2004-12-13から1日間の記事一覧

インターネットに対しても批判的でないとね

1チャンネルのブレックファーストという朝の番組で、日本のこと、インターネットを通じた集団自殺のことを報じていた。 生まれてこの方ゲームやインターネット全盛の時代だけを生きている新世代をインターネットネイティブ(internet native)、インターネッ…

夏だというのに涼しい

ジュディに言わせると、近年のニュージーランドの気候はおかしいようで、12月になっても夏にならないという。 最近の18度くらいだから、秋や春の気候という感じがする。昨日などスープが嬉しいような陽気だった。

キヒキヒ

Site 22-Kihikihi 1864年2月24日、ランギアオヒア陥落の二日後、イギリス軍はキヒキヒ(Kihikihi)を占拠し、略奪をはかり、マオリの指導者であるレウィ=マニアポトの家を焼き払った。 マオリは家を捨て、馬や家畜を、プニウ(Puniu)川の南に避難させていると…

オラカウの闘い

Site 21-Orakau キャメロン将軍の野望は、1864年2月、ランギアオヒアを陥落させたことで満足した。 しかし、マオリの指導者・レウィ=マニアポト(Rewi Maniapoto)は、水や食料も十分にない中、300人以下の人数で、オラカウ(Orakau)に村(pa)*1を建て始めた。 …

ハイリニ

Site 20-Hairini ランギアオヒアの闘いの翌日の2月22日、パテランギ(Paterangi)から、マオリが大挙押し寄せ、ランギアオヒアを奪還した。 ランギアオヒアの1キロ西のハイリニ(Hairini)尾根にマオリが塹壕を掘っているとの情報を入手したキャメロンは、その防…

ランギアオヒアの聖ポールの教会を訪れる

次に訪ねるべきは、ランギアオヒアである。 テ アワムツのインフォメーションセンターで、ランギアオヒアへの行きかたを訪ねる。 ランギアオヒアには、テ アワムツからケンブリッジ方面に4.5キロほど向かい、マンディーノ道路(Mandeno Rd)で右折し、どん突き…

テ アワムツ博物館

Site 18-Te Awamutu Museum テ アワムツ博物館を訪れるのは、これで三度目だが、ワイカト土地戦争関連の資料では現在ニュージーランドで一番そろっている博物館である。オンラインのサイトは以下の通り。 http://www.tamuseum.org.nz/teawamutu.htm この博物…

聖ジョンのアングリカン教会

Site 17-St John’s Anglican Church, Te Awamutu テ アワムツは、「キリスト教伝道協会」(Church Mission Society)の「オタファオ伝道所」(Otawhao mission station)があったところで、この伝道所はワイカト土地戦争が始まるずっと前、1841年に設立されてい…

マオリ土地戦争ゆかりの地を訪ね歩く−その4−

前にも紹介したと思うが、キャメロン将軍はフロンティアの作戦本部(headquarter)として、さらにワイカト軍の冬のキャンプ地として、テ アワムツを選んだ。 キャメロンたちが到着する少し前に、第40連隊が10フィートの塹壕と高い壁で守られた500名をも収容で…