メーリングリストの効用

ボブ=ディラン/ザバンドの「偉大なる

 ロサンゼルスへの今回の旅を振り返ってみると、全くの無計画にもかかわらず素晴らしい旅ができたのは、すべて合州国の知人・友人たちのおかげに他ならない。
 実際、こんな無計画な旅を私は今までしたことがないのだが*1、「衝動的な行動は、ときに最高の方針である」と、今回の旅で個人的に知り合えた男性が掲示板に書いてくれたのだけれど、まさに彼の言う通りだった。
 これまで何度も紹介しているように、アメリカ合州国には23年以上も前にサンフランシスコに半年住んだことがあり、その際に3ヶ月グレイハウンドで旅したことも、その後1992年に、インターネットを駆使して交流していた電子友人に会いにパートナーと一緒にレンタカーで合州国西部を旅したこと*2も、また近くには、娘と一緒にハワイ島をレンタカーでまわったこともある*3けれど、しょせん私にとってアメリカ合州国は外国である。
 私は高校時代から合州国の西海岸の音楽を聞いていて、それから音楽ならなんでも聞くようになっているけれど、なんといってもアメリカ合州国のロック音楽が基本的に私の好みである。それでも大変悔しいことに、その唄の心がわからないことがしばしばある。
 今回のロサンゼルス滞在中に、メーリングリスト(mailing list)の一人、個人的には彼女のことを全く知らないけれど、名前からすると日系アメリカ人だと思うが*4、その彼女が書いてくれたメッセージに、LA到着時点での当惑を面白可笑しく書いたつもりの私のメッセージを興味深く読んでくれて、「挑戦的で、たいへん面白く読ませていただきました。もし私が日本に到着したら、あなたと同じようにうまく対応できるか全く自信がありません」と書いてくれた。
 どうやら、挑戦的であるという意味では、日本人が合州国を旅するにしても、アメリカ人が日本を旅するにしても、どっちもどっち、同様に挑戦的であり、ちょっとした越えがたい壁があるようだ*5
 突如の私のLA訪問については、掲示板(list/board)でも、驚きやら歓迎やら、いろいろと書いてくれた。
 ニコラスの家でおこなわれたパーティで実際に会ってから、「突風」(blast)と私のことを評してくれたニューオリーンズで活躍しているドクタージョンが好きな男性。
掲示板で、そうであるように、彼はあらゆる点で個人的に興味深い人物」と私のことを評してくれたクラッシックカーを何台も所有している大金持ちのアメリカ人男性。
 「彼の英語は、驚異的に(phenomenally)素晴らしく、理解しやすい」と評してくれたユダヤアメリカ人女性。
 私の「名前を発音するのに3回はどじった」と書いてくれた、これもパーティで会ったカリフォルニア在住の男性。
 他にも、私について「合州国について興味深い視点をもっている」とか、「あなたの合州国に関するレポートは素晴らしい」とか、英語はあまりできないんですけどと書いた私のメッセージに対して、「そんなに頑張らなくて大丈夫よ。私が望むよりずっと、私たちの言葉で、あなたは雄弁だから」(And don't worry about keeping up... you are far more eloquent in OUR native tongue than I could ever hope to be!) と、いろいろと私について書いてくれた。
 それで、このブログと同様に、久しぶりにみんなが集っている掲示板に、レポート報告を私は何度も書かざるをえなかった。
 彼らのもてなしに対して私ができることといったら、掲示板にメッセージを書くことくらいだから。
 私の好きなこのシンガーソングライターは、とてもひねくれた歌詞を書くのだけれど、その音楽のファンである消費大国に住む彼らは、大変に恵まれた人たちでもあり、私は何度も食事をおごってもらったり、パーティに呼んでもらった。
 おごられっぱなしが精神的に嫌いな私は、「この場で全ての支払いをさせてもらえる栄誉ある立場を私に与えてもらえないでしょうか」というような大変に回りくどい表現を何度も使わざるをえなかった。
 大抵は、「一人に払わすなんて、そりゃフェアじゃない」と却下されることがしばしばで、逆に、「今日は俺がおごるから」と言い出す人がいたりして、そんなときは、他のアメリカ人たちが即座に「ご馳走になります」と言うものだから、結局私はよくおごられてしまうことになった。
 それでまた、「この場で全ての支払いをさせてもらえる栄誉ある立場を私に与えてもらえないでしょうか」とまわりくどく私が言うと、奇跡的に許されるときがあって、そんなときは、「じゃあ、チップ代だけ、私が払うね。それでいい」というような展開になるのだった。
 こんなことは、質素なニュージーランドじゃ、考えられない。
 ところで、ここで私が言いたいことは、私の自慢話ではない。
 掲示板に書かれることは、しばしばお世辞にもなるし、それどころか悪口に発展することもある。
 実際、この掲示板でも、結構人間関係は複雑で、能天気に楽しいばかりではない。その点では、実際の生活と変わりはない*6
 「インターネットは空っぽの洞窟」ではないが、そもそもインターネットなんて基本的に信用できないと私は思っている。
 インターネットは、言ってみれば、知らない通りで「もしもし」と見知らぬ人に話しかけたり、話しかけられるようなものだ。
 店舗がきちんとしていて、地域に信頼もあり、悪いことができない環境と、インターネットのヴァーチャルショッピングモールとでは、その信頼性が格段に違う。インターネットで買い物をするなんて、危ういことこの上ないと今でも私は思っている*7
 でも、つき合い方を慎重におこなえば、インターネットは、日本の鎖国的言語環境を打ち破ってくれる素晴らしい道具にもなる。かつて90年代初頭にインターネットに夢中になっていた頃、インターネットのことを「地球時代の出入り口」と私は評したこともあるくらいだ。英語教師としての私がインターネットに期待するのは、唯一この点だ*8
 繰り返しになるけれど、彼らに対するお礼として私ができることは、彼らが集っているこのメーリングリストに、面白可笑しく今回の私の旅の経験談を書くくらいなのだが、それでも、ジェニーが毎日行動予定を用意してくれるものだから、大体において書く暇がない。だから、結構忙しく日本語でブログを書き、英語でメーリングリストにメッセージを書いて過ごしたロサンゼルス滞在でもあったのだ。
 この点で、ジェニーの家のインターネット環境は申し分なかった。
 ジェニーの豪邸には、あちこちの部屋にケーブルがあり、家族そろってマックユーザーの彼らは3箇所くらいで、インターネットにつないでいた。私が居候した客間にもケーブルがあり、私のラップトップPCでも問題なく常時接続できたから、インターネット環境としては全く問題なく、ブログやメーリングリストにモノを書くことができたのだ。
 私がどんなメッセージを掲示板に書いたかというと、一緒に散歩をしたニコラスについて、私が歩くのが遅いと彼が終始文句を言うので、彼のことを、ふざけて’a mean bastard’(「本当に嫌な奴」)と書いたら、掲示板で結構受けたりした。
 これも彼らの調子に合わせてのことである。
 また、ある日私は「サザンホスピタリティというコトバは聞いたことがあるけれど、カリフォルニアホスピタリティというコトバを聞いたことがない。けれども、絶対に、この表現をつくるべきだ」とお礼を述べる意味で、そのようなことを掲示板に書いた。
 すると、ある女性が「カリフォルニアホスピタリティの中でも、彼女は特別で最高」と、ジェニーのことを評してくれた。
 そう、確かにジェニーのもてなし方は素晴らしかった。

*1:高い航空券で短い滞在しかできない海外への旅である。通常の私のやり方は、ロンリープラネットを精読し、行く場所、見る場所、アクティビティなどは全て事前に決めてしまう。欲張りな私は、日程以上に行事を詰め込むことがしばしばで、結果的に行事満載の日程の中のいくつかの行事を削っていくことになる。旅行代理店には、航空券だけを頼み、レンタカーも宿泊も、あとは全部自分で計画し用意するのが、私の海外の旅だ。

*2:1992年の、西部自動車周遊旅行をした、この時が私にとって初めての海外版オフラインミーティングだった。

*3:ワイ島旅行のときは公私ともに忙しく、事前に現地の人と交流をしている余裕は全くなかったので、いわば完全な部外者として旅をせざるをえなかった。

*4:この日系アメリカ人の彼女は、自分の知っている日本語はたったの三語だと面白可笑しく書いていた。

*5:このリストには日本に出張に来た経験を持つアメリカ人もいて、悪い意味ではなく、日本の看板がまるでわからなくて困ったという経験を以前私に伝えてくれたアメリカ人もいた。

*6:実際、今回、彼らと個人的に会ってみて、ちょっぴり複雑なその人間関係を思い知らされた。とくにネットでは、素顔で登場するタイプと、仮面をかぶって登場するタイプとに二分されるようだ。名前も同様で、本名で登場している人と仮名で登場している人に分かれるのが普通。お酒を飲むと人格が変わる人がいるのと同様、キーボードに向かうと人格が変わるという話をジェニーから聞いたが、これは説得力のあるたとえ話だった。

*7:ただし、アマゾンなど英語の本を買うにはインターネットショッピングは大変便利で、矛盾するようだが、愛用している。それに最近は、東京は銀座のイエナ書店のように、いわゆる洋書屋さんが店をたたむ例が少なくない。もっともこれはまさに悪循環の典型例なのだろうけれど。

*8:ただし、これも、英語とコンピュータが時流にのっていることを考えると、実際は、英語の一元化に手をかしていることになる。グローバル化というコトバには、気をつけないといけない。グローバル化は、英語の一元化や、英語支配と同義であることが多いからだ。