「オッペンハイマー」 ー「ヒロシマ紀元」という歴史認識と「核時代」に生きる哲学的意味を考えさせられる映画ー

Oppenheimer

 クリストファー・ノーラン監督*1による映画「オッペンハイマー」を劇場で観てきた。

 映像もさることながら、圧倒的なロゴス、ことばの洪水の3時間だった。

 1回の鑑賞では理解は難しいとの評判の映画*2で、英語も完璧に理解できたわけではないし、量子理論物理学アメリカ政治史も正確に理解できていないのに、印象を述べるなどおこがましいことはわかっているが、にもかかわらず、自分なりに理解できたことがあることと、R指定ではあるが「オッペンハイマー」は観るべき映画であると感じたことから、1回の鑑賞で感じたことを書く。

 もちろん、監督の意図は別にして個人的な受け止め方に過ぎないが*3、一言でいえば、「ヒロシマ紀元」という歴史認識と「核時代」に生きる哲学的意味を表現した反核文化芸術作品のひとつではないかというのが私の第一印象だ。

 以前、記事に書いたことだが、「…人類の歴史は、…“ヒバクシャ”の範囲がますます拡大し、多様になり、ついには全人類におよんできた歴史」(芝田進午) - amamuの日記から今一度引用すると…。

 1982年3月29日から4月2日。国連大学主催の国際シンポジウム「世界の地理的―文化ビジョン」がイギリスのケンブリッジ大学で開かれ、文化史・文化論の研究者が12か国から参加し、日本からは哲学者・故芝田進午氏(当時広島大学教授)が出席し報告した。

 報告を練る際に芝田氏が心をくだいたことは、いかなる学術用語・基本概念・キーワードを使うかということだった。
 シンポジュウム提出論文(英文)で使った基本概念、シンポジュウム口頭報告で解説し国際語として普及することを氏が望んだ用語こそ「ヒバクシャ」(Hibakusha)という日本語であった。

 芝田氏の問題意識の核心は、「核時代のはじまり以来の人類の歴史は、原爆犠牲者としてうまれた“ヒバクシャ”の範囲がますます拡大し、多様になり、ついには全人類におよんできた歴史であり、またこのことが認識され、自覚されてきた歴史である」という点にあった。

 すなわち、いまや地球上の人間はすべて“死の灰”を身体のなかに吸収させられており、その遺伝的影響を予測できないこと。すでに全人類はいまや潜在的被曝者になっているという視点である。芝田氏は、シンポジュウム報告の際に「あなた方やあなた方の家族もすべてヒバクシャなのだ」と喝破された。

 こうして、「いまや人類はすべて”ヒバクシャ”になった。だから、これからは”ヒバクシャ”という日本語はローマ字で表現され、国際語として通用させられなければならない」*4。映画「オッペンハイマー」は、ヒロシマ以降、そうしたヒバクシャ的存在となってしまった人間存在にたいするメッセージとして受け止めることが可能ではないか。

 「”反核文化のジャンルは、ヒバクシャの証言記録、文学、音楽、絵画、写真、映画、評論、等、文化のすべてのジャンルにおよぶが、その共通の特徴はただ一つ、核時代の文化であり、”文化の絶滅を阻止する文化”であることにある。人類史上、これほど大きな意義をもつ文化がかつて出現したであろうか」*5と故芝田進午氏は述べているが、映画「オッペンハイマー」も、こうした「反核文化」の一線上に位置づけられるのではないか。

 以上、一度しか鑑賞していない映画であり、詳細は理解できていないから、以下は映画批評にもならないが、一度の鑑賞で理解できたことを書く。

 映画の冒頭で、FISSION(「核分裂」)と FUSION(「核融合」)と出てくる。

 FISSION(「核分裂」)は「核分裂」を利用してつくられた原爆を、 FUSION(「核融合」)は「核融合」を利用してつくられた水爆を、それぞれ象徴しているのだろう。そして、前者では、オッペンハイマーが国家機密を漏洩する可能性のある危険人物、ソ連のスパイではないかとされる1954年のオッペンハイマー聴聞会が、後者では、ストローズがアイゼンハワー内閣の商務長官に適任かどうか聴聞された1959年のストローズ公聴会を舞台に、前者はカラーパートとして、後者はモノクロパートとして、話が展開していく。原爆開発ではマンハッタン計画を導いた立場のオッペンハイマーが、後者では、原爆製作を後悔した理由からではないが水爆開発に否定的立場を取ったという視点も入って、レコードでいえばA面とB面のように展開していくのだが、これが、時系列が編集されて展開していくしかけになっている。

 核分裂反応(Nuclear Fission)から出現する巨大エネルギー。核分裂反応から放出される中性子、その連鎖反応を利用してつくられた原子爆弾

 映画の中で、限りなくゼロに近い可能性ということだが、核分裂反応の連鎖反応が大気中の窒素に核融合連鎖反応を引き起こして大気の発火が始まるのではないかという当時の恐怖も重要なモチーフとして語られる。

 さらに、エネルギー放出量で原爆よりも100倍から1000倍も大きい水素爆弾なのだが、原爆製作を成功させたオッペンハイマーがその開発と使用を消極的に考えることになる水素爆弾*6核融合反応(Nuclear Fusion)を利用してつくる水爆はテラー*7がつくることになる。

 そして、こうした原水爆開発競争は、核開発戦争が止まらない米ソという連鎖反応のアナロジーとなり、オッペンハイマーに襲いかかる。

 ヒロシマが熱光線と爆風と炎とガンマー線・中性子死の灰に包まれたあの日。

 ヒロシマ以前とヒロシマ後の世界は、まさに一変してしまった。

 この点で思い起こすのは、繰り返しになるが、歴史区分として「ヒロシマ紀元」を提唱していた故芝田進午氏の著作とその思想である。

 ヒロシマへの原爆投下を、「絶滅そのもの、人類史上もっとも残虐な核絶滅、”核の火”による皆殺し、文化の破壊そのもの」「人類絶滅の危機の時代」が始まってしまったという意味で、「人類絶滅にいたるような最初の犯罪」と呼んだ故芝田進午氏。

 「核時代の平和思想」*8という小論で、次のように述べている。

 わたくしは、いつも考える。あのことよりももっと重大な事件がかつてあったであろうか、と。そのたびごとに、わたくしは確認せざるをえないのだ。あのことよりももっと重大な事件は人類の歴史にはなかったのだ、と。なぜなら、人類史上はじめて、歴史そのものが終わり、地球上の生命そのものが根だやしにされる可能性がうまれてしまったからである。したがって、人類の歴史は、あの日を境にして、”ヒロシマ以前”と”ヒロシマ以後”に区分されなければならない。”ヒロシマ紀元”にはじまる核時代に突入して以来、人類は、核絶滅の脅威のもとで約四〇年間、生存しつづけてきたが、この生存は、今後、何年間、つづきうるのであろうか。人類が絶滅されてしまう可能性をわたくしたちは否定できるであろうか。(後略)

 映画の一場面を取り上げると、日本のどの都市に原爆を試してみるべきかという作戦会議で、日本人にとっての古都の重要性に鑑み、おまけに新婚旅行でいかに京都が素晴らしい街であるか個人的に知っているので京都ははずそうという提案がなされる。

 ここでも思い出すのは、むかし読んだ本多勝一の「ヒロシマの死と京都の生」という論稿だ。*9

アメリカが日本の古都を「保護」したことは事実でしょう。ただし、保護したのはその古都そのもの即ち法隆寺苔寺東本願寺やに象徴される「古都」であって、そこに住む人間では決してなかったのです。アメリカ先住民を見て下さい。あの、アメリカを侵略した西欧にとって「珍しい」文化だったアメリカ先住民諸文化は、博物館の中に見事に「保護」されました。しかし生身の人間としてのアメリカ先住民は、ほとんど絶滅に瀕し、生き残った連中は荒涼たる沙漠の自然動物園としての「保留地」に押しこめられたままなのです。よく考えて下さい。京都や奈良は、これと全く同じ感覚で「保護」されたのでした。アメリカが保護したのは、日本人という人間ではなくて、古都の建物や庭石だったのだ。(後略)

 核時代に生きざるをえない私たちにとって、核に対して中立的な立場はありえない。日本には、原爆文化として、中沢啓治の「はだしのゲン」、井上ひさしの「父と暮らせば」など一連の反核文化と呼ぶべきすぐれた文化創造活動がある。核時代にあって、映画「オッペンハイマー」も、反核文化芸術*10として、十分な価値をもつ作品ではないか。

 これは映画の話ではなく現代政治の話になるが、現在に至るまで、日本は、核廃絶というヒバクシャの切なる願い・ヒロシマ大義と人類の大義を裏切って、核兵器禁止条約に批准していない。ヒロシマナガサキ、そしてビキニを経験した日本だからこそ、日本国政府、いわんや広島出身とされる岸田首相が、核兵器禁止条約を批准しないことなどありえない。人間がつくったものなのだから、人間は壊すことができるはずだ。

 オッペンハイマーは、アメリカのプロメテウス*11と呼ばれた。言うまでもなく、神々から火を盗んで人類に与えゼウスから郷網をうけることになったプロメテウスにちなんでつけられている。

 映画「オッペンハイマー」は、ヒロシマナガサキ以降、まさに「核時代」の中に生きる私たちという存在、まさにヒバクシャ的存在という存在であることを再認識させられる映画だった。

「あなた方やあなた方の家族もすべてヒバクシャなのだ」(芝田進午/1982年)

 シナリオも無料でダウンロードできることがわかったのでダウンロードした。シナリオの題名は" gadget "(「ガジェット」)となっていた。シナリオも読んでみるつもりなので、感想も変わるかもしれないが、以上、第一印象にすぎないが書いてみた。

*1:これまでクリストファー・ノーラン監督作品を観たことはなかった。

*2:YouTubeでもさまざまな解説動画があり、中でも「たてはま」氏による【復習/予習】結局どういうこと?オッペンハイマーのすべてがわかる解説動画【ネタバレあり】 - YouTubeが大変参考になった。

*3:オッペンハイマー」を製作したクリストファー・ノーラン監督が、彼の子ども(若い世代)が環境問題により関心があり、核の問題については関心が薄いことに驚いたという感じのインタビューを聞いたことがある。ノーラン監督に核軍拡問題を考えてもらいたいという意図があることは明確なように感じる。

*4:p.10「核時代 Ⅱ 文化と芸術」芝田進午(青木書店)1987年

*5:p.12「核時代 Ⅱ 文化と芸術」芝田進午(青木書店)1987年

*6:映画鑑賞後に、「ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者」藤永茂(筑摩書房)を購入した。まだ斜め読みだが、これによると、オッペンハイマーが委員長であった、AECの諮問機関の一般諮問委員会(GAC)の1949年10月30日の報告書によれば、水爆について全員一致ではないが、気持ちとしては、「何らかの方法でこの兵器の開発を避けることができることを全員が希望している」と述べているとある。

*7:ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者」藤永茂(筑摩書房)によると、水素爆弾に対するオッペンハイマーの姿勢は懺悔や後悔といった単純なものでないことがわかる。また、藤永氏は、テラーのことを「「嘘つき」テラー」と書いている。藤永茂氏のこの著作は精読に値する労作と感じる。

*8:広島大学総合科学部でおこなわれた平和教育のための講義「戦争と平和の総合的考察」の一部を芝田進午教授が担当し、そのために書き下ろしたテキスト。「核時代 Ⅰ思想と展望」芝田進午(青木書店)1987年所収。

*9:ヒロシマの死と京都の生」本多勝一1970年。「殺される側の論理」1971年所収。

*10:故芝田進午氏は、「”反核芸術”の特殊性と普遍性」という論稿で、反核芸術の特徴として、「ヒロシマナガサキにおける”核の火”による火焔地獄、一瞬にしておこなわれた点で史上未曽有の大量かつもっとも残虐な殺戮の実相をえがき、告発する芸術である。そのかぎりで、”反核芸術”の多くは、理想、フィクション、想像力によってうみだされた芸術ではなく、ある種のドキュメンタリ芸術であって、読み、あるいは見る人に”核の火”の地獄の残虐さを訴えないではおかない。その創造にあたり、芸術家は、芸術的想像力をふくらます必要はそれほどなかったであろう。というのは、アウシュヴィッツについてもいわれたことであるが、現実の方が人間の想像力をはるかに凌駕してしまっていたからである」と述べ、「ヒロシマナガサキでの核絶滅は、残虐、悲惨、無情そのものであって、美しいはずがなく、その芸術的形象化から「審美的喜悦」がうまれるはずがない。”反核芸術”の作品は、現実の「理想化的変形」ではなく、むしろ「醜悪化的変形」の産物にほかならない。ピカソの「ゲルニカ」もそうであったように、「醜悪化的変形」が”反核芸術”ーーーそして”反ジェノサイド芸術”ーーーの一つの特徴なのである」と喝破されている。

 また、要約になるが、「死の芸術」であり、それゆえ「核による死」を「生が克服することを願う芸術」「希望の芸術」でもあり、「反核芸術」そのものが「それ自体の歴史をもつようになった」とも書かれている。この意味で、映画「オッペンハイマー」もこうした一線上にあると言ってよいのではないか。

*11:映画の原作本の題名は「アメリカン・プロメテウス」。