1チャンネルのブレックファーストという朝の番組で、日本のこと、インターネットを通じた集団自殺のことを報じていた。
生まれてこの方ゲームやインターネット全盛の時代だけを生きている新世代をインターネットネイティブ(internet native)、インターネットがなかった時代を知っている世代をインターネットイミグラント(internet immigrant)というようなコトバを使って識者が区別していたけれど、ようするに何事にも功罪があるわけで、それはインターネットも同様であり、まさにそれはコインの裏表のようなものだ。
だから大事なことは、常に批判的(critical)でないといけないということなのだろう。
これまで何度か書いてきているように、私はインターネットを始めて14年になるが、最初の頃のネットワーカーたちにはパイオニア精神みたいなものがあったし、私が所属していたところが教員グループのサイトだったから、極めて思い込み的ではあるけれども、安心感みたいなものがあった。
それでも、大抵みなハンドル名というニックネームのようなものを使って交流していた。インターネット上に安易に個人情報を載せるような能天気な人はいなかった。
だから私は一貫して思っているのだが、ネットワークを通じての交流は、実際に会ってみることが絶対に必要だ。
もちろんオフラインミーティング(オフミ)をやれば安心ということもないけれども、顔も見ることなく交流するというのは、コミュニケーションとしても、かなり不完全であるということは自覚しておいた方がいい。
そもそもインターネットなんて、知らない通りで、見知らぬ人に、もしもしと話しかけるようなものだ。
相手は、インチキ商品を高く売りつけようとする詐欺師かもしれないし、あなたに自殺をすすめるような人物かもしれない。世の中には、必ずといってよいほど、いい人と、悪い人とがいるのだ。
日本じゃ、素直(sunao, non-critical)というのが、望まれる性格のひとつになっているけれど、そろそろ重い腰をあげて、批判精神を覚えないといけないように思う*1。
そのためには、批判精神旺盛に考える人をまず歓迎しないといけない。
批判精神旺盛な人物をいじめているようじゃ、日本の夜明けはまだまだ遠い。