ちょっと英語教師としての自分の経歴を振り返ってみた

 私立大学附属校で、かけだしの英語教員になって3年目に、夏休みから年度末にかけて、アメリカ合州国に研修に行かせてもらった。これはもう26年も昔の話になるけれど、これが生まれて初めての外国旅行・滞在だった。サンフランシスコに6ヶ月滞在し、英語集中講座のクラスで、初めて外国人と交流した。あとの2ヶ月はバスでアメリカ合州国を旅した。何度も言うが、英語教師としてこれは本当に貴重な体験だった。

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Monument Valley

 海外研修中のサンフランシスコ滞在中は、学校が終わると毎日のように、わかってもわからなくても、映画館に行って映画をよく観た。劇場では、ベット・ディビス(Bette Davis)やエリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)など、往年の銀幕スターに、観客が大きな拍手をしたり、笑ったり叫んだりする反応が面白かった。雑誌タイムやニューズウィーク、唄の歌詞と格闘し、またGreat American Music HallやThe Stoneなどのライブハウスにもよく通った。白黒テレビを購入して、自宅でテレビをよく観た。とくに合州国のクイズ番組やトークショーが勉強になった。

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Strand (San Francisco)

 そうした経験から、英語教師になって6年目に、映画を教材化するために、VCR*1とタイプライター*2を購入した。この頃、英語教師としては、ビデオ映画の音声だけをウォークマンに落として映画をディクテーションしてシナリオををおこすことと、外国人との交流をはかることの二つに集中していた。ハリウッドにある若きシナリオライターのためのスクリプト会社にシナリオを注文したこともあった。サンフランシスコクロニクルという新聞を船便で購読している時期もあった。
 7年目に、ビデオペンパルと称して、アメリカ合州国の大学で働く日本語講師とビデオテープを交換しながら交流をもった。彼は樋口一葉の研究者だった。同じ年に、ある出版社の副読本の編集に初めて参加した。マルチメディアのインターネットが発達する前の話である。
 8年目にCDプレーヤーを初めて購入した。
 9年目に、クラブ引率で初めてオーストラリアを訪問する機会を得た*3。また同じ年に、前年度、副読本の編集に加わった同じ出版社で、別のプロジェクトに参加して編集委員になったり英語教育実践の原稿を書かせてもらうことがあった。
 12年目に、生まれて初めてラップトップのパソコン*4を買ってパソコン通信を開始し、海外と日常的に交信するようになった。これは5年越しの、私にとっては、念願の、悲願のパソコン通信開始であった。
 13年目に、その後結果的に長い付き合いとなる出版社に、初めて英語教育関係の原稿を書かせてもらった。
 14年目に、パソコン通信で知り合ったアメリカ合州国の教師たちと直接交流するために、合州国を再訪し、レンタカーを借りてニューメキシコ州コロラド州アリゾナ州カリフォルニア州をまわった。そして、この年から、前の年に原稿を書かせてもらった出版社のプロジェクトに参加し、約8年間、その後さらに同出版社の別のプロジェクトに参加して、8年間*5、実は、そのプロジェクトが今日、ひとまず区切りをつけることになった。
 それで、英語教師としての自分の経歴を少し振り返ってみることにしたのだが、この間、パソコンは進化し続け、私も98ユーザーから、マックユーザーとなり、そしてウィンドウズユーザーとなって、今日に至っているし、職場でもインターネット環境が当たり前になっている*6。海外旅行も、アイルランド、ハワイ、タスマニア、そして、二度目の研修としてアオテアロアニュージーランドに8ヶ月滞在する機会を職場から得た。
 時間的余裕がないために、これまでは、なかなか海外なんかに出られなかったから、貧乏性の私は海外に出かけるなら、英語教師として研修にもなる英語圏ということに限って、家族旅行も含めて、行き先は英語圏に絞っていたけれど、近年は、台湾に二回、シンガポールに二回、韓国に一回と、ようやくアジアにも足を向けられるようになった。
 以上、英語教師としての経験を中心に書いてきたけれど、高校教師としての私は、英語教育にだけ集中してこれたわけではない。どちらかといえば、生活指導や学校運営やその他、いろいろな活動も一緒にやってきたわけで、希望に反してそちらのウェイトの方がむしろ大きいくらいだ。
 若い時代はそのことが大いに不満だったけれど、今そのことについて文句を言っているわけではないのだが、教科教育や教科の研究についていえば、やはり、勉強が足りないと痛感するのである。血液型からステレオタイプで言うわけではないが、多少生真面目過ぎるのかもしれないけれど、もっと教科関係で研鑽を積むべきだったと多少の悔いが残ることも事実なのである。

*1:VCRとは、Video Cartridge(Cassette) Recorderのこと。

*2:このタイプライターとは、ワープロではありません。パチパチ叩くタイプライターです。

*3:文科系で音楽系のクラブ員50人近くの引率で、私は直接の顧問ではなかったが、引率補助教員としてオーストラリアはゴールドコースとに同行した。この出張は、ニュージーランドにも出かけ、私にとってはこれが初めてのニュージーランド訪問であった。

*4:生まれて初めて買ったこのパソコンは、Dynabook 02Eだった。今では笑ってしまう「大容量」だが、たしか20MBの「大容量」HDが内蔵されていて、私はそれを10MBずつでパーティションを切り、ひとつには、日本語MS-DOS。もう一つには英語MS-DOSを入れて、バイリンガルで使っていた!1990年のことである。1985年に高田正純氏の「データベースを使いこなす―英語でとる世界情報 (講談社現代新書 765)」を読んでからパソコンが欲しいと思い始め、ようやく5年後に購入できた大切なパソコンであった。それほど当時のパソコンは高価だった!

*5:この頃、ある大学で3年間講師をおこなったこともあり、よい経験になった。

*6:パソコン通信黎明期には、選択授業で生徒に海外と通信させる英作文授業の開講が夢だったが、ゼロ発信の電話回線というハード的な問題に加え、パソコン通信が何であるか、社会的に認知されていなかったので、結局開講できなかった。同時期、パソコン通信でつながりあった小中高の教員仲間とパソコン通信のノウハウを書いた書籍を出版するプロジェクトがあり、これに参加し、最後まで通信で本を出版することになったプロジェクトに参加したこともあった。残念ながら、パソコン通信を通じて、生徒に海外と交流させたのは、英語クラブの実践だけだ。PHSを個人購入し、このPHSで、当時Bitnetで世界的につながっていた大学までつないで、パソコン通信をさせたこともある。現在は、ようやく情報教育環境が整っているが、今度は、別の教育課題に翻弄され、忙しく、結局実践できていないのが残念だ。