映画「オッペンハイマー」を劇場で鑑賞してみての第一印象的な感想についてはすでに書いた。
映画「オッペンハイマー」は、原爆をつくったオッペンハイマーの話だから、その内容は、オッペンハイマーが関わった理論物理学・量子物理学という自然科学。その、ヨーロッパそして英米に広がる研究者が織りなす研究共同体のネットワーク。オッペンハイマーが生きた時代である世界大恐慌と第二次世界大戦、日本との太平洋戦争史。戦後の米ソの冷戦と核軍拡競争。そして赤狩りのアメリカ史と話題は多岐にわたる。その評価となれば、これは簡単なひとことで済ませることはできない。鑑賞者一人ひとりの素養と関心を基本にして映画を観た者に、さまざま考えさせてくれることになる。
「一人ひとりの素養と関心を基本にして」と書いたが、自分は高校時代、他の科目についても興味が持てなかったが、とりわけ化学や物理には興味がもてなかった。数学や英語のほうがまだましだった。
そんな化学・物理嫌いの私が、今回映画鑑賞後に手にとったのが、藤永茂氏の「ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者」だった。
もう30年以上も前になるが、パソコン通信黎明期に、パソコン通信で知り合いになった何人かのアメリカ人教師に会うことを口実に、アメリカ合州国再訪を計画したことがあった。その旅行計画の10年ほど前、かけだし英語教師の頃に、サンフランシスコで英語集中講座に参加したことがあって、その時期に所持していなかった車の免許も取得したので、パソコン通信で知り合いになった何人かの教師たちに会いながら、アメリカ合州国西部を自動車で周遊する計画を立てた。その際に思想的バックボーンとなったのが、高校時代から愛読していた朝日新聞記者の本多勝一さんの「アメリカ合州国」などの著作、さらには合州国見聞や自動車旅行の参考にしたのが猿谷要さんの著作*1であり、さらにアメリカ合州国に関するいろいろな本を乱読していた。そうした中の一冊に、藤永茂さんの「アメリカ・インディアン悲史」もあった。
この本がどのような本であるか、その内容は今回詳述しない。
ただこの本が、ネイティブ・アメリカンの歴史を扱っていながら、アメリカ合州国論はもちろん、人間論・幸福論、したがって私たち日本人論に深くかかわっている労作であると感じた点を記しておきたい。
本書の終わりのほうで、著者はアイヌについて触れ、さらに石牟礼道子の「苦海浄土」を引用して、次のように結ぶ。
こう、石牟礼道子さんに語った水俣の爺さまを、我々が殺したとき、我々はまぎれもなく「インディアン」を殺したのである。
* * *
インディアン問題はインディアンをどう救うかという問題ではない。インディアン問題はわれわれの問題である。われわれをどう救うかという問題である。(p.256)
この本を通読してみて、こうした著者の思想と人格を深く信頼できたのだが、その肩書「九大理学部卒 量子科学 カナダ・アルバータ大学教授」の「理学部」「量子科学」というのが、こうした分野の書物は、本来、文学部哲学科や人文歴史などの分野の識者が書くものなのではないかと、ピンと来なかった。
藤永茂氏には、「「闇の奥」の奥」という著作もあるが、こちらも、「アメリカ・インディアン悲史」を書いた著者らしく、重厚な内容であり、通読した。内容としては、やはり文系の著作の印象をもった。
さて、前置きが長くなったが、映画「オッペンハイマー」を見てから、本屋で関連書物を探してみたら、すでに紹介したように、映画の原作本以外に、「ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者」*2という本を見つけた。著者は馴染のある藤永茂氏。早速、購入したことは言うまでもない。
この労作を一読し、さらに気になるページを斜め読みしてみて思うことは、映画「オッペンハイマー」を見るなら、藤永茂氏の「ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者」は必読書であるということである。まさにドンピシャリのおすすめである。
理由は、第一に、映画「オッペンハイマー」の内容は、ストローズの没落も含めて、ほとんどのエピソードが本書に収められていること。さらに、それが信頼の置ける中味であること。(藤永氏は、「おわりに」で、「本書は多数の文献にもとづいて書かれた。オッペンハイマーと面識のあった方々にも接触したが新しい事実は得られなかった。私が、会話や状況の叙述を勝手に創作した箇所は一つもない」と書かれている。)
第二に、映画にも登場する理論物理学・量子物理学の科学者たちが網羅され、さらに(映画では知りえない、あるいは映画では不十分な)その人物像を知りえる具体的言動に接することができること。
第三に、映画に関わるところでいえば、「ロスアラモス」「核国際管理の夢」「戦略爆撃反対」「オッペンハイマー聴聞会」「物理学者の罪」「晩年」*3など、詳述されていること。
映画「オッペンハイマー」を見ようとする方、あるいは見た方には、おすすめの一冊であることは間違いないが、短所をあら探しするとすれば、ひとつは、簡単に読めないほどの分量があるということ。もうひとつは、これはもっと深い課題というべき問題であるが、藤永氏自身が「おわりに」で書かれている村山馨著「オッペンハイマー」(大平出版社、1977年)に謝意を述べつつ、次のように語っていることだ。
…私には、村山氏のオッペンハイマーに対して心情的に好意的すぎるように思われた。つまり、私には別のオッペンハイマー伝が書けると思ったのである。
それから一〇年、私はかなり広く読み漁り、絶えずオッペンハイマーのことを考え続けてきた。その結果、私が見出したことは、私も、まわりまわって、結局は村山さんが立っておられた場所に戻ってきてしまったという事であった。(p.440-441)
この「心情的に好意的すぎる」という点は、本書を一読してみての、私の印象とも合致する。
「湯川が原水爆を絶体悪として平和運動を進める一方で、依然として物理学研究の喜びを語っていることが許せなかった」文芸評論家唐木順三は、核兵器が絶体悪であるならば、「その「絶体悪」を生んだ物理学そのものも「絶体悪」であると考えた」と、著者は、本書の「序」で述べ、「核兵器は悪いが、物理学は悪くない、ということがあり得るか」(藤永)と問いかけている。
心情的には、この唐木順三の「声高な非難」のほうに共感を覚えてならない。
さて、著者は、本書の「序」でさらに次のように述べる。「一九六七年、オッペンハイマーは、核兵器は悪だが物理学は悪ではないと信じたままで世を去った」と。長崎で原爆が炸裂したとき福岡市郊外に住んでいた著者は長崎で被爆した実兄をもつ。この「核兵器は悪だが物理学は悪ではない」という認識は、想像もつかないほどの思想的そして学問的葛藤の末に長年かかって到達したのだろう。
この答えはまさに物理学者である著者だからこそのものと推測するが、私のような物理を学問的に学んだことのない者にとっては、著者のような答えに到達しようもない。
「心情的に好意的すぎるように思われ」るのは、おそらく物理学を専門とした著者の深い洞察と、まさに物理学に生きてきた証のことからに違いない。しかし、重たく、深い。「不毛な答、責任の所在をあいまいにする答では決してなかった」という言質にウソはもちろんのこと、レトリックもないのだろう。しかし、重く、深い。重く、深すぎる。
…人間ほど同類に対して残酷非情であり得る動物はない。人間が人間に対して加えてきた筆舌に尽くしがたい暴虐の数々は歴史に記録されている。それは不動の事実であり、人間についての、失うことのできない確かな知識である。
オッペンハイマーの生涯に長い間こだわりつづけることによって、私は、広島、長崎をもたらしたものは私たち人間である、という簡単な答に到達した。私にとって、これは不毛な答、責任の所在をあいまいにする答では決してなかった。むしろ、私はこの答から私の責任を明確に把握することができた。唐木順三の声高な非難にもはっきり答えることが出来るようになった。「物理学を教えてよいのか、よくないのか」という切実な問題に対する答も出てきた。「物理学は学ぶに値する学問である」。(p.013-014)