こうして、ワイカトへの侵略が1863年7月12日に始まった

 これ以降のことは、マオリ土地戦争のフィールドワークとして、あちこちに書いたので重複は避けるが、マイケル=キングの本をもとにして、もう一度簡単におさらいしておこう。
 キャメロン将軍率いる軍が、マンガタフィリ川を越え、最初の戦闘は、7月17日、コヘロア(Koheroa)で起こり、マオリの小さな駐屯地が破られた。キャメロンは、増兵を待ち、次にメレメレの村に進撃した。マオリは、闘うことなく、そこから撤退した。それで、最初の大きな戦闘は、11月20日のランギリリまで待たなければならなかった。
 ランギリリの戦いについては、すでにいくつか書いた。
 キャメロンの軍は、川を上り、12月8日、空っぽのナルワヒアを占拠した。
 次の戦闘は、ワイカトの農業の中心地、ランギアオヒア(Rangiaowhia)であった。翌年1864年2月21日のことだ。
 ランギアオヒアの戦いは、今日振り返ってみても、かなりの議論を呼んでいるものだという。