネス・グローバリゼーション・欧州統合(European integration)・アジア統合(Asian integration)・多言語社会における国語一本化・国際理解等のためのリンガ・フランカ(lingua franca)であると宣言されています。詐欺ともいうべきこの神話は、他の言語ではこの目的に供せないということを含意しています。
 その結果として、教育にはなんとしても英語なのだということになります。ヨーロッパ・アジア・ラテンアメリカなどの他の外国語を学ぶことは停滞させることになります。英語の習熟度は、他の言語話者を犠牲にして、国際的なコミュニケーションは英語という不公平なヒエラルキーを定着させます。

 神話の第6は、すべて適切な学識は英語で書かれているという神話です。
 英語の出版物の普及によってこの神話に至っています。主要学術出版社の考え方が英語で出版されたものしか相手にしないという考えを強めています。実際は、研究は世界的に膨大にあり、いろいろな言語で書かれています。ケンブリッジ大学によるグーグル学術論文の最近の分析によると、ある分野では65%が英語で書かれていたという調査があります。言語教育や言語政策を含め大部分の論文の分野においては、さまざまな言語で書かれています。
 結果的に、他言語で書かれた知識は、英語という単一言語による科学の犠牲となり、疎外(marginalized)されていると言えます。研究論文の数を計り、そのランキング制度が、不公平なことに、言語使用者間の不平等に拍車をかけています。

 神話の第7は、“グローバル”ラングエッジテストは世界的に客観的で有効であるという神話です。
 アメリカ合州国から発出したテスト道具であるTOEFL、そしてイギリス・オーストラリア発出のIELTSは、文化的に中立で世界的に適切なものとして企画されていますが、科学的にモラル的にみて、うさん臭い主張です。
 結論的にいえば、テストはビッグビジネスです。ただし限界があります。多くのテストを実施する人たちは、正確に言って、正確ではないと感じています。正確なよりよい評価をおこなう必要性と健全な財政運営と順調なビジネスとの間には根本的な矛盾があります。これがTESOLのさまざまな倫理的問題を生起します。

 神話の第8、TESOLの国際化と英語指導は政治に無関心である(apolitical)ということです。
 TESOLが数年前にそうなったように、ひとつの国の専門協会が国際化するときに、プロフェッショナリズムがグローバルに適切になって、教育的・文化的・言語的帝国主義から離れるという神話です。さまざまな活動が帝国主義的か否か。そこが分析され、経験的に実証される必要があります。
 ひとつ例をあげるならば、イギリスのELTジャーナルが、世界で英語がどのように教えられ学ばれているかについて触れています。7人の会議の部局がジャーナルを導いています。3人は学術関係者。2人は出版関係者(オックスフォード大学出版)。1人はブリティッシュカウンシルの人間。1人はイギリス専門協会(IATEFL)*9の人間。こうした人たちの能力を疑うわけではありませんが、その構成は、学術関係、商用関係、政治的利益のための混ぜ物(cocktail)です。これは学問の自由と矛盾なく一致しているのでしょうか。
 他の学者の手助けをもらって短めの結論を述べます。
 これら8つの神話は、幾分無効とわかっているものもありますが、すべて生き残っていて影響があります。
 パキスタン出身の学者・アフマ・マブー(Ahmar Mahboob)は、「応用言語学とTESOLの文献においてカギとなっている仮説を徹底して見直す必要がある」と述べています。
 フィリピン出身、現在はシンガポール在住の学者・ルアニ・トゥパス(Ruanni Tupas)は、「現地には多言語が存在しているという現実があるにもかかわらず、統合せずに、英語で教育することに排他的に焦点をあてすぎれば、失敗することになります」。
 メリー・シェパード・ウォン(Mary Shepard Won)、アイシー・リー(Icy Lee)、アンディ・ガオ(Andy Gao)は、「香港では、広東語・北京語・英語という3言語があって教育がなされているのに、単一言語でのアプローチは不適切である。なぜなら、単一言語母語話者(monolingual native speakers)では限界を抱えているからです、言語的に、教育方法的に、専門的に」。
 ブリティッシュカウンシルの助言者であったジョン・ナーグ(John Knagg)は、「ネイティブの英語教師(Native English Speaking Teachers/NESTs)は、「これからはますます、多言語で、多文化で、専門家でなければならない」。しかしながら、このコメントが載っているこの本が示しているように、ネイティブスピーカーの英語教師たちは、一般的に、こうした資格に欠けている。なぜいまだにこうした人たちが世界中で活躍しているのだろうか。ナーグ氏は、「グローバルなELTという職業」として、ブリティッシュ英語という「適切な言語モデル」を入れ込むことはイギリスの利益を世界的に促進するという目的にかなっていることを認めざるをえないということによって答えの一部を提供してくれている」。
 アメリカ合州国によるアメリカ英語の世界的促進もこれと同じ目標をもっていると言えます。これが英語のグローバリゼーションということでしょうか。これらの神話を私たちは信じたいのでしょうか。倫理的に、そして専門家として、これらの帰結は容認できるものなのでしょうか。

*1:フィリップ教授は、フランス語・ドイツ語・スウェーデン語・デンマーク語・英語の5言語で生活しているという。

*2:Robert Phillipson | CBS - Copenhagen Business School

*3:個人的に「言語帝国主義」という語句をはじめて聞いたのは、「言語帝国主義」と題した論稿(本多勝一「殺される側の論理」(1971年)所収)だった。言論界でこれが初出かどうかは調べてないが、初期のものであることに違いはないだろう。本多氏の論稿「日本語と方言の復権のために」(本多勝一「日本語の作文技術」1976年所収)は、「言語帝国主義」に関する深い洞察にもとづく問題提起でもあった。また国際主義的人格の形成の課題、帝国主義と外国語教育、さらに国際連帯と外国語教育の改革について洞察深く論じ問題提起している論稿に「国際連帯と外国語教育の改革」(芝田進午「教育労働の理論」1975年所収)がある。「言語帝国主義」に関しては、 その後、田中克彦氏、中村敬氏らの著作に学んだ。「言語帝国主義」に関する書籍はその後もいくつか出版されている。

*4:ロバート・フィリプソン教授の研究は、みずからの実践、そしてTESOLやELTの実践者・研究者、東西アフリカ・パキスタン・インド等世界の学者ら、そしてパートナーであり言語学者・共同研究者でもあるトーヴェ・ストクナブ・カンガス(Tove Skutnabb-Kangas)さんとの討論・交流によって得た成果と聞いている。

*5:ロバート・フィリプソン名誉教授の今回の講演内容は、TESOL、つまり、母語話者でない学習者に英語教育(English Language Teaching)をおこなう場合の注意事項満載の講演になっている。つまり、TESOL大会でTESOLについて批判的視点を展開している。大前提の前提と書いたが、英語問題という課題にたいする問題提起をおこなっているわけだから、課題として解決したわけではない。けれども、英語教育を考える際に、「言語帝国主義」の視点を無視することはできない。その意味で、大前提の前提と書いた。TESOL側は許容範囲が広く太っ腹ともいえるが、氏の「言語帝国主義」の謝辞を読むと、その関係性は少なくとも敵対的ではないようだ。皮肉的にいえば「言語帝国主義」という指摘などびくともしないということもあるのかもしれない。また意地悪くいえば「言語帝国主義」など織り込み済みで英語教育を展開するまでと考えている英語教師もいるのかもしれない。ただフィリプソン教授は自分の論稿の発表について検閲を受けたと発言している動画があるので、それほど簡単なことではないようだ。いずれにしても、わが祖国・日本はどうかといえば、日本はまだこうした批判的視点すら持てていないと言える。

*6:教育活動において学習者の人格を傷つけてはならない。そもそもこれは教育における常識だ。それが英語教育となれば、言語帝国主義的状況があり、教師と生徒間に学力差もある。英語教育・英語学習において、学習者に言語帝国主義的なものを、たとえば差別意識を感じさせてはならないのは、今日的常識なのだろう。「なんちゃって語学留学」で紹介したYouTuberたちはおそらく「言語帝国主義」を大前提の前提として学んでいるのだろう。推薦した教師たちは、大昔の、単一言語の母語話者で、言語差別的なところは全く感じられない。

*7:最近読んだもので、「言語帝国主義」という用語を見聞きしたのは、斎藤兆史氏の著作。「ただし、私たち日本人にとって英語が外国語である以上、それを勉強する過程でいろいろな矛盾や疑問に突き当たります。英語圏の人たちは外国語学習で苦労することがないのに、なぜ私たちだけがこんなに一生懸命英語を勉強しなければならないのか。自分の英語学習は、英語帝国主義を助長してはいないか。必死に勉強して並の母語話者程度の英語力を身につけるより、日本語を深めたほうがより価値のある仕事ができるのではないか。これらは、本気で英語を学ぼうとする日本人が宿命的に出会う難問です。
 このような矛盾や疑問を一刀のもとに断ち切るような妙案は、残念ながら、いまのところどこにも見当たりません。みなさんが英語学習を深めていくなかで、それぞれに答えを探してください。勉強をすればするほど、いろいろな問題に苦しめられることになりますが、その苦しみをはるかにしのぐ学びの喜びがあることを覚えておいてください。」(「これが正しい!英語学習法」斎藤兆史p.134-135ちくまプリマ―新書)2007年。

 他に、平田雅博「英語の帝国」(2016年)にはロバート・フィリップ教授の引用がされている。

*8:1992年夏にサンタフェ美術館を訪れたことがある。そのとき「7人の悪魔」という作品を見たことがある。宣教師・占い師・ビジネスマン・悪魔と、順に横顔が描かれている。絵の下には、それぞれのデビル(悪魔)の靴が置いてあり、その靴がひとつひとつ血塗られていた。先住アメリカ民族がそうした順に迫害を受けてきたと言うメッセージだ。私見になるが、英語教師もそうした線上でとらえないといけない性格があると自覚すべきではないだろうか。

*9:iatefl.org | Linking, developing and supporting English Language Teaching professionals worldwide