アルバム”No Nukes”(1979)のRobert Christgau評

No Nukes

私が英語教師なりたての1979年にAsylumから”No Nukes”という3枚のレコード(vinyl)が出された。DVDはもちろんCDもインターネットもない頃の話である。
 この3枚の輸入盤は、1979年4月のスリーマイル島原発事故から、Jackson BrowneやGraham NashがMUSE(Musicians United for Safe Energy)を結成し、9月に、反原発運動を背景にマジソンスクエアガーデンでおこなった5日間のコンサートを収録したもので、英語で「原発」のことをnukesということをこのアルバムで初めて知った記憶がある。
 コンサートでは、とりわけライブ演奏で当時評判になっていたBruce Springsteen and the E Street Bandの登場が注目されていた。1980年5月に映画も公開され、翌年11月にたまたまアメリカ合州国に8ヶ月間滞在していた私はサンフランシスコの映画館で”No Nukes”の音楽映画を観ることができている。
 Graham Nash、Crosby, Stills & Nash、Jackson BrowneRy Cooder、Jesse Colin Young、The Doobie Brothers、Bonnie RaittJames Taylor、Carly Simon、Nicolette Larsonらのミュージシャンは高校生の頃よりウェストコーストの音楽に興味があったので、アルバムが出されてすぐに3枚の輸入盤は購入したし、放射能の危険性と代替エネルギーの可能性が啓蒙的に書かれた付録のカラー刷りの豪華パンフレットも嬉しかった。そうした象徴が自然エネルギーの安全性を訴えるねらいで書かれた“Power”という曲であり、これはBread & Roseコンサート*1でも、たしかPeter Paul & Mary*2らも演奏していた。自然エネルギーの安全性を訴えるねらいは支持できるが、個人的には音楽的にパワー不足を感じていたものの、インターネットもない当時は、アメリカ合州国の文化状況を批判的に扱おうにも情報量が圧倒的に少なかった。かけだし英語教師としては、3枚の輸入盤レコードを入手するくらいが精一杯のところだったし、アメリカ合州国でその映画を見ることができたというのも、ある意味英語教師としては恵まれている方と言えるのかもしれない。
 さて、この”No Nukes”をロック音楽評論家のRobert Christgauは、アルバム評価としてC+と酷評している*3。彼が原発擁護の立場でないことは「(反原発の)音楽よりも運動の方がよろしい(”I prefer the movement to the music”)」、「意味ある大義のためにまけて寛大に評価した(Graded leniently for a worthy cause)」とコメントしていることから明らかである。出演者がアフロアメリカン・白人と、人種的に、またウェスとコースト音楽やロック系のSpringsteenやPettyと音楽の嗜好性として注意深く演出されているし、魅力的な音楽にあふれているが、深みや鋭さがないというのが、おそらくRobert Christgauの言いたかったことなのだろう。
 “No Nukes”は、レコードしか持っていないので最近聞いていないけれど、こうした評価は当時私も薄々感じていたことだし、今読んでみると一層よく共感できる。
 日本の英学は、イギリスから始まり、戦後とくにアメリカの影響が強まった。つまりイギリスとアメリカという二大国間の系譜がある。私の場合、世代的にも、個人的興味からも、アメリカ合州国の文化を、とくにサブカルチャーに興味があり、自分なりにかじってきた。
 だから日本でまだHalloweenが知られていない頃は、教室授業で、アメリカ合州国では、”Trick or treat”というんだよというようなエピソード(what)を紹介したり、handkerchiefは、手を拭くものではなく鼻をかむものなんだ、英英辞書で定義を読んでごらんというようなことを生徒に話すのが好きだった。Halloweenが商業的に日本に導入される頃になると、No trick or treatとHalloweenを宗教的な理由から嫌う人もいるんだよというような話に切りかえて紹介した。内容(what)紹介も必要だが、むしろcritical、批判的であれということの方が教育上大切と思ってきたからだ。
 でも、これは結構むずかしいし、しんどい。
 No Nukesコンサートを内容(what)として紹介することはそれほどむずかしくはないけれど、それを批判的に評価することは簡単ではないからだ。真理探求となれば、whatよりwhyが重要だし、howをどうするかという問題がある。
 ひとつ確かなことは、量をこなさなければ質は高まらないということだが、アメリカ合州国文化研究をめざしても、なにしろ当時は情報量が圧倒的に少なかった。外国文化研究は、無批判的な賞賛と受容に堕すことを戒めなければいけない。
 真理探求として真理に近づくためには相対化の作業や相対化の相対化の作業、その連続の作業がどうしても必要である。相対化作業のため、音楽の場合、私はRobert Christgauの評を読むようにしているのだが、これがまた権威に対して無批判的になる可能性もあり、ようするに量をこなしながら、多面的な視点を学ぶしか、この落とし穴から逃れる術はないのだが、当時わたしのアクセスできる情報量は圧倒的に少なかった。

*1:サンフランシスコで展開されているジョーンバエズの妹の慈善団体によるアコースティックコンサート。

*2:Peter Paul &Maryは中学時代から聞いていて高校生のときに来日コンサートに出かけたこともあるほど当時フォークソングに興味があった。

*3:“Rock Albums of the 70s” by Robert Christgau 1982