必要にして充分な祝宴

 教会を出ると、外は晴れ渡っていた。
 写真撮影や参列者の楽しい会話は途切れることがない。
 祝宴は午後2時からで、もちろん昨日設営したテントでおこなわれる。
 その2時までだが、まだ少し時間がある。マーガレットとジェフ、そしてニールの車に再度同乗し、近くの海岸まで連れて行ってくれることになった。サーフィンで有名なマヌ湾(Manu Bay)だ。
 マヌ湾は、ラグランから8キロほど離れたところにあるが、10分間も波に乗れるということで世界的に有名なところだから、ここはサーファーにとっては夢のようなパラダイスに違いない。雨模様なので、このマヌ湾を車内から見物する。
 さて、マヌ湾で時間をつぶしていたら、そろそろ披露宴が始まる時間になるので、我々一行は会場まで戻ることにした。
 昨日設営したテントには、かなりの客がすでに集まっていた。
 父親のトムが飲み物の係りをつとめている。トムは仕切り屋だから、ここ数日本当に大変だ。
 食べ物は、ケータリングサービスで、近くの茂みに車が入ってきていて、そこで温かいものを作っては、いかがですかと客に配って歩く。
 客は、小さなパイや、サンドイッチなどをいただきながら、ワインやビールや好きなものを飲んでいる。考えてみると、日本のように、一斉に同じものが出される一膳方式とはこちらのパーティはかなり違っている。個人の好みに合わせて、好きなものを好きなだけ取るというのがこちらの方式だ。
 ところで、肝心の新郎・新婦がまだご登場とならないのだが、みなさん、あちこちで楽しそうに歓談をしている。
 待ちに待った新郎・新婦がようやく登場して、正式な披露宴らしきものが始まる。
 司会はジェフだから、新婦からすると叔父にあたる。
 ジェフは教師だから、司会役に抜擢されたのだろうけれど、身内のスタッフで披露宴がすすめられることになる。まず、親友・ベストマンの挨拶。
 新郎・新婦が大学を卒業したばかりだからというせいもあるが、お偉方のスピーチがないから、会社関係というようなものは一切なし。スピーチは、みな心のこもった簡単なものだ。冗長なスピーチも、歌も余興もない。花嫁の父親の挨拶も、料理も堪能して楽しい時間をお過ごし下さいというような簡単なものだった。
 花婿、花嫁の挨拶は、両親への感謝のこもったもので、花婿の挨拶に、娘さんを立派に育ててくれてありがとうという感謝の言葉があったのだけれど、花嫁を育てた両親へ、花婿から「よくここまで上手に育てていただいた」(good job)*1というようなコトバが使われたことに対して、日本の精神風土との違いをまざまざと思い知らされた。
 新郎・新婦のスピーチを聞き比べてみると、私の観察では、新郎は少し口下手で、この新郎が新婦の尻に敷かれることは間違いないように感じたけれど、果たしてどうなることか。
 さて、料理だが、近くでバーベキューが始まり、バターやマーガリンが塗られたハンバーガー用のパンやサンドイッチ用のパンが登場し、フレンチマスタードと一緒にメインのソーセージ、ハム、ステーキが所狭しと並べられる。と同時に、玉ねぎのスライス、トマト、サラダ菜が置かれた。客は皿を持って、好きなパンに、好きな野菜と好きな肉類をのせて、パクつくことになる。
 近くでは、いただいたプレゼントを整理する若い女性たちが見える。おそらくナタリーの学生時代の友人たちだろう。私も心ばかりのニュージーランドドルを入れて、メッセージと一緒に渡した。
 近くの池を背景に、新郎・新婦、親族の写真を撮影することになるが、この間、客人は好き勝手に飲んだり、食べたり、喋ったりしているだけ。まことに、キーウィーらしい、「必要にして充分」な結婚式だった。
 料理もおいしく、とくに、ハムとソーセージ、ステーキと、どれも飛び切りおいしくて、私はハンバーガーのパンを三つも食べてしまった。
 さて、楽しい祝宴のあとは、片付けだ。
 客人は帰るだけだが、新婦の父親のトム、そして祖父のアレックス、そして、トムの息子のアート、そして何人かの人たちと一緒に、空いたグラスの片づけ。そして、テントの撤収である。
 公園の駐車場でアレックスの車にトイレの牽引車をつけて、ハミルトンのトムの家まで帰ろうとした際に、アラレというのか、ヒョウが音をたてて降って来た。天気予報通りである。
 アラレやヒョウがずっと降り続けることはなく、一瞬のことに過ぎなかったけれど、ニュージーランドの天気予報をあなどってはいけない。
 実際にヒョウが降ってきたことに私は心底驚いた。テント撤収の際に降らなかったのが、幸いだった。
 こうして天気もなんとか味方をしてくれて、無事、ナタリーの結婚式はお開きとなった。

*1:会場の客もこのgood jobには笑っていたので、このコトバが普通の適切なコトバであるとは思わないけれども、花婿から発せられた言葉としては「よくぞここまで上手に育てていただいた」というニュアンスで使われたことは間違いない。