キヒキヒ

Site 22-Kihikihi
 1864年2月24日、ランギアオヒア陥落の二日後、イギリス軍はキヒキヒ(Kihikihi)を占拠し、略奪をはかり、マオリの指導者であるレウィ=マニアポトの家を焼き払った。
 マオリは家を捨て、馬や家畜を、プニウ(Puniu)川の南に避難させていると、フォレストレンジャー*1が報告をした。
 キヒキヒには、歴史的な建物がたくさん残っているが、1868年に建てられた「アルファホテル」(Alpha Hotel)に入ってみた。
 ここのバーマンは40年もここで商売をやっているという。
 地元の男たちが8人ほど、ビールを飲みながら語り合っている。他に、ジャックポットをやっている人たちが、5人くらいる。
 壁には、ノブタ狩りをした写真が貼ってあって、なんともワイルドだ。
 一通り、キヒキヒの町を歩いて、わたしは車に乗り込んだ。

*1:フォレストレインジャーとは、植民をすすめるために、とりわけブッシュの中でマオリと闘うために訓練された小さな軍隊のこと。マオリは、フォレストレインジャーのことを”manu-rau”と呼んだ。manu-rauとは、「多くの鳥」(many birds)という意味だ。フォレストレインジャーの敏捷性からそう呼んだ。