2004-12-16から1日間の記事一覧

ワイカト戦争の最後がタウランガで起こる

マイケル=キングの本によれば、ワイカト土地戦争の最後の戦闘は、ベイオブプレンティのタウランガ(Tauranga)近くで生じたという*1。 1864年4月28日、キャメロンは、1700人の軍隊と17門の大砲で、230人のマオリによって防衛されていたガテ村(Gate Pa)を襲っ…

オラカウの闘い

ワイカトへの最終段階での大きな軍事作戦は、1864年の3月31日から4月2日にかけておこなわれたオラカウの闘いであった。 レウィ=マニアポト(Rewi Maniapoto)の例のコトバ、最後の最後まで戦うというコトバが残された戦場である。負傷したマオリも、最後は、…

非戦闘地域・ランギアオヒアへの日曜日の襲撃

聖ポールのアングリカン教会のあるランギアオヒアが襲撃されたのは、日曜日のことだった。 これは私事になるが、20数年前に雑誌タイムで、イギリスで日曜日に商売をする店が出現したという記事を眼にしたことがあるが、キリスト教徒にとっての日曜日は、それ…

こうして、ワイカトへの侵略が1863年7月12日に始まった

これ以降のことは、マオリ土地戦争のフィールドワークとして、あちこちに書いたので重複は避けるが、マイケル=キングの本をもとにして、もう一度簡単におさらいしておこう。 キャメロン将軍率いる軍が、マンガタフィリ川を越え、最初の戦闘は、7月17日、コ…

タラナキ戦争からワイカト戦争へ

ロンリープラネットガイドブックから、再び、マイケル=キングの本に戻る。 マイケル=キングの本によれば、タラナキ戦争の結末については、次のようにある。 タラナキ戦争にそなえて、ゴア=ブラウン総督(Governor Gore Browne)は、オーストラリアから3000…

旅行ガイドブックで、タラナキ戦争を学ぶ

タラナキ戦争については旅行ガイドブックのロンリープラネットに詳しく、これから書く段落の部分だけをロンリープラネットから補足する。 そもそもタラナキ地域は古くからマオリが住んでいた地域である。 ヨーロッパからの植民は1841年から始まったのだが、…

マオリ王運動

このマオリ王運動として、1856年に、テ フェロフェロ(Te Wherowheero)が初代マオリ王として選ばれる。彼はポタタウとして(Potatau)、1858年にナルワヒアで正式に就任する。多くのヨーロッパ系移民からすれば、これは不忠に他ならない。マオリ王運動の影の立…

マイケル=キングの「ニュージーランドの歴史」を読んで、ワイカト土地戦争を復習する

イギリス国家(the British Crown)に対抗するために、つまり、いかにマオリが集結するかという戦略を練るために、1850年代に北島に住むマオリが連続して集まりを開き、これがマオリ王運動へと発展する。 あまりにも有名なこのマオリ王運動の事情については、…