映画「オッペンハイマー」の第一印象的な個人的感想はすでに書いた。
原作は未読だが、原作以外の、映画を観る方へのおすすめの一冊である藤永茂氏の「ロバート・オッペンハイマー」についてもすでに書いた。
ノーラン監督の「オッペンハイマー」には、考えるべき問題があまりにも多すぎて、ひとことで語ることのできない映画である。バラバラにはなってしまうが、それでも、いくつか思いついたことを書いてみたい。
ひとつは、真珠湾からはじまるいわゆる太平洋戦争で、ヒロシマ・ナガサキの原爆(新型爆弾)による甚大な被害から、日本は降伏したのかという問いである。
映画「オッペンハイマー」においても、1発・2発と続けて原爆を落とさなければ、しぶとい日本は降伏しないとマンハッタン計画責任者のレズリー・グローブスが語る場面がある。
アメリカ合州国側からすれば、原爆投下により戦争終結となり、その後の何万・何十万人という命が救われた。甚大な被害は必要悪であり、しかたのないこと。原爆使用は仕方なかったというジェノサイド肯定論だ。こうしたジェノサイド肯定論は、過去の遺物ではない。最近でも主張されている考え方である*1。
しかしながら、本当にそうなのか。むしろアメリカ合州国による原爆投下の本質は、たとえば、原爆投下により多くの人命が救われたというのは神話であって、降参寸前の日本にたいして原爆投下による普通の人々の大量殺戮は不必要な行為だったというハワード・ジン(Howard Zinn)の考察*2や、オリバー・ストーン監督・ピーター・カズニック教授のアメリカ史理解のように、日本を降伏させるために原爆を使用したのではなく、戦争終結後のソ連との冷戦を見越して、対ソ戦略から新型爆弾を使用したという見方があることに注目すべきではないのか*3。
さらに日本側にしても、原爆による被害の甚大さから降伏したというより、ソ連参戦で降伏したのだという見方にこそ注目すべきだろう*4。
日本の当時の指導部の関心事は、もっぱら天皇制と国体護持にあり、戦争終結の駆け引きでも天皇制が維持される条件が出されたら日本はもっと早く降伏していただろうという見方がある*5。実際、東京大空襲、沖縄戦、そしていよいよ本土決戦を迎えるにあたって、大本営を信州は松代に疎開させるべく大地下壕をつくり天皇制を維持しようとしていたのではなかったか。
「「真珠湾」からイラクまで ーアメリカ式謀略戦争の実体 <進藤栄一・筑波大学名誉教授とのインタビュー対談>」という対談は、以前読んだことがあり、そこから少し引用してみる。進藤栄一氏は、この対談(2003年8月)で、次のように語っている。
広島・長崎に原爆が投下されたのは、日本を敗北させるためというよりむしろソ連に脅しをかけるためであり、冷戦の出発点・対ソ戦略の始まりだった。
第一に、核兵器を使う実験場にしたかったこと。第二に、ソ連に脅しをかける出発点にしたかったことですよ。
(中略)日本が降伏したのは実は広島・長崎に原爆投下されたためではなく、ソ連の対日参戦を最大の契機にしていたのです。この現実を見なくてはいけない。広島に八月六日に原爆が落とされるのですが、日本は降伏しないのですよ。外務省も官邸も軍部も、降伏に動かないのですね。当時、和平派と主戦派が対立していましたが、主戦派はもちろんのこと、和平派も広島に原爆が落とされた後に動かない。なぜ動かないかというと、「我々にはまだソ連の助けがある」というのです。
(中略)一方で松代に天皇の疎開先の大本営を残し、他方で可能なら、ソ連の仲介によって対米英和平を実現させ、しかも皇室を残し、国体つまり戦前体制を維持した形で日米戦争の終結を可能にする戦略を組み立てているわけです。しかしソ連側はそうした日本の戦略を見抜いている。もちろんアメリカはまたそのさらに裏を見ている。
この対談は大変興味深く、引用を続けたいのだが、全部引用していると切りがないので、「「真珠湾」からイラクまで ーアメリカ式謀略戦争の実体 <進藤栄一・筑波大学名誉教授とのインタビュー対談>」をぜひ読んでいただきたいのだが、長崎に原爆が落とされる直前、「その日の未明にモスクワから東京にソ連の対日宣戦布告が伝えられ、慌てて日本が動き出す」わけで、このことについて少しだけ引用を続けると…。
(進藤)面白いのは当時の天皇の側近・木戸幸一内大臣の日記なんですが、彼は長崎投下以降四回にわたって天皇に拝謁しながら、広島のことはもちろん、長崎のことも片言隻語すら記されてないのです。天皇に拝謁してソ連の対日参戦を報告し、戦争終結へと動き始めたソ連のことが記されているだけで、「広島・長崎に原爆を落とされたから我々は終戦すべきだ」などということは一言も記録に残っていません。
(本多)一挙にあれだけ日本人の命が消えても、そんなものは天皇とその周辺にとってはゴミみたいなことだった、という証明でもありますね。
(進藤)結局、アメリカの対ソ戦略のなかで日本もまた踊らされていたという現実が見えてくる。だから私は、広島・長崎の原爆によって日本が矛を収めたとか、原爆があったから日本は戦争を収めることができた、などという見方はとりませんね。「ソ連の助け」という幻想をいだきつづけたが故に、その幻想が破れて初めて日本の和平派が敗戦に動き始めたと捉え直していくと、原爆の意味も見えてくると思います。だからソ連が参戦したとき、鈴木貫太郎首相の側近中の側近・迫水久常内閣書記官長は「ソ連参戦の報を聞いたときに、私は本当に驚き、何度も本当か、本当かと確かめた。立っている大地が崩れるが如き気持ちがした」と記します。それで天皇も動きだすのです。
いわゆる主戦派の「広島・長崎に原爆を落とされたから、その被害があったから動きだした」という形の戦争終結論は、日本の戦争の終結点においても目を曇らせていると思いますね。その背後にあるのは、やはりアメリカ善人説、アメリカが日本にデモクラシーを与えてくれ、アメリカの知日派が日本を救ってくれたとか、原爆を落とされたから戦争を終わらせることができた、主戦派を黙らせることができた、という見方につながってくる。結局、アメリカ外交の本質が見えなくなるのですね。真珠湾でも広島・長崎でも見えなくなる。外交の背後に潜んでいる謀略の現実、謀略自体が外交だという現実を我々も見ていかないと、対米外交なんてものは展開できないでしょうね。
どうやら「原爆投下の真の目的」については、アメリカ合州国史、そして、日本史それぞれ、本質を見つめる眼を養う必要がありそうだ*6
核兵器そのものの所有と使用が絶体悪であること。これこそが核時代のはじまりであるトリニティ実験から始まるヒロシマ紀元以降の教訓であろう。たとえ戦争終結のためという大義名分であったとしても、核兵器使用によるジェノサイド(「大量虐殺」)・オムニサイド(「万物絶滅」)が許されるはずもない。いわんや、戦争終結のためという大義名分がウソであるなら、私たちは、そうした妄言に決して騙されてはならない*7し、ジェノサイド・オムニサイドを許すことは決してできない。
*1:たとえば、2024年5月11日、FNNプライムオンライン「広島と長崎への原爆投下についてアメリカ国防長官が「世界大戦を止めた」との見解示す」MSN。
*2:たとえば、Bombing Hiroshima: The Myth Of Saving Lives with Howard Zinn - YouTube。
*3:'The Untold History of the United States'Oliver Stone and Peter Kuznick 2013)。邦訳「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」オリバー・ストーン&ピーター・カズニック(早川書房)2013年
*4:たとえばウォード・ヘイズ・ウィルソン氏の「ヒロシマの神話」Ward Wilson: The Myth of Hiroshima - YouTubeを参照のこと。氏は原爆で日本が降伏したというのは神話であると意見を述べている。
*5:たとえば、前掲書「オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史」オリバー・ストーン&ピーター・カズニック(早川書房)2013年 参照。
*6:こうした見方は、たとえば、ロサンゼルスタイムズの次の記事にも見ることができる。https://www.latimes.com/opinion/story/2020-08-05/hiroshima-anniversary-japan-atomic-bombs また次の論考にもみられる。これらの論考もオリバー・ストーン&ピーター・カズニックの意見を土台にしているところがある。日本への原爆投下は必要なかった…アメリカで急拡大する「新たな考え方」(飯塚 真紀子) | 現代ビジネス | 講談社(1/7)
*7:太平洋戦争において物量でアメリカ合州国に負けていたということがよく言われるが、情報戦でも負けていた。そして、戦前の失敗からいま学ぶことができていないのであれば、戦後、いまだに情報戦でも日本が正しい方向を進めていないということを意味する。