「大谷翔平会見「グダグダぶり」に酷評の嵐 海外からも批判「質問がとても長い」」

 大谷翔平選手がMLBのMVPを獲得した。

 すばらしい結果を出した選手を正当に評価する評価そのものに感銘を受けた。

 大谷選手のビジネス的な貢献度からしても当然と思えるが、それでも、人種差別から完璧に抜け出しきれていないアメリカ合州国。アジア人蔑視もあるアメリカ合州国で、正当に評価されるのかという一抹の不安があったが、正当に評価されたと言えるだろう。

 それにしても、それに引き換え、今更ながら、大谷選手を正当に歓迎し評価したとは思えない日本の記者会見の低レベルさに、情けない気持ちで一杯になる*1

 記者に必要なことは、たとえば観察(評価)と表現であろう。必要な能力は、観察力(評価力)と表現力である。もちろん、表現力の前に観察力(評価力)がなければならない。というより、観察・評価が9割で、表現力は1割だろう。事前の大切な準備として、きちんと観察・評価できていないから、ぺらぺらくだらないことを前置きに喋る。その結果、質問力が落ちる。

 おそらく記者もくだらないことに忙しくさせられて、きちんと学ぶべきことを学んで勉強する時間を与えられていないから、ああした低レベルの記者会見になってしまうのだろう。それにしてもひどかった。

 大谷選手の試合をきちんと観て(評価できて)いないに違いない。MLBの試合は結構長丁場だから、大谷選手のプレイをきちんと観るにはそれなりの余裕がなければならない。

 それにしても、記者の仕事って、まず、現場をきちんと観ることから始まるはずだから、現場をきちんと観ていない(評価できない)記者って何なのだろう。記者であることの存在意義が問われても仕方のない低水準だった。

 

 以下、j-cast(2021年11月15日16時33分)より。

www.j-cast.com

 

www.bing.com

 

 今回はじめてFOXスポーツアナリスト・ベン・バーランダーYouTubeを見たけれど、大谷選手に対する愛にあふれていた。もちろん、試合も大谷選手のプレイもきちんと観ている(観察・評価している)から、きちんとした評価ができるのだろう。

 表現としては、コトバを駆使した多様な表現というより、むしろ単純明快な繰り返しの表現なのだが、ベン・バーランダー氏の表現には愛が溢れていた。だから、表現技術以上の表現力があった。

 安易に「愛」というコトバを使うべきではないと思うが、ベン・バーランダー氏の表現には、大谷選手に対するリスペクトと感謝に溢れていた。

 少し調べてみたら、名前からしてそうかなと思ったが、ベン・バーランダー氏は、サイ・ヤング賞も受賞したことのある剛腕のジャスティン・バーランダー投手の弟とのことである。自身も、MLBを目指して活躍した野球選手である。

 以下、ベン・バーランダー氏による大谷評。二刀流をめざした野球選手の経験からの説得力のある論稿。口頭でも表現力が豊かなのは当たり前だ。

angels-ohtani.com

 

 日本の記者会見のレポーターたちに表現力が感じられなかったのは、まず表現のための観察(評価)がない。つまりは、大谷選手に対する「愛」がないからなのだろう。とりもなおさず、自分の仕事に対する愛もないのだろう。

 スポーツの話をしているのであって末尾にあたって政治的な表現をすべきではないかもしれないが、低水準の記者会見は、アベ・スガ政権の9年間、首相や政治家が、きちんとした記者会見もやらず、コトバや人に対する尊敬の念をないがしろにしてきたひどい政治の結果に思えてならない*2

 日本社会の教育力の低下は眼を覆うばかりだ。

 磨きをかけた見事な観察力(評価力)から、質問力(表現力)を向上させ、相手の内容を引き出しえる記者会見を望みたい。

*1:この記者会見は、全く違う次元の話だが、堀江謙一さんが太平洋を横断する単独ヨット航海という冒険に挑戦してサンフランシスコに着いたとき、日本のメディアはこれを正当に評価することができず、むしろ違法で危険な行為をした堀江さんを袋叩きにした。ところが、アメリカ合州国では、これを正当に評価し歓迎してから、評価をがらりと変えたことを、朝日新聞本多勝一記者が日本社会は冒険を理解できない社会であると優れた論稿を書いたことを思い出させてくれた。

*2:相対的な意味合いだと思うが、日本野球界とくらべてアメリカ野球界のほうが、二刀流を受け入れてくれる環境だというようなことを大谷投手が述べていた。二刀流なんて考えていなかったオールスターゲームでも特別ルールで二刀流が許された。これはある種の「規制緩和」といえるかもしれない。日本は、新自由主義政策のもとで「規制緩和」がやたら叫ばれてきたが、やらなくてよいことをやるために、そしてやってはいけないことをやるために「規制緩和」と叫ばれるアベコベ政治が横行している。インチキ「規制緩和」ではなく、正しい意味での「規制緩和」が望まれることは言うまでもない。