Solas ”Shamrock City” (2013) の ”Far Americay”。
America を Americay と綴り、アメリケイと発音しているのは、日常的・口語的なアイルランド英語の発音の影響というより、むしろ詩的な響きやリズムをよくするために、さらにいえば、韻を踏むためなのだろう *1。
"Far Americay" は、異国に息子を送るアイルランドから始まる。
ライナーノートとして五十嵐正氏の訳があるが、以下、拙訳。
(拙訳)
何を考えているのと尋ねても、多くを語らなかった
楽しい騒ぎはもう終わって、夜明けを迎えた
神は知っている、これは輝かしい息子のためでなく、住まいが手狭になったためのことなのだと
ああ、私の心は、あなたを思うと壊れてしまう、私のお腹を痛めた宝なのだから
4ポンド5シリングを持たせて、旅路につかせた
いまや私の血は遠い彼方のアメリカの山々を走り抜けている
次のスタンザでは、アメリカに渡った息子から手紙を受け取る一行から始まり、息子の視点で語られる。
(拙訳)
ロッキー山脈の鉱山キャンプから今晩便りが届いた
明けない夜がないように、最近は、ヤマ(鉱山)が希望を与えてくれる
めったに月を見ることはないし、そこいらの死体を生き返らせるほどの騒音だが、
すぐにカネを送ると弟たちに伝えてくれと息子が言ってくれている
でも、こうした採掘トンネルでも光はある、ああ、大丈夫だろう
私の血は、遠い彼方のアメリカの山々を駆け巡る
次のスタンザも、同じく、アメリカに渡った息子からが届いたという一行ではじまり、息子の視点で話がすすむ。
(拙訳)
ロッキー山脈の鉱山キャンプから今晩便りが届いた
便りでは、変化の風が吹いて毎日少しずつ暖かくなっている
リバティに恋したと書いている、私たちも知ってる女の子だ
この子の親戚もたいへん良い人達で、リバティも息子が気に入っていると書いている
アイルランドの血*2は川という川を流れ落ち、払うべき代償は小さいものではない
いまや大海から遠く、かなたのアメリカで
遠いかなたのアメリカ
遥か遠いアメリカで、若い愛は、紆余曲折しながらどう進むのだろうか
19世紀後半のアイルランド移民の苦難の物語。歌詞の中の "a Rocky Mountain minecamp"(ロッキー山脈の鉱山キャンプ)」とは、移民の多くがあちこちの鉱山で過酷な労働に従事したことを意味している。実際、アルバムのあとの曲で、モンタナ州のビュートという鉱山町が登場するが、いまは、舞台として、母親の心配と、未知の地、希望の地、はるかなアメリカが登場するだけだ。