クラウン(三省堂)を教科書にして東京の公立中学ではじめて英語を習い始め、英語というものに興味が湧いて、基礎英語などもラジオで聞いていた。洋楽に興味をもち、ポップス、ロックと、さらにPPMなどアメリカ合州国のいわゆるフォークソングも聞いていた。PPMの曲は聞き込んでいたから、かなりの程度歌詞も覚えてしまった。都立高校生になってからはフォーク好きの仲間に出会うことができて、フォークギターも独学で弾き始めた。初めて外国人アーティストのコンサートに出かけたのが高校1年生のことで、これが渋谷公会堂の Peter Paul and Mary のコンサートだった。
PPMの唄の中で"Gone the Rainbow"(1963年「虹と共に消えた恋」)も聞き込んだ唄だったが、「シュール、シュール、シューラールー、シューラ―ラクシャク、シュラババクー、ホェーナイソーマイサリバビビルカム、ビバリナブッシャイローリー」という何だかわけのわからない歌詞が挟み込んであり、これはいったい何なのだろうと、出会った頃から不思議な唄だった。
この疑問が解けたきっかけが、英語教師となって15年以上も経て、アイリッシュミュージックに興味をもって1990年代に読んだ茂木健「バラッドの世界」だった。
この本によれば、17世紀、プロテスタントのウィリアム三世、そのウィリアム三世によって追い落とされたカトリック王であったジェームズ二世とが戦闘状態となり、負けたジェームス二世の軍隊とアイリッシュ・カトリックが全面降伏する。ジェームス軍兵士はウィリアムに忠誠を誓ってアイルランドに残るか、追放されてフランスに移住するかの選択を迫られ、1万4千の兵士は追放を選んだ。これがのちにワイルドギースの名で知られる傭兵軍団となる。この「ワイルド・ギースとなるべく大陸へ渡った恋人を偲ぶ娘を描いた歌」が「シューリ・ルゥ」(Siúil A Rún) *1という唄なのだという。
さらに、のちの19世紀の大飢饉によるアイルランド移民と区別されるのだが、18世紀に、スコットランド移民の末裔が多いとされるアイルランド北東部のアルスターの長老派の人たちが大量にアメリカに渡っていった。かれらは「スコッツ・アイリッシュ」と呼ばれ、「フィラデルフィアと拠点にアパラチア山脈に沿って主にヴァージニアとキャロライナへ住み着いた」という。かれらが持ち込んだのがスコットランドとアイルランドの音楽的伝統であることは想像に難くない。それで"Johny's gone for a soldier"と、歌詞の一部を変更して、またもや、イングランドを対象として、アメリカ独立革命時代に歌われたのだ。
そしてようやく少しだけPPMの話になるのだが、1960年代のアメリカ合州国に、アイルランド民謡の「シュ―リ・ルゥー」とアメリカ独立革命時の「ジョニーは兵隊になって行ってしまった」を合体させリバイバルさせたのが、「虹、消え去りて」("Gone the Rainbow") であった。当時、まさにフォークリバイバル運動の時期で、唄の発掘とリバイバルも自然なことだったが、アイルランド民謡「シュ―リ・ルゥー」の生命力に驚くほかない。もっとも、軍隊に恋人を取られた娘の悲しみの心情は、普遍的なものであり、それも、相手が同じくイングランドだったという背景が、さらに共感を呼ぶのではないかと想像すると、興味深い。
さらにPPMについて述べる前に、アイルランド民謡の "Siúil A Rún"について触れておくと、いろいろなヴァージョンといろいろな歌詞と解釈があって、一筋縄ではいかないのだが、(イングランドに対する対抗意識を土台として)軍隊にとられた恋人を思う女性の気持ちを歌うことにおいて変わりはない。ただ、"Siúil A Rún" は、アイルランド語(Irish Gaelic)で、「行っていいのよ、愛しい人よ」*2という意味で、別れを受け入れ無事を祈るという解釈が普通のものと思われるが、茂木健氏も指摘しているように、軍隊を脱走して、私のもとに戻り、駆け落ちしましょうという解釈も十分に成り立つ。
この点で、興味深いのが、Clannad のヴァージョンで、以下は、歌詞と解釈が書き込まれているので、わかりやすい。
1970年代の Clannad ヴァージョンは、このYouTube によれば、明確に「駆け落ち」(elope with somebody) という解釈をしている。クラナド版も、冒頭 hill/ fill/ millと韻を踏み、のちの reel/ wheel/ steel と韻を踏む箇所で歌われる財産を手放すという歌詞がまさに「駆け落ち」をイメージさせてくれる。
それで、クラナド版は、英語の歌詞が三行続いたのちに、四行目が Siúil go dtí tú, a mhuirnín slán と、アイルランド語になっていて、英語とアイルランド語を挟み込む、こうした手法をマカロニック(macaronic)というが、なぜ「行っていいのよ、愛しい人、あんねいに」(拙訳)がアイルランド語で歌われるのか。
I wish I was on yonder hill
'Tis there I'd sit and cry my fill
Until every tear would turn a mill
Siúil go dtí tú, a mhuirnín slán (= And may you go, my darling, safely )
(拙訳)
向こうの丘に立ってみたい
そこに座って思い切り泣きたい
私の涙の一粒一粒が水車を回すまで
(アイルランド語)行っていいのよ、愛しい人、あんねいに
この四行目の歌詞を、「行っていいのよ、愛しい人、あんねいに」(拙訳)を見送る際の「さようなら」の意味にとるのが普通だろうが、「軍隊を逃亡して、戻ってきて、安全に(そうすれば駆け落ちできるのだから)」と解釈するとき、イギリス語でそう言ってしまっては相手にわかってしまうので、相手に理解されることばではなく、相手に理解されない自分のことば、つまりアイルランド語で呼びかけたのではないか。そのため結果的にマカロニックになったのではないか、というのが俺なりのひとつの解釈である。
さて、ようやくPPMのヴァージョンになる。
Here I sit on Buttermilk Hill*3
Who could blame me? Cry my fill
Every tear would turn a mill
Johnny's gone for a soldier
四行目のアイルランド語の "Siúil go dtí tú, a mhuirnín slán" (「行っていいのよ、愛しい人、あんねいに」拙訳)は、さすがにアメリカ人一般には意味がとりにくいので、まだ馴染みのあるアメリカ独立革命時の "Johnny's gone for a soldier" (「ジョニーは兵隊になって行ってしまった」)と入れ替えて元唄の深刻さを和らげたのかもしれない。その一方で、アイルランド音楽への興味を引き出す一助とするために、以下の外国語風のナンセンスでリズムを重視した音遊びをスキャット風に入れたのではないか。
Shule, shule, shule-a-roo
Shule-a-rak-shak, shule-a-ba-ba-coo
When I saw my Sally Babby Beal
Come bibble in the boo shy Lorey
アイルランドの元唄、そして、1990年代のアイルランド音楽の復権、そしてアメリカ合州国におけるアイリッシュミュージックの流行と、このバラッドは今も広く演奏されている。
おそらくアイルランドではアイルランド語で歌われるヴァージョンがあるのかもしれない。
そして、Celtic Womanなど、マカロニックで英語とアイルランド語(Irish Gaelic)で歌われるポピュラーなヴァージョン。
さらに、1960年代に、アイリッシュを強く押し出さず、その意味でソフトな、けれどもしっかりと、フォークリバイバルで歌われたPPMのヴァージョン "Gone the Rainbow" がある。
そして、1990年代からは、伝統を生かしながらも、モダンなアイリッシュミュージックの興隆。Solasのデビューアルバム(1996年)の "Johnny’s Gone for a Soldier" ヴァージョンもそのひとつ。こちらもPPMと同じくアメリカ合州国発祥だ。
最近でも、たとえばオーストラリア出身のElla Roberts のマカロニックヴァージョンなど、"Siúil A Rún"は、多くのアーティストによって取り上げられているようだ。
アイルランドの伝統曲 "Siúil A Rún"をカバーする際にも、アイルランド語をどの程度打ち出すのかという点で、現代においても、微妙にアイルランドの被抑圧意識と自意識と誇り*4とを反映しているようで、その点も興味深い。
*1:"Siúil A Rún"をNatural Reader で聞いてみると、イギリス英語で、「スーイレイラン」と聞こえる。アメリカ英語だと、「シューラルン」に聞こえる。茂木健氏の「バラッドの世界」では、「シューリ・ルゥ」とあるが、日本語でなんと表記したらよいのか困ってしまう。
*2:Siúilは、walk, go の意味で、ここでは命令形。呼びかける場合、a を前置する。Rúnは、この場合、愛しい人、恋人を意味する。
*3:ChatGPTに聞いてみたが、韻を踏むため元唄の hill を外すことはできなかったのだろうが、この Buttermilk Hillは、独立戦争時代の具体的な場所を指しているわけではないようだ。butter milk という語彙から、農村生活の日常、そして平和時の愛情が戦争によって奪われる、その喪失を象徴した寓話的な固有名詞ということなのだろう。
*4:アイルランド語は、「アイルランド共和国の、英語と並ぶ公用語であって、約4万人の母語話者と、それを第二言語として話す者を併せると約79万人にのぼる。これはアイルランドの総人口348万人中の22%にあたる。アイルランド共和国で、英語のみを話す者の数は78%である」。「17世紀以降、アイルランド語の受けた言語弾圧は英語圏では類を見ないほどのものであって、たとえば母語で書く詩人は投獄された。19世紀より、アイルランド語維持のための諸団体が生まれて、英語に抗する純化運動が進められ、今日の正書法の基本は1894年に設立された Gaelic Leage が普及させた。1949年、英連邦から離脱して完全な独立国となったが、英語は依然優越している」。以上、ともに田中克彦・H.ハールマン「現代ヨーロッパの言語」(1985)からの引用。田中克彦・H.ハールマン「現代ヨーロッパの言語」を斜め読みした - amamuの日記