大国のパワーゲームに翻弄され、言語事情も複雑化した台湾

 これも興味深く読んだのが、「台湾語、北京語、英語、日本語をまぜて使いしわが半世紀」という台湾の歌である。
 短期間にすぎないが、自分自身の台湾旅行の体験から、台湾は、大国や大陸にはさまれて、そのアイデンティティが翻弄されてきた歴史をもつ、そういう印象が私にはある。これは言語事情も同様だろう。
 これは単なる推測にすぎないが、北京語と台湾語との間には政治的優劣があるに違いない。もちろん母語というものが重要であることはどんな個人にとってもそうであり、優劣はないのだけれど、政治的には中国大陸の北京語の方がより重要視されているだろうということだ。実際、同じ北京語といっても、台湾の北京語は多少のアクセント(訛り)があるとも言われ、差別的な扱いをされることもあるだろう。中国語といっても、そこには、そもそも多種多様性がある。
 さらにいえば、元来、中国語の存在を語る前に、先住民族の言語の存在を指摘しないわけにはいかない。先住民族の言語は、グループによって違っており、共通性が少ないため互いの意思疎通もむずかしいと聞いた。そのために、日本語が共通語(リンガフランカ)の機能を果たしたとも言われているくらいなのだ。
 そして、1895年から1945年までの日本統治時代である。宗主国である日本の日本語は 「皇民化教育」にとって不可欠であった。そして、戦後の日本復興、経済大国に成長したビジネ言語としての日本語。
 さらに、現代でいうならば、イギリスやアメリカ合州国の英語が世界に君臨していることは言うまでもない。
 こうしたことから、アイデンティティ模索中の台湾という印象を私はもったのだが、誤解なきように言っておくと、日本も、この点は同様で、英語と日本語との狭間でアイデンティティを模索中であると私は考えている。
 先の新聞特集によれば、最近の若い台湾人は、「台湾の独自性」にこだわり、アメリカ人や日本人の真似ではなく、「自分のテイストのある人が評価される」として、「台湾出身で世界的に有名な彫刻家朱銘氏の名前」が、ある台湾人の大学院生によって紹介されていたけれど、これは、日本も同様だ。拝外主義でもなく、排外主義でもない、日本の独自性にこだわりつつ、日本のアイデンティティを探し出さなくてはならないのだ。
 「台湾ニューシネマの旗手」と紹介されていた映画監督の侯孝賢さん*1の談話で、「独自なものとは何か。それはものすごく大きく、深いテーマだ。台湾文化はいろいろなものがミックスされてきた。中国もある。日本もある。この混在のなかから、独自の文化をつくり出していければいい」とあったが、これは、台湾がそのアイデンティティを模索している最中であるからに他ならない。

*1:侯孝賢(ホウ・シャオシエン)氏は、「悲情城市」の監督。