藤永茂氏の『「闇の奥」の奥』を読んだ

「闇の奥」の奥

 私が、藤永茂氏の「アメリカ・インディアン悲史 (朝日選書 21)」を読んだのは、20年以上も前のことだ。
 1992年の夏にアメリカ合州国西部をレンタカーで回ったことがある。1990年に私は電子メールを使い始め、2年間ほど電子メールで交流をしていた教師たちと初めて会いに出かけた旅だった。当時、パソコン通信黎明期で、オフラインミーティングという言葉があり、略してオフミと呼ばれていたが、この旅は私の海外版オフミともいうべき旅であった。
 旅の準備として、猿谷要さんが書かれていたアメリカ自動車旅行記をあれこれ読み、そうした文献からメサベルデを訪ねた。高校生のときに読んだ「アメリカ合州国」(朝日新聞社)から、タオスも訪れてみた。
 こうした旅の参考にした中の一冊に、藤永茂氏の「アメリカ・インディアン悲史」もあった。


 その藤永氏の「『闇の奥』の奥―コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷」を読んだ。


 「広島・長崎の原爆に使われたウラン原料の大部分がコンゴカタンガ地方から運ばれた事情は、一般にはよく知られていない」と本書にあるように、知らないことがたくさんあった。たとえば、ヒトラーユダヤ人大虐殺に比して知られていないコンゴ人大虐殺という事実。人物としても、レオポルド二世、ロジャー・ケースメント、E.D.モレル、メアリー・キングスレーなど知らない人物の紹介がたくさんある。
 さすがにチニュア・アチェベは知っていたが、彼のコンラッド批判の言説。オリーブ・シュライナーの「マショナランドの騎兵ピーター・ハルケット」。キプリングの「白人の重荷」とモレルの「黒人の重荷」(1919年)など、大変勉強になった。
 そして、今日の、コンゴのウラン原鉱石を露天掘り状態で、それも素手素足で接している黒人少年たちの存在。

 リバプール奴隷貿易によって繁栄したという事実。リバプールと聞けばビートルズという日本人の一般的認識では足りないと藤永氏は問題提起する。
 
 奴隷船によってアフリカから連れ出された黒人たちは10代から30代の社会の中堅だった。もし、仮に、そうしたことがこの日本社会でも、おこなわれていたとしたら、それがもし350年も続いたとしたら、その社会的荒廃はいかばかりか、想像してもらいたいという藤永氏の問題意識には説得力がある。
 また、ベトナム戦争コンゴでの蛮行は許されるものではないが、そうした蛮行を生み出すシステムそのものを分析する視点が本書で強調されている。
 イギリスとアメリカ、アイルランド、そしてアフリカと、地政学的にも、そして近現代という時代的にも、英語教師が読むべき一冊であるように思う。

 藤永氏が言うように、いまは、ポストコロニアルというよりも、コロニアル、ネオコロニアルと呼ぶべきものなのであろう。


 藤永氏は、「アメリカ・インディアン悲史」を以下のように結んだと「あとがきに代えて」で書いている。

 インディアン問題はインディアンをどう救うかという問題ではない。インディアン問題はわれわれの問題である。われわれをどう救うかという問題である。

 この「インディアン」を「アフリカ」と書き換えれば、それがそのまま本書の結語ともなりえるだろうと著者自身が書かれている。
 私たちは近現代史を考える際にアフリカ認識を抜かすことはできないということを今更ながら再認識させられた。